後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

通勤の満員電車は個人の人権を蹂躙する、、、そして

2010年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事を一切止めてから4年になります。しかし、今思い出しても、悲しくなるのは通勤で乗らねばならない満員電車の事です。人それぞれ感じ方は違うと思いますが、私は人権を侵害されたような気分で、人混みの駅を急いで離れます。承諾もしないのに押しまくられるのです。足が宙に浮きます。息が出来ません。その感想を職場の人にすると案外気にしていません。それも給料の一部だと思って諦めなさいと説教されて終りです。

20年程前に、訪日したアメリカ人をあちこちの大学や会社の研究所へ案内していました。混んだ電車が来ると乗りません。次も混んでいると又乗りません。3台目にも混んだ電車が来ました。私は彼の腕をとって乗り込みました。あからさまに厭そうな顔をしています。

帰りに空いた電車に乗った時、私は朝のことを思い出して聞きました、「何故、朝に乗らなかったのですか?」

彼の答えは他人の人権を踏みにじり、自分の人権も踏みにじられるのが厭だから乗らなかったというものでした。私は日本では電車だけでなくお互いに人権を侵害しないと生きて行けないのですと説明しました。彼は悲しそうな顔をして黙ってしまったのです。その後、私は満員電車に乗る度に彼の悲しそうに黙ってしまった顔を思い出します。

仕事を止めてから4年間。満員電車のことはすっかり忘れていました。それが下のようなマストの林の光景を見て思い出しました。彼の悲しそうな顔を思い出しました。

いくら土地が狭いからといってこんなに詰めてヨットを置くのは悲しい光景です。美艇の人権は完全に無視されています。ヨットを置いている人々はもっと空いたマリーナを探したのでしょうか?

しかも、この隣にガラガラに空いている神奈川県営の葉山港マリーナがあるのです。昔は鐙擦港(アブズリコウ)と呼ばれていた港の半分を漁港にし、南半分をヨットやモーターボートのマリーナにして経営しているのです。係留料も半額以下です。ガラガラ空いている理由は、お役所仕事のせいでサービスが悪いからです。何年間も無駄にマリーナが空いているのです。お役所の予算の都合でヨットを上架するためのクレーンが何時までも作れないからです。何故か立派すぎる防波堤やヨットの広大な置き場は2、3年前に完成しています。マリーナ経営の経験の無いお役人が収益を無視して企画し、毎年少しずつ予算を取って行くのです。事業仕分けは県庁の事業にも広げるべきと暗い気持ちになってしまいました。

豊かになった日本ではありますが何故か心が貧しいような気がしてしまいます。ヨットは個人の趣味ですから県の公金を使うべきでないという意見の人も多いと聞きます。それに反してスポーツ振興の為に使うというなら、もっともっと効率良く使うべきではないでしょうか?何かが間違っていると思います。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。

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美しい芦ノ湖の写真をお送りします

2010年05月27日 | 写真

一昨日、同期会のメンバーを東海道線の湯河原駅まで送って行って解散になりました。解散して急にさびしくなり、そのまま帰る予定が空しく感じます。急に予定を変更し、箱根を見て気晴らしをして帰る事にしました。来た道を奥湯河原へ上がって、さらに湯河原パークウエイを湯河原峠まで登りました。眼下に碧い芦ノ湖が見えます。やはり芦ノ湖は美しいと感心し、写真を撮りました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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日本人が失った貴重な財産(1)エリートとしての自己犠牲の精神と会社への忠誠心

2010年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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今回から新しい随筆シリーズを2つ同時に始めようと思っています。「日本人が失った貴重な財産」と、「日本人が持った貴重な財産」という2つの主題を持った随筆シリーズです。失うものがあれば得るものがあるというのがこの世の原理原則です。悲しむべき事が起きれば必ず喜ぶべき事が起きるのです。

今回は、失った貴重な財産(1)として、崇高な自己犠牲の精神と会社への忠誠心の消滅を取り上げます。1990年の頃のバブル経済の崩壊以来、急速に消えて行きました。

一昨夜、大学の金属工学科を昭和33年に一緒に卒業した30名の同級会が奥湯河原でありました。52年間、2、3年おきに続いた同級会です。熱海、湯河原、箱根、松島、秋保温泉、作並温泉などで開催して来ました。何故52年も続いたのでしょうか?

理由はいろいろでしょうが、重要なものとして「自己犠牲の精神」と「会社への忠誠心」があったと思います。会社への忠誠心は「金属工業への忠誠心」という意味も強いのです。

専門職にある者の崇高な精神は、その専門教育と会社での専門職の人事管理体制によって支えられてきました。

私達、74.75、76歳の男性は旧制の小学校に入学し、新制の中学、高校、大学を卒業しました。しかし高校はいずれも旧制の中学校が名前を変えただけで先生は旧制のままでした。大学も元の帝国大学が新制の大学になったもので教授も助教授も旧帝国大学で育ち、勅令で任命されたいわゆる勅任官です。

特に仙台の大学の金属工学科は、磁石の発明で世界的に有名な本田光太郎博士が作った研究所が隣にありました。講義のたびに、「君達はエリートなのだ。誇りをもった優秀な技師として金属工業へ一生を捧げなさい」と何度も言われました。説教だけでなく大学の研究室の実験設備は素晴らしいものでした。戦後の物資の無い時代に育った我々は実験装置の立派さに感激しました。その上、研究室に1人1人与えられた机の立派さに驚いたものです。教授達も我々を一人の紳士として扱い、決して乱暴な言葉を使いませんでした。卒業後は大手5社の鉄鋼会社、三菱、住友、石川島などの重工業会社、軽金属の会社、トヨタやニッサンの自働車のエンジン製作工場、などの技師として就職して行きました。伊藤忠などの鉄鋼貿易部門に就職した人もいました。(30名の卒業の中で私だけが大学に残りましが)。

これらの大会社では旧帝国大学卒の技師は他の大学の卒業生とは区別して、特別な人事管理をしていました。勿論、大学による差別は次第に弱くなってはいきましたが、しかしその精神文化は大会社には1990年頃まで色濃く残っていたのです。大学卒の差別的な人事管理の裏返しとして会社側はこれらの人へ会社への忠誠心を強く要求しました。技師の徹夜の現場勤務と転勤辞令への絶対服従などがその一例です。

この技師としての自己犠牲の精神と会社への忠誠心が1990年頃を境にして急速に消滅してしまったのです。

1990年以来、日本は10年以上も経済不況に陥ります。政府や官僚組織が不況脱却のためにあらゆる政策や施策を推進しましたが、全然効果がありませんでした。精神が壊れるとどんな景気対策も無力なのです。

「エリートとしての自己犠牲の精神」の消滅。そして、「会社や組織へ対する忠誠心」の消滅。これこそが日本人が失った大きな財産です。しかしそのお陰で素晴らしい財産を手に入れることになったのです。続編に書きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人