後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

神さまへ祈る人の姿の美しさ

2010年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

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日本には古くから神社がありました。後で中国から仏教が渡ってきました。人々は神社へお参りして神様を拝みます。お寺に行って本堂のお釈迦さまを拝みます。先祖の墓にお参りします。私は神社やお寺が好きでよく散歩に行きます。そして、このようにお参りしている人々の姿を遠くからそっと眺めるのが好きなのです。

神様へ祈っている人の姿が美しいものです。お寺にお参りに来る人の姿が美しいのです。男女に関係なく人間の善い性格が体からこぼれているように感じます。

神様の存在を信じるとか信じないとかという議論は無力なものです。花々の美を見て楽しいように、人々が神様へ拝む姿を見て楽しんでいるのです。美しいものを見ると人間は楽しいと感じるようです。

それが私の趣味ですから仕方の無いことです。理屈抜きの美しさです。

このような人間の美しさは宗教の種類に関係なく見ることが出来ます。アイヌ民族が神様と考えているフクロウの飛ぶ姿を、銀の雫や金の雫が降るまわりを・・・と謡っています。そのように見ているアイヌ民族の心が美しいのです。

アイヌだけでなく全ての民族は神様へ祈ります。明治維新以来おつきあいが緊密になってきた西洋人も神へ祈ります。キリストのかかった十字架を拝みます。親しかった人の墓にもお参りします。巡礼もします。四国の弘法大師との同行二人と同じようなことです。教会へ行って一番美しいと思う事は人々が静かに神へ祈っている姿です。イエス様へ祈っている姿です。特に、イエスの体を象徴するパンのかけらを神父様から貰って帰って来る時の姿ほど美しいものがありません。

欧米に行って大きな財産を背負って帰ってきました。暖房の無い凍えるような石造りの教会で祈っている姿の美しさを見たのです。他国を侵略し植民地を作った人々も美しくなれるのです。私個人の大発見です。その発見を大きな財産として背負って帰ってきたのです。

今日は日曜日です。縁あってこの文章をここまで読んで下さった方々のご健康と平和を祈ってきます。お読み頂いて有難う御座いました。藤山杜人