昔、学校で大和にある大きな前方後円の古墳のことを習いました。それで古墳は大和地方にしか無いと思い込んでいました。中年になって埼玉県の「さきたま古墳群」の雄大な古墳群を見て度肝を抜かれました。
ところが数日前に隣町の府中市を車で通っていたとき道端に巨大な石造古墳を発見しました。今日はカメラを持って行って、写真を撮ってきました。上部が円形で、その下が四角形の石造りです。丸石は多摩川の河原から拾ってきたものばかりです。西暦650年頃に作られ、それを学問的に発掘をし、もともとの形に組み上げたものです。
上の円形の部分の直径が16m、そのしたの四角形の一辺が23mでその下に更に一辺が32mの四角形の台ができています。3層構造です。この形の古墳は古墳時代の終わりごろ盛んに造られたそうです。現存する上円下方古墳の中では最大の大きさです。
国指定の史跡になっています。「武蔵府中熊野神社古墳」という名前です。場所は甲州街道から中央高速道路の国立・府中ICに入る交差点の新宿よりの400m手前にあります。副葬品などから時代は650年前後と考えられていますが、埋葬された人の名前は分かっていません。写真をご覧下さい。
この古墳を見てさまざまなことを考えさせられます。650年と言えば飛鳥時代です。仏教が伝来し飛鳥地方では所謂、飛鳥佛という仏像が多数作られ、その大らかな表情が現在までも日本人の心を捉えているのです。その一方で仏教とは関係の無い巨大な墳墓が各地で作られていたのです。お釈迦様は自分が死んだら墓を作るな。骨は野に捨てよと言い残して涅槃に入られたのです。インドへ経典を求めて旅をした玄奘三蔵法師も墓を作らせませんでした。西安の郊外の荒れ野に骨を捨てさせたのです。その遺骨の一部がめぐりめぐって埼玉県の岩槻市のあるお寺に祀ってあります。(この事実はこのブログに何度か掲載してあります)
650年前後は古い古墳時代の文化と新しい仏教文化が並存していたのです。丁度、縄文文化と弥生文化がかなり長い間並存していたようなものです。
学校で習う歴史では古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と年号を区切って教えます。その無意味さを考えながら写真を撮って来ました。
お近くの方は一度、是非ご覧になるようにお勧めいたします。その巨大さに驚くと思います。(終わり)