後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬眠して長い冬を越したモリアオガエルをいよいよ小屋へ放します・・・鬼家さんのブログより

2010年05月05日 | 写真

北杜市の山林の中に住んでいる鬼家(オニイエ)雅雄さんが昨年の春にモリアオガエルの卵から育て、冬眠させ、越冬したカエルをいよいよ飼育小屋に放すようです。

飼育や冬眠に細心の注意を払いやっと冬を越したのです。詳しくは、北杜市・自然の中で:http://sizen068.blog95.fc2.com/ をご覧下さい。転載の許可を頂きましたので飼育小屋の写真と冬眠から覚めて元気いっぱいのモリアオガエルの写真をお送りいたします。

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25基もの古墳があった高倉塚古墳群のご紹介

2010年05月05日 | うんちく・小ネタ

昨日、府中市の西の郊外にある巨大な熊野神社上円下方石造古墳をご紹介しました。650年前後に造られた古墳です。

その南方向、約2km位のところに25基もの古墳がある高倉塚古墳群があったのです。全ては500年から550年の間に造られたことが出土品の土器、鉄鏃、玉類、直刀などから判明しています。昨日紹介した熊野神社古墳より100年位古いものです。

現在は一つの古墳だけが保存されています。後の24基の上には住宅が建っています。

この他に府中市にはもっと古墳があります。大和朝廷が武蔵野国の国府をここに置いたのは偶然ではありません。古墳時代からここは武蔵野の中心的な場所として有力な豪族が代々棲みついていたのです。

現在も古い街道の周辺に神社や寺が多いのも古墳時代からの伝統なのです。

江戸時代も甲州街道の宿場町として大いに繁盛した府中が明治維新で暗転するのです。新宿から甲府を結ぶ鉄道を嫌ったので中央線は府中のはるか北側を通ってしまいます。時代の変化に感慨深いものがあります。そなな感慨にふけりながら写真を撮ってきました。

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三蔵法師の遺骨に関する昨年の記事は間違いです!・・・記事の訂正・・・

2010年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

この遺骨が本物であるという科学的考察は無いのです。

そこで昨年9月14日に下記の記事を、「宗教的記事」として掲載しました。

しかし、この遺骨は第二次大戦中に日本軍が南京を占領したとき武力を使って持ち帰ったものです。そして日本は南京に見せかけの中国政府を作ったのです。この南京政府が日本軍の言うことを聞くのは当然です。この事実を軽く見過ごしてしまった下記の記事には大きな過ちがあります。やっぱり三蔵法師の遺骨ではないと思うほうが無難という結論に到達しました。勿論本物である可能性はゼロではないかも知れません。

しかしその可能性が非常に小さいのに本物らしいニアンスで書いたことは大きな間違いです。

この間違いに確信を持つまで8ケ月も要した私の不明を深くお詫び申し上げます。

=======2009年9月14日の掲載記事=====

三蔵法師の頂骨が昭和17年に偶然に南京で発見されました。お骨の入っていた石棺に、「宋時代の天聖5年(1027年)に、演化大師が西安から南京へ持って来た」と刻んであったのです。その頂骨の一部が昭和19年に南京政府から日本へ寄贈されたのです。そして日本の仏教界の為に海を渡って来ました。

玄奘三蔵法師が遠くインドへ旅したように死後にも旅をして日本へやって来てくれたのです。その遺骨は現在、埼玉県の岩槻の慈恩寺が守っています。昨日、お参りして来ました。慈恩寺の第50世住職の大嶋見道師と第51世住職の大嶋見順師の2代の住職が心を配り慈恩寺から少し離れた場所に玄奘塔を建て、その根元に遺骨を奉安しました。この遺骨は慈恩寺だけの所有物ではなく、日本の全仏教徒の為に眠っているのです。その為に見順住職は日本仏教連合会と相談をしながら、お寺とは独立した場所に13重の塔を建て玄奘三蔵法師のお墓にしたのです。更にその後、遺骨は日本仏教連合会の決定にしたがって、台湾の玄奘寺と奈良の薬師寺へ分骨されました。

慈恩寺へ行けば第51世住職の大嶋見順師にお会い出来ると楽しみにして参上しましたが、残念にも2年前に亡くなっていました。奥様と第52世住職の方としばしお話をした後に玄奘三蔵法師のお墓へお参りに行きました。午前中は教会のミサへ行き、午後に家内と一緒に行きました。

13重の玄奘塔は広々した田畑の中にありました。参道には店も無く、人気の無い淋しい野原が夏の名残の日差しの中に輝いているだけです。

下の写真が玄奘塔の入口の門です。思わず合掌し、中国の西安から、遠方の埼玉県まではるばる来てくれた三蔵法師の温かい慈悲の心へ深い感謝の言葉をつぶやきました。

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下の写真は13重の塔で東武鉄道の根津社長が昭和22年に寄進した見事な石塔です。この塔の基部に高さ8cm、直径7cmの水晶の壺に入れた玄奘三蔵法師の遺骨が埋めてあります。

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下の写真は長安にある玄奘三蔵法師のインドへの旅姿の絵画を忠実に模した大きなブロンズ像です。

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下の写真は玄奘塔のある周囲の風景です。場所は、http://www.jionji.com/ に御座います。

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お参りして豊かな気持ちになりました。

しかし参詣人が誰も居ないのが淋しいです。多くの日本人は玄奘三蔵法師の遺骨がここに有ることを知らないのです。複雑な思いです。次の記事でその原因を少し考えて見ます。皆様はこの状態をどのようにお考えでしょうか?

=========終り=================

日本軍の南京での暴虐と関係の無い様な私の理解はやはり間違っていました。分骨して、それを受け取った奈良の薬師寺がその後、遺骨について完全にノーコメントを貫いています。それが正しいあり方と思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人