後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

地震・大津波・原発災害は第二次大戦の敗戦とは違う・・・東京以西は無傷

2011年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

  Dscn1810

Dscn1803_2 Dscn1806 Dscn1808 Dscn1811_2 Dscn1812

Dscn1814 Dscn1816 Dscn1819 Dscn1820 Dscn1822

第二次世界大戦の敗戦の時は私は小学校3年生でした。敗戦後の日本は全国にわたって焼夷弾攻撃があり、文字通りの焼け野原になっていたのです。全国の国民は平等に酷い貧困と食料難で苦難の毎日でした。それが15年間位続いたのです。

今回の地震・大津波ではそれに匹敵するような損害が出ました。しかし東京と、そこから西日本は無傷で残ったのです。ですから敗戦の時に比べて全体的にはダメージが少なかったとも言えます。

しかし被害を受け、なにもかもが大津波で洗い流された地方と、無傷のままの地方では大きな不平等が生じてしまったのです。この不平等を克服し、皆が一致団結して復興に取り組む事を祈っています。

ここに昨年撮った日々谷公園の写真をお送りします。こんな平穏な公園の残った地方は東北地方の復興へ心を寄せ合って支援するようにと祈っています。

避難所の人々は現在、寒さにこごえ、食料が不足して不自由な生活を送っています。政府は早急に仮設住宅を建て、避難所暮らしを一刻も早く解消するようにと期待しています。全国の空き家へも移住出来るような自治体の斡旋も期待しています。

それにしてもボアンティアの活躍には胸が打たれています。兎に角、復興するまでは何年でも頑張りましょう!


ある原子力研究者の真摯な反省

2011年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム
将来、日本は原子力発電をどのようにするか?大問題です。落ち着いてからいろいろな視点から国民的議論があると信じています。
その一方で、今までの原子力関係者は原発の安全性について血みどろの努力をして来た事も歴史的な事実です。
私の大学の同級生のKT君は卒業と同時に日本原子力研究所へ入所し、若い頃は原子炉材料の腐食、損傷について基礎研究をしていました。管理職になってからは経済産業省の原子力関連のいろいろな委員会に参加し、原子力発電の安全に技術者としての立場から貢献してきました。現在は引退していますが、一生、原子力にかかわった来た研究者として、技術者として、今回の事故には深く考えているようです。メールの交換をしたり、電話で話し合って来ましたが、以下のメールをこのブログ上で公開することに同意してくれました。とても真摯な考えが書いてありますので必ずやご参考になると信じています。藤山杜人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ある原子力研究者の真摯な反省」
藤山さん

メールをたびたびありがとうございます。ブログを専門的な観点でチェックするようにとのメッセージも拝見しています。すぐさま反応できなかったことをお詫びします。

まず、貴兄のお考えや主張に同感しています。良識ある市民の声として貴重な努力と思いますし、進んで論議にコミットされる姿勢と情熱にも敬服します。ただ、ブログについては、貴兄が感じることを率直に書く、信ずることそのままを表明するのがよいと思います。

先日書いたような個人的な仲間内の談義は別として、少しでも公的な効果を持つ言動については、私自身の思いや立場は少し異なるものであるべきと自戒しています。はっきりいえば、起こっている現実について、原子力の研究・開発と安全行政支援の半世紀の過去を背負い、重い責任の意識があります。何かを言う前に、自身が批判を受ける姿勢でものを見なければならないと考えています。モタモタしている電力関係者や、歯切れの悪い役人たち、現場感覚ゼロに近い大学の先生、みな、かつて私の属した集団の一部であり、時には後進として教育までしたことのある人材も含まれていかねません。年長者として、おなかの中では「コラッ、シッカリセイ」という苛立ちと、「辛いだろうがなんとかがんばれ」という共感に近い気持ちが錯綜します。仮に、今彼らに何かいうことが出来るとすれば、「当面色々言われるだろが、急場においては本質的な解決にとってそれらは雑音にもなる、とにかく集中してベストを尽くしてくれ・・・、すべては、危機を乗り切ってから次の段階の知恵にしよう」というのが正直な気持ちです.

状況の推移や起こっている諸問題に対する自分なりの専門的な所見はもちろんあり、当然なくてはなりません。しかし、(先のメールにも書いたように、今はあの頼りないTV報道のみが情報源です)判断の根拠となる情報が不正確すぎて、自発的な意見を述べることはかえって誤りを増幅しかねません。したがって、責任の裏付け無しに専門家として意見を述べることには、躊躇があります。専門家ないしは専門的にわかる人間として発言することは<なにを言おうが>残念ながら当事者にも市民の側にも、所詮雑音のひとつにしかならない、あるいは返って有害になることもあるだろうことをおそれるからです。でも、ただ手をこまねいていいいとも思いません。

今、原子力研究開発機構(JAEA)の要請で旧原研OB会にボランティア組織が作られつつあります。これはこちらから事故対応当事者に向かって専門的な意見を述べるとか、何かを主張するのでなく、一般の市民からの具体的な不安や質問を受けて、真摯に、かつ丁寧に答えようとする活動を目指しています。これなら私でもなんとか協力できるだろうと考えています。

最後にきわめて個人的な呟きを語ります。反論歓迎です。

今日明日の現実の問題として、東日本に未曾有の多大な人的物的犠牲が出たことに注目します。〔市民として〕もっとも気にしなければならないのは津波そのものの犠牲者がすでに莫大であ利、被害は拡大しつつあることです。今この時間にも彼らが苦しんでいることを思うと、原発問題の推移は、相対的には“Journalistic Interests”の要素が強いと考えざるを得ません。所詮はお茶の間談義、想定外の巨大津波という点で共通してはいるものの、今集中して論じるには、これら互いに次元が違いすぎる気がします。よく考えてみると、行政や科学(地震学など)の責任は、原子力の技術や行政の誤算に比べてはるかに重く問われてもよいと思います。

日本原子力学会の行った活動について、このところ、学会誌を新潟地震の時点以降に注目して読み返して調べています。あの苦い経験以来、学会も産業界も原子力発電施設の地震対策にはずいぶん力をいれて来たと思いますが、その中に「津波のツの字もない」というのはどうしたことか? というのが私の率直な感慨です。原子力技術の方の問題無しというつもりはまったくありませんが、一方で、いくら工学的な知恵を働かせ、研究開発の努力を積み重ねても、地震学、あるいは地震・津波に関する自然科学の基本的な知識や情報が不正確、ないし、大きく狂っていれば、今度のような惨事は起こって当たり前だと思うのです。そうした真に冷静な観点でこの問題のどう向き合うかがわれら科学・技術の研究をなりわいとしてきたもの全体の責任感でなければならないとつくづく思います。私は「専門家面」が出来ないでいます。

また、よくある「なぜ徹底的な防護をしないのか?」というギモンはわかりますが、エネルギー機器、施設にかぎらず、すべての産業活動<工業を軸とする、そして農業も水産業も・・・>は、たとえ公益事業といえども、(多分軍事以外は)経済性の観点と切り離せないのが現実です。こういう言い方は誤解を招くのでいいたがらない人が多いのでしょうが、すべてのこうした営みにはさまざまな局面のリスクが伴い、それを安全,<裕度を含めて>の枠組みの中でどう勘案して、厳しいTrade-offの課題を解決していくかが問題の核心だと思います。原子力必用・不必要論はすでに半世紀に近い「血みどろ」ともいうべき論戦を経て、環境問題の認識を持つ世界の主要国の多くがGOの結論を出しています。それだけに今度の惨事は大きな論理上の打撃となりますが、論理だけでは軽々しい方向転換は出来ません。<火力にもどる云々は論外です>

夜が更けましたので、この辺で一服します。相手が貴兄なので、口に衣を着せずに勝手なことを吹きまくりました。ゴメンナサイ。今日やっとガス供給が始まって自宅の風呂に入れます。厳しい10日間でした。この今も、いやな余震が来ています。・・・・・・・

KT、ある原子力研究者より・・・・・・・