後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

新緑の輝き、遊びの船、それを映す水面のゆらぎ

2010年05月22日 | 写真

何故か分かりませんが、この写真をジッと見ていたら平和な気持ちになりました。この下の記事で軍隊や戦争の事を書いたので心が騒いだのです。皆様も平和を感じて頂いたら嬉しく思います。一昨日、霞ヶ浦で撮った写真です。

002


国家の崩壊(3)本音で言うと、日本は隷属国、ドイツは独立国

2010年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

同じ敗戦国で、大規模な米軍基地が存在していても、ドイツは独立国と見られています。しかし日本はアメリカの隷属国と見られます。その原因はドイツは軍隊を持ち、18歳以上の男子は兵役につく義務が原則としてあるのです。憲法に書いてあるのです。他国に武力侵略はしないが自国へ侵入する敵国を撃破するために軍隊を保有すると憲法に明記してあるのです。アメリカ軍の支援が無くても自国を守るというのがドイツ人が軍隊を持つ理由なのです。

湾岸戦争では出兵をしませんでしたが、その後、NATO同盟国の出兵する外国へ、即刻派兵して来ました。ベトナム戦争へは参戦しませんでしたが、ボートピープルを救助する船舶を常時海上に置いたのです。ドイツの軍隊の特長はNATO同盟軍の全体の弱点である陸軍を強化しています。海軍と空軍はイギリスとフランスに任せるという編成になっています。

自分の国は、アメリカ軍の支援が無くても自分の軍隊で守る。当然の考えを国民が持っているのです。ドイツにある米軍基地はアメリカが使うためにあるのです。ドイツ人はあてにしていないようです。付け加えると、ドイツの憲法も第二次大戦後、占領してきた米軍が与えたものです。この点は日本と同様です。しかし、その後、ドイツは憲法を48回も改正して来たのです。

このドイツに比較して、私は日本をアメリカの隷属国と書きました。日本独自の文化を持った立派な民族ですが、自国の防衛をアメリカへ依存しているのです。自国に侵入して来た敵国をアメリカの海兵隊で追いだして貰おうとしている国なのです。こういう国を隷属国と定義するのです。他の国々から見ると日本は誇りを捨てて経済的繁栄のみを追求している国と見えます。それでも良い。あるいはその方が良いという人々が多いからこうなったのです。

戦争反対は誰でも願う言葉です。しかし、侵略国へ武力を使いませんという事を言ってはいけないのです。それは国家の基本的な権利です。それを放棄すれば独立国ではなくなるのです。

鳩山さんがまずすべき事は憲法を改正し、日本軍を再編成し、自分だけで侵入する敵国を打ち破る体制を作るべきでした。その後でアメリカと交渉して基地の削減を提案するべきでした。全くお笑いのような非常識ぶりを発揮したので国民へ大きな失望を与えてしまったのです。日本人への信用を失ったのです。

前回の「国家の崩壊(2)」へ対して、やっくんさんという方と、元航空自衛隊に勤務していた、ゆきさんという方から頂いたコメントを転載して終りと致します。

=======やっくんさんからのコメント=====

隷属というと日本は米国の下僕のように聞こえますが、果たしてそうでしょうか。確かに国防の問題は日米安保条約により米国に負うことが大であることは厳然たる事実です。経済活動も米国基準になりつつあります。しかしながら、日本が古代から独自に営々として築き上げてきたものまで米国にあれこれ言われる筋合いはありません。
確かに先の戦争で敗戦国になり、米国の援助なしではここまでの経済大国にはならなかったでしょう。でも、ここまで日本を有数の経済国にしたのは日本人そのものです。外交が下手、米国に言いたいことも言えない、米国から市場開放を求められればハイハイと開放する。そういうことばかりやってきたツケが普天間問題にも現れているのだと思います。米国にとって日本はコントロールしやすい国と思われているかもしれませんが、私は隷属とまで言い切ることは疑問に思います。

========ゆきさんからのコメント=======

藤山杜人様
真の独立とは何かを考えてしまいました。
日本人は何かを忘れたのだと思います。何かとは[日本人としてのモラル、愛国心]じゃないかなと考えます。
皆の憧れの永世中立国スイスも、一見、平和の模範のような国に見えます。
しかし敵国が侵入すれば、自国を守る為には全国民が立ち上がる国なのです。全家族が自宅に小銃を持ってるとも聞きます。
そこのところを見習うべきではないかと考える次第です。敬具

=========================


別れる・・・惜別の記、その四

2010年05月22日 | インポート

5月2日の日曜日に教会へ行ったら、10年間頼りにして来た、山本量太郎神父様が6月1日から関口教会へ転任という発表がありました。そろそろ転任と思ってはいたのですが、目の前が暗くなりました。分かっていても、それがいざ起きてみると人間は右往左往するのです。

この5月の間に、自分の悲しい心の動きを整理して本当に別れても大丈夫なようにしようと思いました。そこでこのブログに4つの惜別の記事を書くことにしました。

(1)あなたの主任司祭はイエス様です!・・・動揺する群衆を一瞬にして静かにする

(2)自分の信仰の為にブログを書き続けています 

(3)キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気

そして4番目の惜別の記事がこの記事です。山本神父様は私が1971年に洗礼を受けたときに代父になって頂いた方のご子息です。私より10歳以上お若いかたです。しかし聡明で、その上信仰心が圧倒的に強い方です。彼に甘えて、このブログではカトリックと関係の無いプロテスタント宗派の事や佛教や神道のことも自由に書いて来ました。

山本神父様から教えて頂いた事は沢山あります。その中から今日は一つの事だけを書いて感謝の意を表します。それは他の宗派との交流と協力の重要性でした。前回掲載した、(3)キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気 はヨハネ・パウロの事を書きましたが、実は山本神父のことを書いたのです。ヨハネ・パウロを山本神父と置き換えて、お読み頂きたいのです。ローマ法王と小教区の主任司祭を同列に並べるのは不敬罪とお思いになるかも知れません。しかしキリスト教には不敬罪は存在しません。ローマ法王も、枢機卿も、大司教も神父も一般信者もみんな等しくイエス様の弟子なのです。上も下もありません。ただお互いに愛しあいなさいと言い残して、イエス様は天に登り、神の右の座に着いたのです。

山本神父さんの他宗派との交流の一例は小金井市にある11の宗派の違う教会の合同礼拝式の開催です。それは非常に感動的な礼拝式でした。

それを見て、私は色々な教会を訪問してみました。そして、その訪問記をこのブログに掲載してきました。プロテスタント派の世田谷教会、小金井貫井南町教会、日本キリスト教団小金井教会です。その上、聖ニコライが明治維新の前に伝えたロシア正教とその後身の日本正教会も訪問しました。みな牧師様から直接お話しを聞いて来ました。

礼拝式の雰囲気と式次代はみな違いますが、どの宗派の人々もイエス様の弟子だという確信が持てました。そうしてその結果、不思議なことですが私のカトリックへの帰依や信仰が強くなったのです。

カトリックは全世界に強大な組織が出来ています。これを見て軍隊組織と同じという人がいます。しかし軍隊と基本的に違うのは階級による上下関係が無いのです。お互いを大切にし、労わり合うという愛の絆で結ばれた組織なのです。

他宗派との交流したために分かったのです。遅すぎたようですが。これも山本神父様のお陰です。関口教会でもイエス様の弟子としてますます大きなお仕事をされますようにお祈りして、惜別の記とさせて頂きます。(終り)

今日はこのような個人的な惜別の記事をお読み頂きまして有難う御座います。

下に気分をお安め頂けるような帆舟の写真をお送り致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

041