後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

短篇小説、yoko著、「初島での出会い」、その完結編

2011年03月02日 | インポート

090312562855993950468_s2 翌朝起きた時、部屋のカーテンを開けた恵子は思わず歓声を挙げた。
昨日の荒れ模様が嘘のように気持ちよく晴れ渡り、朝日が海面を照らし何とも美しい景色であった。
ベランダに出て深呼吸をし、新鮮な空気を思い切り吸った。
朝の海を眺めながら恵子は大学一年のときに行ったハワイのマウイ島の海を思い出していた。あのときの海も何とも言えず静かで美しかった。
時間が止まったような景色というのは海を眺めると感じられるのかもしれないと思った。
 
 8時に下に降りて行くと昨夜の彼がもうすでにテーブルについていて、恵子の姿を見ると手を上げて合図した。
恵子は明るい声で「お早うございます!」と挨拶した。
「私はぐっすり眠れましたが、そちらはどうでしたか?」と聴いてみた。
「また僕の話を聴いて下さいますか?昨夜あれから彼女に電話したんですが、あれこれ話しているうちに別れようということになってしまいました。
そもそも昨日けんかしたということは、このところどうもお互いに気持ちがぎくしゃくしていたからなんです。
普通なら船の欠航で共に過ごせなくなったら悲しくてやりきれないでしょうが、なぜか違うんですよね。
今回の事でお互いの気持ちがはっきりしたみたいです。最初は欠航を恨みましたが、むしろ感謝しなくてはいけないようです。
人間って不思議なもので、何かあったときに初めて自分の気持ちに気づくものですね。
もっとも何かがあって気づくようでは情けないですが。。。」
「そうですか。それは御愁傷様です。では気持ちを切り替えて大いに食べましょうか。」
恵子と彼は既に旧知の間柄のようにおしゃべりをしながら朝食を楽しんだ。

 朝食後、島の中を一緒に散歩しようということになり、一休みしてから出かけた。
師走とは思えない暖かさの中、時折吹く風も冷たくなくむしろ心地よかった。
のんびりと歩く姿は端から見たらきっと恋人同士に見られるだろうと、恵子は内心自分が可笑しかった。
 島にはアイランドリゾートというビィラ形式のものもあり、竜舌蘭、フェニックスヤシ、アロエなどが生えていて、南国情緒がたっぷりであった。
頂上が少し雲に隠れているものの富士山も見ることが出来、なんとも穏やかな冬の日を心行くまで楽しむことが出来た。
 散歩の最中に彼が「今日は正面から写真を撮らせて頂けますか?」と聴いてきた。
恵子はごく自然に素直になれ、むしろ笑顔で応じた。
 この出会いは一体なんなのだろうと思いながら、たとえ短い出会いでもこうして幸せなときを過ごせたことに感謝しようと思った。

昼食も共に済ませ、午後早めの船で帰ることにした。
帰りの船はデッキで過ごしたいと思い、彼につきあってもらった。
海を眺めながら、「人生っていつ何があるか分かりませんね。
ちょっとした事で運命の分かれ道が出来てしまうんですね。」と恵子がつくづく言うと
「いや、大きな道は決まっているのかもしれません。僕は今回の事で自分が少し大人になれたような気がします。
今度こそ出会った人は大切にしたいです。」
そしてしばらく黙っていたが、突然
「今回あなたに出会えた記念にこれを受け取ってくれますか?」と、
クラブを立つ前に買い求めたというネックレスを恵子に差し出した。
そして彼は話を続けた。
「昨夜庭であなたを見かけた時、なぜか僕の胸がドキドキしたんです。
このドキドキが一体なんなのか今の僕にははっきりとは分かりません。
でもあなたと過ごした時間はこの上なく心地よかった。
久しぶりに安らぎを感じました。
このドキドキが僕にとってどういうものなのか、時間をかけて感じてみようと思います。
もし一年経っても二人とも特定の人が現れなかったら、来年のクリスマス・イヴにまた初島で会いませんか。
その時、このネックレスをしてきてくれたら嬉しいな。
写真もその時にお渡ししたいと思います。」
 恵子は思ってもみなかった彼の告白とプレゼントに急に胸がドキドキし始めた。
胸のドキドキをしずめるために海上に視線をやると、だんだんと初島が遠くなるのが見えた。
恵子は「まだずっと長い時間彼とこうして船に乗っていたい。」と強く思った。

 熱海港に着き、別れのときがきた。
彼は駐車場に車を止めているので、恵子さえよかったら一緒に東京に帰ろうと誘ってくれた。
恵子は彼の車でドライヴを楽しめたらどんなに楽しいだろうと直ぐに飛びつきたかった。
でもそこまで甘える勇気はなかった。
でも自分の気持ちだけははっきりと伝えておきたいと思い
「私、多分一年経っても恋人は出来ないと思います。来年のクリスマス・イヴに必ず初島に行きます。」と気持ちを込めて強く言った。
彼は「じゃ、元気で!」といい、恵子に握手を求め、さわやかな笑顔を残して去っていった。
  
 恵子はまた東海道線に乗り、車窓からの景色を眺めた。
しばらくは初島が見えていて、昨夜からの彼との会話を思い出しながら眺めていた。
初島が見えなくなると、電車の心地よい揺れを感じながら、目を閉じて彼の顔を思い浮かべた。
そして来年のクリスマス・イヴのイルミネーションの淡い光の中に彼と二人でいる自分の姿を想像した。
恵子のまぶたには、ネックレスの小さな光がイルミネーションに負けない光を放っているのが見えた。(完)

これでyokoさんにご提供して頂いた短編小説の連載を終わります。

お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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今日の散歩・・・小金井市緑地、三楽の森

2011年03月02日 | 写真

三月というのに今日は一日中暗く、冷たい冬日です。貫井弁天の裏山に登る急な階段を2回登り降りしました。その後、小金井市第四小学校の周囲をグルリと東側へまわり込みました。そこには小金井市の保存緑地の「三楽の森」があります。富豪の前田家の好意で開放している手入れの行きとどいた広い庭です。その中をゆっくり行ったり来たりして写真を撮りました。坂を降ると貫井弁天の東隣の真明寺があります。その境内を通って梅の花の写真を撮ってきました。下に三楽の森の写真3枚と真明寺の本堂前の梅の写真をお送りいたします。自分が47年間も住んで居た小金井市にもまだまだ知らなかった緑地が残っている事に驚きました。

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孤独死のいろいろ(4)神仏を頼れば孤独死は絶対に無い

2011年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム

死ぬ時も、そして何時も、南無阿弥陀仏と唱えていればお釈迦様が浄土へ受け入れてくれます。死ぬ瞬間はお釈迦さまがそばに居てくれるので孤独ではありません。

私はカトリックですから何時もイエス様を感じています。イエス様が私を、そして世界の全ての人々を愛してくれている事を信じています。死ぬ間際にもそばにイエス様が居てくれます。ですから暗い夜に人知れず死んでゆくとしても、そばにはイエス様が立っているので孤独ではありません。

ですから宗教を信じ、死後の世界の存在を信じている人にとっては孤独死は絶対にありえません。と書きましたが、これを読んだあなたは信じてくれますか?宗教を信じていれば孤独死が無いという事を。

Karol_wojtyla_at_1211 この写真は亡くなったヨハネ・パウロ2世の少年の頃の写真です。ポーランドに生まれ、育ち、後にローマ法王になった少年です。

私が一番尊敬している方です。世界中を飛び回って、現地の言葉でミサをあげ、キリストの為に殉死した人々(聖者や福者)の墓へ巡礼をしました。

開明的な法王で、宗教裁判の間違いを謝罪し、イスラム教や佛教との交流を積極的に行った方です。(キリスト教が犯した大罪ーその謝罪を祈るローマ法王のヨハネ・パウロ2世 をご参照下さい)

1981年には日本にも来て、後楽園で大規模なミサを日本語であげ、長崎への巡礼の旅へ行った方です。

2005年に84歳で死ぬ間際に、バチカンの何時もの窓から顔を出し、集まった信者へ何度も祝福を与えていました。終いには倒れそうになり、お付きの人に無理やり止められたのです。この傑出したローマ法王は死ぬとき本当に100%イエス様の愛や神の愛を信じて居たでしょうか?

私はその答えを書くことが出来ません。ただ、ヨハネ・パウロ2世は人間だったとしか書けません。

人間とは救いがたいほど疑い深いものです。お釈迦様を信じ、神社へお参りを欠かさない人でも100%信じ切っていないのが一般です。ですから神仏に頼れば孤独死は起きないと断言出来ません。

しかし神仏を信じていれば少しは平常心で死んで行けるのです。

今年は3月9日が「灰の水曜日」です。教会へ行って、神父様から頭に灰をつけて貰います。人間は土から生まれて土に帰るという意味です。独りで土から生まれ、独りで土へ帰って行くのです。しかし、何時もイエス様がそばに居てくれるのです。孤独なんてありません。

ありませんと書けば嘘になります。少しはあるのです。

結論を書きます。無宗教の人も平常心で死んで行きます。信仰を持っている人も平常心で死んで行きます。あまり変わりはありません。どちらでも良いのです。私はたまたまカトリックの道へ入ったのです。平常心のまま老境の生を楽しんでいます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人