仕事を一切止めてから4年になります。しかし、今思い出しても、悲しくなるのは通勤で乗らねばならない満員電車の事です。人それぞれ感じ方は違うと思いますが、私は人権を侵害されたような気分で、人混みの駅を急いで離れます。承諾もしないのに押しまくられるのです。足が宙に浮きます。息が出来ません。その感想を職場の人にすると案外気にしていません。それも給料の一部だと思って諦めなさいと説教されて終りです。
20年程前に、訪日したアメリカ人をあちこちの大学や会社の研究所へ案内していました。混んだ電車が来ると乗りません。次も混んでいると又乗りません。3台目にも混んだ電車が来ました。私は彼の腕をとって乗り込みました。あからさまに厭そうな顔をしています。
帰りに空いた電車に乗った時、私は朝のことを思い出して聞きました、「何故、朝に乗らなかったのですか?」
彼の答えは他人の人権を踏みにじり、自分の人権も踏みにじられるのが厭だから乗らなかったというものでした。私は日本では電車だけでなくお互いに人権を侵害しないと生きて行けないのですと説明しました。彼は悲しそうな顔をして黙ってしまったのです。その後、私は満員電車に乗る度に彼の悲しそうに黙ってしまった顔を思い出します。
仕事を止めてから4年間。満員電車のことはすっかり忘れていました。それが下のようなマストの林の光景を見て思い出しました。彼の悲しそうな顔を思い出しました。
いくら土地が狭いからといってこんなに詰めてヨットを置くのは悲しい光景です。美艇の人権は完全に無視されています。ヨットを置いている人々はもっと空いたマリーナを探したのでしょうか?
しかも、この隣にガラガラに空いている神奈川県営の葉山港マリーナがあるのです。昔は鐙擦港(アブズリコウ)と呼ばれていた港の半分を漁港にし、南半分をヨットやモーターボートのマリーナにして経営しているのです。係留料も半額以下です。ガラガラ空いている理由は、お役所仕事のせいでサービスが悪いからです。何年間も無駄にマリーナが空いているのです。お役所の予算の都合でヨットを上架するためのクレーンが何時までも作れないからです。何故か立派すぎる防波堤やヨットの広大な置き場は2、3年前に完成しています。マリーナ経営の経験の無いお役人が収益を無視して企画し、毎年少しずつ予算を取って行くのです。事業仕分けは県庁の事業にも広げるべきと暗い気持ちになってしまいました。
豊かになった日本ではありますが何故か心が貧しいような気がしてしまいます。ヨットは個人の趣味ですから県の公金を使うべきでないという意見の人も多いと聞きます。それに反してスポーツ振興の為に使うというなら、もっともっと効率良く使うべきではないでしょうか?何かが間違っていると思います。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。