後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山吹の花が美しい季節になりましたね・・・梅雨も近いのでしょうか?

2010年05月10日 | インポート

趣味人倶楽部のマイフレにチャッピーさんという方がいらっしゃいます。茨城県にお住まいの62歳の男性の方です。写真がお上手です。いつも拝見して楽しませて頂いてます。今日は季節の花として山吹の花の写真を3枚ご紹介します。転載の許可を下さいましたチャッピーさんへ感謝いたします。藤山杜人

(写真の出典は、http://smcb.jp/_pr00?oid=181076 です。)

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あなたの主任司祭はイエス様です!・・・動揺する群衆を一瞬にして静かにする

2010年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

カトリック小金井教会の主任司祭の山本量太郎神父様が突然、関口教会の主任司祭へ転任になりました。傾倒していたのでショックを受けました。それで昨日は関口教会のミサへ行って、山本神父様の説教を聞いて来ました。

説教の内容をご紹介する前にカトリック関口教会のご紹介を簡単にいたします。文京区の目白台のそばにあり丁度、椿山荘の真向かいにあります。明治初年にフランス人神父様が土地を広く買って建設した教会です。東京大司教区の本部もあり、東京で一番大きな中心的教会です。見学は自由ですので一度ご覧下さい。下に昨日撮った写真を掲載します。

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カトリック教会では6,7年から10年に一回、主任司祭の交代があります。その方が信者の信仰が正しい方向へ進むのです。しかし信頼し、尊敬している神父様が急に転任になる事は全ての信者にとって悲しい出来事です。動揺もします。5月1日に急に主任司祭の転任の起きた関口教会でも小金井教会でも同じように皆が動揺しています。動揺するなと言っても信者が人間である以上無理です。私も動揺したので、昨日は関口教会での山本神父様の説教を聞きに行きました。

昨日のミサは山本神父が関口教会で始めて説教をする日でした。山本神父が説教台に静かに立ちます。教会で慣れ親しんだ神父様のかわりに見知らぬ人が立っているのです。500人位の群衆が何となくザワついています。浮足立っています。その心理が私にはよく分かります。しかし山本神父様は顔色一つ変えません。

そして静かに話し出しました。十数年前本部にいた時、急に主任司祭の居なくなったある教会に、代役でミサの司式に行った時に見たことを話し始めました。教会には病気のため本国へ帰った主任司祭様の書いた信者へのメッセージが残されてあったそうです。其処には書いてあります。、「私は、あなたがたの主任司祭でした。しかし本当の主任司祭はイエス様ご自身だったのです。私はそのように考えて皆様の為に働いてきました。私は去りますが、あなたがたの主任司祭は変わりません。イエス様ですから変わる筈がありません。・・・」

山本神父はこの内容をゆっくり明瞭な言葉で話して聞かせます。群衆がシーンとなります。安心したのです。

そして山本神父が続けます、「「主はみなさんと共に」と私が言えば、あなたがたは、「また司祭と共に」と唱えるでしょう。ですから、私とあなたがたの間にイエス様が立っておられるのです」広く、高いカテドラルの空間に穏やかな声が流れます。

群衆には、関口教会に降りて来て祭壇の前に立っているイエス様の姿が見えます。

群衆の動揺が消えてしまいます。

どんな組織でも転任の挨拶では自分の紹介をします。ところが山本神父は自分の姓名を告げただけです。その代り新しく着任した関口教会の信者の動揺を一瞬にして鎮めてしまったのです。名説教です。山本神父様はそういう方なのです。

その一方で大変人間的でもあり、その上ユーモアのセンスの持ち主ですそのような方に10年以上もお世話になったのです。神が、そしてイエス様が私共を愛してくれているという実感を何度も持てた10年間でした。

山本神父様へ家内と共に深く感謝しています。イエス様のためにもっともっと大きなお仕事をされる方です。いつもご健康であるように御祈りしています。

また時々、関口教会へお邪魔したいととも考えています。 主の平和。


初夏の宵、昔の研究仲間と惜別の宴

2010年05月10日 | インポート

 人生も終りに近ずいてくるといろいろな想念が頭を流れます。運命的に出会った人々の友情にたいする感謝の念。楽しかった頃の思い出。そしてやがて来る仲間達との永遠の別れ。楽しい宴の最中にも、これが案外最後になるかもしれないという想念が湧きあがり、ひとりひとりへの惜別の宴に一瞬にして変わります。

大岡山の研究室で一緒に研究をした昔の仲間が6人集まって、招んでくれました。私の情熱的な青春時代をともに数年間過ごしてくれた人々です。

皆それぞれに大学で一生を終えます。

KMさんは豊橋の技術大学を定年で卒業しました。優しい性格で、私を最後まで面倒をみてくれました。SBさんは千葉の工業大学を今年定年です。気持ちのよい男で何度も彼の津田沼にある研究室へ遊びに行きました。窓の外にユーカリの木が数本伸びているたのが忘れられません。

NGさんは長らく大岡山で活躍していましたが終り頃に縁あって上野の芸大の教授へ転任しました。芸大の話はとても面白いです。MRさんは尊敬する先輩の研究室からお願いして私の研究室へお招びした方です。人格者です。

SSさんはかなり後に来てくれた人です。関西のMT電器会社に行って、上司へ割愛のお願いをして来て頂きました。独創的な研究をしています。

そして今回の宴の世話人をしてくれたYMさんは名古屋の工業大学に行きましたが、数年前に本郷の大学へ招ばれて転任してきました。一番若い研究者ですが昔の研究仲間の面倒をみて、時々宴を開いてくれます。

今回の宴は湯島天神の裏側にある明治期から本郷にあった牛鍋屋の江知勝でした。世話人のYMさんの奥さんと小生の家内も含めて総数9人でした。

下記は昨日送ったお礼状の手紙です。

SBさん、KMさん、NGさん、MRさん、SSさん、YMさん、MK子さんへ:

拝啓、昨日は昔風でとても懐かしいお店で心温まる宴をして頂きまして本当に有難う御座いました。だんだん思い出しましたが、あの店は私が本郷にいたころ一、二度行ったことがあります。
みんなが、とても良い年の重ね方をして、お顔が悠々とした雰囲気なので大変嬉しく、楽しい会でした。悠々としながらも仕事はキチンとしていて、あちこちの学会から数々の受賞をされていることを聞き本当に感動いたしました。
昨日、家内が撮った写真を添付いたします。
2年前の3月末頃にRappさんが来日した折に会合をして下さったときの記事は、「八芳園の桜が見ごろですよ」 と題して私のブログへ掲載して置きました。
ブログのURLは
http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/ でございます。
実は昨年、前立腺ガンになり全摘出の手術を受けました。ガン細胞がとりきれずPSA検査値が少しずつ悪い方向へ動いています。まだまだ安全圏を推移していますので毎日遊び回っています。しかし年も74歳になりましたので、少しずつ旅立ちの準備をしています。
昨日の会では皆様と知り合った、運命的な出会いへ深く感謝しながらお話を聞いていました。私の気持ちでは一人一人と惜別する為の宴のように思える瞬間が断続的に続きました。
そこで今度、掲載するブログ記事の題を仮に、「初夏の宵、昔の研究仲間と惜別の宴」というような題目で私的な日記を書こうと思っています。
まだ構想が纏まっていませんが、明日位には掲載したいと思います。皆さんの写真は使いません。どうぞご了解の程をお願い申し上げます。

昨日は本当に有難う御座いました。家内からもくれぐれも宜しくとのことです。


何時も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。敬具、

以上は私の個人的な日記です。この個人的な日記をお読み頂いた方々へ感謝したしつつ、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

下の写真は昔の研究仲間と別れる悲しい気持ちを象徴しているような風景なので挿絵代わりに添付しました。甲斐駒ケ岳の麓の小屋の近所の林の夕暮れです。

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