後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

このブログを読んだ人には幸運がやってくる・・・保証は出来かねますが

2010年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログを読んだ人には幸運がやってくる。そんな事は私には保証できません。しかし、何時もそのように願いながら、祈りながら書き続けています。

一つだけ例を上げます。1990年頃にオハイオ州の「人生の悲劇対処法講習会」で習ったことです。離婚した人は、その原因を論理的に考えると、相手を憎み、その結果自分を傷つけるのです。それを一切しないで、自然現象のようにあるがままに受け入れるのです。谷川の水のように流せば良いのです。それは難しいことです。しかし、自然の風景をみていると自然に出来るようになります。

何でもそうですが、悲劇が起きた時は、その原因を考えないのが良いのです。下の竹藪の写真でも見て、「何故、竹はこんなにまっすぐ伸びるのだろう?それにしても、この竹薮には美味しい筍が出るに相違ない。来年のために竹薮の中の農家へ注文しておこうか?」などと考えるのが幸福になる方法なのです。

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このブログには美しい花々や自然の風景写真を沢山掲載してあります。それを見て楽しんでいると不幸が遠う退いて行くようにと祈りつつ載せています。

竹薮の写真は今日撮りました。平林寺の総門の向かいにありました。お読み頂きまして有難うございます。(終わり)


風かおる新緑の平林寺を散策してきました

2010年05月18日 | 写真

平林寺は川越城主の松平信綱公によって江戸時代初期に川越と江戸の中間にある現在の新座市に造られました。境内が33万坪と広大で、その半分くらいが自由に散策出来るようになっています。

四季折々、散策に良い所ですが、今は新緑の林の中を皐月の風が吹きぬけていて気持ちの良い散歩が楽しめます。

場所は新座市役所の向かいです。JR武蔵野線や西武線の新座駅から市役所へのバスの便があります。交通不便な所です。お出かけの前に充分、往復の交通を調べておきましょう。車の駐車場は1日500円で正門の筋向いに広いのがあります。

武蔵野の自然な雑木林を楽しむには絶好の所です。弁当持参でハイキングのようなお楽しみ方もできます。お寺の裏の広い林の中のベンチでは、飲食は自由ですが自動販売機などは一切ありません。ゴミは全て持って帰ります。今日は家内と新緑を見ながらベンチに座って、オニギリの昼食を食べて来ました。

先程撮って来た写真をお送りします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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国家の崩壊(1)鳩山首相の普天間基地へ対する行動が意味するもの

2010年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

日本という国家と私の関係はどういう関係なのでしょうか?外国の人々は日本という国を信用しているのでしょうか?国家には個人と同じように人格というものがあるのでしょうか?鳩山さんは日本が国家としてアメリカと交わした契約を破棄しても良いと思っているのでしょうか?これらの質問へ対して私は分かり易い解答を用意してあります。それを書く前に我々高齢者の国家観をまず説明しておきます。昔の日本国はすべてのものの上に厳然として存在していたのです。国民は国家に隷属し、国は崇高な人格を持っていると信じていたのです。丁度、下の甲斐駒の写真のように人々を見下ろす存在でした。このような国家観では国家には品格というものがあったのです。少なくとも深層心理として日本人の心の底にあったのです。

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勿論いつの時代にも 例外的な日本人は居ました。革命を起こそうとしていた共産主義者も居ました。日本から逃げ出して外国で自分の人生を切り開いた人々も居たのです。

(1)日本という国家と私の関係はどういう関係なのでしょうか?

私に住みよい場所と環境を国家が提供してくれるのを希望しています。そんな漠然とした関係です。

(2)外国の人々は日本という国を信用しているのでしょうか?

国家としては信用していませんが、個人的には信用されている日本人もいます。

中国政府が「日本の軍閥が中国を武力侵略したのであって日本人民は悪くない」とよく言います。しかし、それは政治的なウソですね。軍閥はみな日本人だったのですから。こんな政治的発言を本気に受け止めてはいけません。

(3)国家には個人と同じように人格というものがあるのでしょうか?

国家にも立派な品格のようなものが有った方が良いと思っていた時代が存在しました。少なくともそのように希望していた人々が多かったのです。戦中、戦後、そして高度成長期までは。

(4)鳩山さんは日本が国家としてアメリカと交わした契約を破棄しても良いと思っているのでしょうか?

そうです。本心では良いと思っているのです。何代も続いた総理大臣が営々と努力して作った国際間の契約よりも鳩山個人の考えを優先して良いと信じているのです。国家の作った契約を破棄することは古い国家観の崩壊を意味します。

実は最近の日本人は国家をそれ程厳然たる存在とは思っていません。国家よりも個人が上に存在しているのです。その風潮をよく知っている鳩山さんは人々の気持ちに合わせて行動をしているのです。日本国内だけを考えて基地問題に取り組むのが鳩山さんのやり方です。これで全てが理解が出来ます。そして全ての政治的発言を社交的な会話と思っているのです。ですから5月に決着しなくても辞めません。

このような首相を持った国民の利害得失については続編で書いて行きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人