後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

明るいニュース・・・ばあちゃんと孫 2人で9日間頑張った!

2011年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

大津波の惨状の様子を見る度に悲しい気持にさせます。テレビで映像が流れると悲痛な思いにとらわれます。亡くなった方々の為に、私も喪に服しているような感じがいたします。

それが昨日、突然明るいニュースが流れたのです。津波に洗い流された石巻市の瓦礫の中から助けを呼ぶ声がしたそうです。警官が近づくと倒れた家の屋根の上にいる少年が、「オーイ、この下におばあちゃんが居る!」と叫んだそうです。石巻署の清野陽一巡査部長、佐藤秀一巡査、春日大策巡査、千葉知洋巡査の4人が瓦礫を懸命に掘り、中に横たわっていた おばあちゃんを助け出し、上で叫んでいた孫と一緒にヘリコプターで病院へ運んだそうです。2人とも大変元気でいろいろな事を喋ったそうです。

2人は、阿部寿美(80歳)さんとその孫の阿部任(16歳)君です。

2人が一緒に2階の食堂で食事をしている時、地震・大津波に襲われ家ごと流されたそうです。家は原型をとどめない程に壊れましたが、2階の食堂はやっと這って歩ける空間が残っていたそうです。倒れた冷蔵庫で動けない おばあちゃんの為に孫の任君が活躍です。暗い空間で乾いた布団を引っ張り出しタンスの上に敷き、ばあちゃんを寝かせます。自分もダイニングテーブルの上に寝ました。家が潰れていて外に出られません。そのまま おばあちゃんと孫が9日間も過ごしたのです。幸い倒れた冷蔵庫には水やヨーグルト、菓子などの食品があったのでそれを食べていたそうです。津波に襲われた直後に任君から父親の明(47歳)へ携帯電話が50秒だけつながって、ばあちゃんと元気で食堂にいると連絡があったそうです。勿論、父親は必死で家を探しますが元の場所には何も無く、家が何処へ流されたかも見当もつかなかったそうです。

明るい話です。9日間も元気に生き延びたという事は間違いなく人々へ勇気を与えます。しかしもう一つ私が感動した事があります。それは、おばあちゃんと可愛がっていた男の孫という組み合わせが良かったのだと思います。ばあちゃんと孫の間に強い愛情があったからこそ、9日間のしのげたのです。私はそのように信じています。発見した警官へ、「この下に、おおばあちゃんだ居る!」と真っ先に叫んだのです。

老妻がこのニュースを見て嬉しそうにしています。これから3人の男の孫が今以上に、ばあばの話し相手にさせられそうです。

それはそれとして石巻市で孫とその おばあちゃんが9日間元気に生き延び、救出された事に心からのお祝いの言葉をお送りしたいと思います。本当に良かったです。そして希望の光が多くの方々に射しますように。

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福島原発放射能に関する非常に重要な安心情報を2つ見つけました!

2011年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

(1)福島原発工場内の放射能は放水・冷却以来、確実に下がる方向へ転じたのです。それを示しているのが、今朝の読売新聞2ページ目にある工場内放射線量の3月17日、18日、19日、20日、21日の測定結果を示す図面です。

(2)文部科学省の福島原発周辺の46ケ所の放射能強さの分布図を見つけました。

それは「福島第一原子力発電所の30km以遠のモニタリング結果について」です。(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/03/19/1303727_1819.pdf )

この二つの情報を繋ぎ合わせ、私は非常に安心しました。福島原発の放射能はこのままの状態で推移するとしたらもう安心出来るのです。私自身は深い安堵感を持つに至ったのです。

何故安心して良いか?その理由を説明したいと思います。

今日の読売新聞2ページ目の「放射線量減 放水効果か」と題する記事の下のほうに小さな図面があります。

3号機から北西へ500m離れた事務所本館北で測定した放射線量が放水によって顕著に減少しているのです。

3500マイクロシーベルト位あった放射線量が21日には1700マイクロシーベルトへと減少しています。特に19日に2330トンの水をかけた後は3400から2800へと減少し、更に20日と21日に1137トンの水をかけてからは1700マイクロシーベルトまで減少したのです。3500から1700へ減ったという事は実に半分以下になったという事なのです。これは測定誤差とは考えられません。

この図面は非常に重要なので一面トップに紙面の4分の1位のスペースで掲載すべきと思います。東京消防庁と自衛隊の決死の放水作業の大成果です。特に東京消防庁の現場の高山幸夫隊長と富岡豊彦隊長の記者会見は感動的でした。自衛隊も記者会見をして貰いたいと思います。

一方外部からの電源復旧工事も原発の炉の外までは繋がりました。しかし、私はあまり期待していません。その理由を明快に言ってしまえば、原子炉建屋の内部が爆発で粉々になっているからです。冷却系統の配管も壊れ、モーターの配線も壊れている状態を復旧するのは至難の業だからです。これから数日、あるいは数週間かかると思っています。その間はやっぱり東京消防庁と自衛隊の放水の奮戦が必要なのです。全国の消防署からの応援もあるので必ずや成功すると確信しています。

さて福島原発周辺の数多くの放射線強度の分布が文部科学省から発表されています。

是非、是非、http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/03/19/1303727_1819.pdf をクリックして46ケ所の放射線強度の測定結果一覧表と地図を丁寧にご覧下さい。

私は昨夜の記事で、1年間住んでいても安全な地域は一時間あたりの放射能は22.8マイクロシーベルト以下の土地という結論を出しました。もしこの計算結果が正しければ22.8マイクロシーベルト/時間, 以上の放射能強度を示していところは30km以遠ではありません。福島市も相馬市も全て数マイクロシーベルトなのです。

ただ原発より北西へ30km以上はなれた地点で140マイクロシーベルトと非常に高い値があります。これは危険信号です。しかし、西方向30km以遠の所では1.6マイクロシーベルトという低い値を示しています。この事は測定した3月18日の風向きの影響と考えられます。すなはち毎日平均して22.8マイクロシーベルト以上の場所は半径30km以遠には無いではないかと私は考えています。

勿論以上の結論は素人の私個人の結論なので保証の限りではありません。一つの参考情報としてお考え下さい。

放射能は見えません。臭いもしません。自分自身で調べて安心する他には良い方法がありません。ここに書いている一連の記事はその経過で御座います。皆様の恐怖心が少しでも静まれば嬉しく思います。

今日も福島原発の現場で献身的な活躍をしている東京消防庁、自衛隊そして東京電力と関係会社の皆様のご健康を心からお祈り致します。避難した方々に平安な日が来ますように!

藤山杜人