後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

電気・ガス・水道の無い生活を静かに受け入れる日本人の偉さ!

2011年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

戦前生まれの高齢者は停電・断水・薪炭絶無の生活体験があります。しかしそれも65年以上も前の事で忘れてしまっていました。

今日になって仙台に居る2人の弟夫妻と電話がつながりライフラインの無い日常生活の様子を聞きました。電気だけは昨夜来たそうですが、水は給水所へ行かねば手に入りません。車のガソリンの品薄で入手困難で車も使えません。マンションの10階に住んでいますが、エレベーターが使えず階段の上り下りが大変だそうです。姪は外科医なので怪我人の手術で徹夜で働いているそうです。電話を聞きながらどちらの家族も平常心で生活しています。不平や不満を言いません。

今日のテレビでは荒れ果てた街道を歩く人々、壊れた家のかたづけをしている人々の様子が写っています。インタビューで感想を話しているのも聞きました。自分の家族を失ったり、家が無くなったのです。それなのに実に落ち着いて、丁寧な言葉で何が起きたか説明しているのです。

その態度に感動します。

その上、ガソリンスタンドで長蛇の列の車が順番を待っています。インタビューしても怒るわけでもなく行儀が良いのです。コンビニでも食糧品が売り切れて、閉店しています。

人々がパニックになって、商店や倉庫を襲って略奪しても不思議ではない状況です。しかし冷静で、静かで、礼儀正しいのです。

今日の新聞では、中国のある新聞がこの日本人の立派な態度を絶賛していると報道しています。

この状況を見て、頭が下がります。昔の戦前・戦後の窮乏時代には人々の心も荒れ果てていました。強盗、スリ、カッパライは日常の事で凶暴な犯罪が毎日起きていたのです。あれから65年。最近の若い日本人の礼儀正しさには深い感慨を覚えます。ああ日本は立派な国になったと誇らしく思います。救援活動も命懸けで行われています。航空自衛隊は救難救助用のヘリコプターだけでなく攻撃用戦闘ヘリも動員しています。アメリカの太平洋艦隊は三陸沖へ救援のための艦艇を派遣しています。

世界中の56ケ国は救援隊を送ろうとしているそうです。

戦後、日本人は一致団結して復興に邁進したように、今回も団結して立派に復興するように頑張りたいと思います。


今回の原子力発電の炉心熔融と爆発には人間的ミスは無かったか?

2011年03月13日 | インポート

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昨日起きた炉心熔融とその結果の建屋の爆発を理解する為には、まず、原子力発電の仕組みを大凡理解する必要があると思います。

この図は日本でよく使われている加圧型の原子力発電の仕組みを簡略に説明しています。

左の部分で原子核反応で発生した熱を冷却材を循環して取り出します。この高温の冷却材で水蒸気を作り、それを右の方の発電用のタービンへ送っています。タービンで発電機を回転させれば電気が得られるのです。

昨日の「炉心熔融」は炉心を冷やす冷却材か、「水ー水蒸気」の循環系統が止まったことにそもそも、の原因があります。

冷却が止まった状態で、数多くのウラン酸化物を主にした燃料棒の内部で核連鎖反応が起きれば、発熱し、炉心の温度が上がります。すると燃料棒を包んでいた「超耐熱性の金属(ジルコニュームを主成分とするジルカアロイという名前の合金)」のチューブが熔解します。ウラン酸化物、UO2も熔解します。その一方残存していた水蒸気が燃料棒を覆っているジルカロイという合金を酸化して、水素ガスを発生します。

この高圧の水素は格納容器から放出され、福島1号炉を覆っていた建屋内に溜まり、引火して爆発したのです。

しかし、格納容器は大変ぶ厚い特殊鋼とコンクリートで出来ていて大砲の弾があっても壊れないと言われています。

ですから、格納容器はまだ融けていません。しかし最悪の場合は熔融して、核燃料が高圧蒸気とともに一挙に空中に飛散し、半径20km位の範囲に降る可能性があります。(原発には起爆装置がないので、原子爆弾のように強大な破壊力で爆発することはありません)

そこで昨夜から高温になりつつある格納容器を海水で冷やして、熔融を防止しようと、現在も努力しています。

上の一連の現象には技術者の人間的ミスが重なって起きてた可能性が想定されます。

(1)大地震で核連鎖反応を停めるため瞬間的に減速材棒を挿入する緊急スクラム停止装置があります。それが正常に作動しなかった可能性があります。巨大な地震で減速材棒が曲がって動かなくなった可能性もあります。

動かなくなった減速材棒でも無理に押しこんで緊急停止装置を作動させる訓練をして居たのでしょうか?減速材棒が入らない時は多量のホー酸液を注入して核反応を停めます。それに失敗したとしたら訓練不足です。

(2)炉心冷却材を循環させるポンプを動かす為の、「緊急用ジーゼルエンジン」が始動しなかったのです。地震の振動で始動しなくなったとしたらエンジンの設計上でのミスです。日頃の整備もちゃんとしていたでしょうか?

(3)冷却材循環の為のポンプが動かないので、別系統の「緊急冷却水循環システム」(ECCS)が正常に作動していたそうです。それなのに間違ってそのECCSを止めてしまったのです。停めたのは下請け会社の職員であり、現場にまともな技術者が居なかったのを伺わせます。常日頃の緊急事態のための訓練を充分にしていなかったのです。

(4)海水注入で格納容器内部を冷却するためのポンプやモーターが充分でなく、名古屋の小牧空港から自衛隊機で昨夜運んでいます。大津波でポンプが流されてとしたら津波へ対する想定上のミスの可能性があります。

海水注入の訓練をして居たのでしょうか?

(5)炉心熔融の可能性は専門家なら早くから想定出来たことです。早く決断して海水注入を始めれば建屋が爆発することも無かったはずです。

決断の責任を取りたくないので、決定が遅れに、遅れたとしたら、これも人間的なミスです。

以上、事実が判明しだい訂正して行きますが、大筋において間違いが無いと思っています。皆様は如何なご意見でしょうか?


少年の頃の思い出の浜辺が皆大津波で被害を受けた・・・野蒜海岸、宮戸島、松島、荒浜、石巻

2011年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の巨大地震による大津波は宮城県や福島県、さらに茨城県の平坦な浜から農業地帯へ甚大な被害を与えたのです。

三陸地方の山の迫った町の、釜石、大船戸、宮古、などなども勿論酷い津波でした。しかし今回の大津波の想像を絶することは平野部の内陸深く海水が押し寄せた事です。その上、水田に海水がいつまでも溜まっているのです。そして家々の全てを洗い流し、跡には残骸と泥だけが延々と広がっています。仙台空港は海岸より随分離れていますが、海水と泥が上がり、一面に泥が広がっています。

北海道、東北の各地方は電気・ガス・水道のライフラインが長期間、完全に止まっています。

大津波の被害状況はテレビでも報じられています。そしてインターネットでも問い合わせの記録が出て居ますので家族や親類の安否が分かる方法として役に立っています。

また津波の動画もあります。例えば宮古市の被害状況の動画は、http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4671332.html に有ります。

家が流されたりした直接の被害者は数多く、その心労の深さは大変なものであろうと思います。

そして以前、北海道や東北地方に住んでいた人々も故郷の町が大津波に遭って悲しんでいる人々も多数居ると思います。

私事で恐縮ですが、私は1936年に生まれ、1960年(24歳)まで仙台に住んで居ました。昔はテレビも車も無く、娯楽といえば海水浴によく行ったものです。仙台に一番近い海水浴場は荒浜でした。大津波で死者が200人も出たという報道もあります。

松島の向うの野蒜海岸やその先の宮戸島へもよく海水浴に行きました。

今回の地震・津波でJR仙石線の野蒜駅近辺で電車が脱線してたという報道があります。あの白く光っていた美しい砂浜が一瞬にして消えてしまったのでしょう。

そして何度も遊びに行った石巻市では町の中心部が大津波で完全に破壊され、大きな漁船が道路の上を流れていました。

こうして少年の頃の懐かしい浜辺が無くなってしまったと思うと悲しいものです。

しかし勿論、大津波の被害者にとっては毎日、水と食料を確保し、電気・ガス・水道のない状況の中で生きて行かねばなりません。深い同情を感じます。と同時にその痛みの万分の一でも共有したいと思っています。

どうぞ皆様、頑張って下さい。前向きに考えて下さい。5万人の自衛隊もやがて救援に到着すると信じています。被災者の皆様のご健康をお祈りしています。

藤山杜人