後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

春を告げる瀬戸内海のイカナゴのくぎ煮が届きました

2011年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

ああ、本当に春がくるのだなあ。と、深くうなずくことに瀬戸内海のイカナゴの「くぎ煮」の到来があります。

関東地方で梅の咲くころはまだ寒くて、本当に春がくるのか心もとないものです。

今年はまだ梅が散っていません。庭の水盤が毎朝、凍っています。金魚が動かずじっとしています。その今日、毎年のように、神戸の友人から「くぎ煮」が届きました。

友人の母親が瀬戸内海の明石沖でとれ始めた、まだ小さい「いかなご」を丁寧に煮上げたものです。ショウユとサトウで煮たものとサンショを加えて煮たものと2種類届きました。ショウユとサトウが多すぎず、しっとりとした上品な味です。

作っている方は育ちも良く、品の良い方なのだろうとしのばせる味です。

くぎ煮の写真を示します。醤油味とショウガ味です。

2_002

この友人は鈴木裕さんといいます。知り合ったいきさつや、お仕事の内容は2008年1月31日のこのブログの記事でご紹介しました。導入部の一部を以下に再掲載して置きます。

鈴木裕さんは賢明で、その上とても感じの良い素晴らしい青年でした。御母上の雰囲気を受け継いだようです。

何年か前に名古屋でお会いして以来、会っていません。それなのに毎年、イカナゴのくぎ煮だけでなく1月には須磨の初物のノリを送って下さいます。そのような友人関係もあるのですね。人間の縁の不可思義さに頭の下がる思いです。

こうして今年も我が家に春がやって来ました。(終り)

===========鈴木裕さんの紹介記事==============

ブログとベンチャー企業の隆盛(4)ブログの有効的役割

今回はブログを上手に使うとベンチャー企業が成功しますという一例をご紹介します。神戸に住み技術士事務所を開業している鈴木裕氏です。

日産自動車から数年前にスピンアウトして事務所を開設したベンチャー起業家です。ものづくり産業とサービス産業の経営者へマーケティング戦略と技術問題解決の助言をする事務所です。

筆者がある役所に依頼されベンチャー起業促進の手伝いをしていたころ彼と一夕お酒を共にしました。数年前の名古屋の夜の街でした。

「何故ニッサンを辞めて独立するのですか?」「自分らしい人生を送りたいためです」「自分らしい人生とは?」「国際自動車競技ライセンスを持った日本で唯一の技術士です。その趣味を広げ多くの人へラリーの面白さを広げたいのです」

実に明朗闊達で、情熱にあふれる黒い目が印象的でした。

筆者とは親子ほど歳が違うがすぐに友人になりました。それ以来折りにふれて付き合いを重ねてきました。最近ブログを始めたので、彼に「ブログとベンチャー企業の隆盛」について記事執筆を依頼したところ、すぐに原稿がきました。鈴木氏へ感謝しつつ、下記に、原稿をそのまま掲載します。なお彼のブログのURLは;http://blog.suzukiyutaka.com です。

(以下省略)


今日の散歩道・・・江戸時代に開削された小金井農業用水路に沿って

2011年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

武蔵野は富士山の火山灰に覆われた水捌けの良過ぎる土地です。ちょっとした高台には水田が出来ず、畑作だけの貧しい農村が広がっていました。

江戸幕府は農業用水路をあちこちに作り、新田開発や畑作の収穫増大に努力します。小金井の北半分も高台で畑作だけです。下の写真が玉川上水の南側にある現在の畑作の様子を示しています。

039 023

上の写真の畑のそばで、玉川上水から農業用水を取り入れて、小金井分水路が1700年前後に作られました。それ以来、江戸、明治、大正、昭和と約260年の長い年月、貴重な水として大切に使われて来たのです。

028

この小金井分水路は昭和30年代に使用されなくなりましが、その流路は現在でも保存されています。そしてその分水路に沿って静かな散歩道が玉川上水から山王稲穂神社まで作られています。我が家では、この道のことをロマンティッシュ・シュトラーセという名前をつけて四季折々よく散歩しています。今日は山王稲穂神社から小金井分水路に忠実に沿って玉川上水まで家内と一緒に散歩して来ました。

皆様のお住まいの所にも,昔はきっと農業用水路があって、その一部は史跡として保存されていると思います。如何でしょうか?

025 017 013 008


愛は今日始まります・・・マザー・テレサの言葉

2011年03月06日 | インポート

愛は、今日始まります。

今日、だれかが苦しんでいます。

今日、だれかが路上にいます。

今日、だれかが飢えています。

私達の働きは、

今日という日のためにあるのです。

昨日は過ぎてしまいました。

明日はまだ来ていないのです。

貧しい人の姿をしたイエス様を知って

愛して、食べ物をあげ、服を着せて、

宿を用意することのために、

私たちには、今日だけがあるのです。

明日まで待ってはいけません。

今日、私たちが彼らに食べ物をあげなければ、

彼らは、明日はもういないでしょう。・・・マザー・テレサ

==================

上の言葉の出典:カトリック教会カリタス ジャパンの「愛の募金箱」の裏から転載しました。


地震の被害者と遺族に対するニュージーランド政府の冷たい対応と賢明さ

2011年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今回のクライストチャーチ直下地震での行方不明者は220人で、死亡が確認出来たのは168名という発表をもって救助活動は終了しました。悲しい自然災害です。

行方不明の220名の国籍は発表されていませんが語学留学生が多いので、近隣のインドネシア、マレーシア、ベトナム、フィリピン、台湾、韓国、日本などの若者が多いと容易に想像できます。

日本から家族が飛んで行った時、ニュージーランド政府はその一団を瓦礫の広がる現場から90kmも離れた所に宿泊させ、現場への立ち入りを厳禁していたようです。真面目に英語を勉強していた自分達の息子や娘が想像もしていなっか地震でいなくなったのです。親兄弟の悲しみは想像するにあまりあるものです。目の前が真っ暗になったに違いありません。親兄弟だけでなく祖父、祖母の嘆き悲しみも深いものです。勿論死んだ本人たちが一番不幸です。不運としか言いようがありません。

それなのに家族の現場立ち入りを厳禁したのです。

この報道を見た時、私はとても怒りました。日本から遥々行った家族が最初に見たい所は自分の子供たちが死んだ現場に違いありません。いやまだ生還の可能性さえあったのです。現場を見たいというのは自然の親の感情というものです。それを最後まで禁止していたのです。こんな冷たい仕打ちはありません。皆様はそう感じませんでしたか?

現地へ行った家族たちはその仕打ちを非難していました。しかし、終りの頃は非難が消えて行き、「誠意を持って救助活動をしてくれたようです」という言葉に変わったのです。そして最後の日にバスで現場を訪問し、花束などを、救援活動をしている人へ渡し、遭難現場に供えて貰ったのです。遺族がバスから降りるのを禁止していたからです。そして瓦礫の一片を遺骨代わりに家族へ渡してくれたのです。

私はこの様子を見てニュージーランド政府の今回の対応は賢明だったと思うようになりました。感情的になっている家族へ静かに考える時間を与えたのです。その上死者の国籍を発表しない態度は立派です。死者は国籍に関係なく平等に敬意を表するべきなのです。遺伝子鑑定で判明した場合はその家族だけに報告したのです。

救援活動隊は何処の国からでも受け入れ、即刻現場で働いて貰っていました。

救援活動に参加した人々は生き埋めになっている人の国籍を考えません。一刻も早く掘りだす事を考えています。

日本のマスコミは日本人だけに関心があるような報道です。行方不明者の国籍を想像して広く平等に報道しません。そしてニュージーランド政府が何故犠牲者の国籍を発表しないか、その理由も報道しません。

いつもの事ですが何故か寒い感じがします。自分だけが良ければ、それで良い、日本人だけが助かれば、それで良い。そんな本音が感じられて寒い感じがするのです。それにしても今回のニュージーランド政府の対応の仕方にはいろいろな事を考えさせられました。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

(下の写真の出典は読売新聞ネット版:http://www.yomiuri.co.jp/photonews/article.htm?ge=614&id=102429

20110223102429_l1