後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

危機に、落ち着いて対応している日本人の品格を褒めている外国の人々

2011年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の読売新聞、夕刊の12ページ目の「日本の危機・・・品格を称賛」という記事をご覧になった方々も多いと思います。とても嬉しい記事ですので以下に纏めて記録しておきます。

(1)韓国の「朝鮮日報」など主要メデアは被災地で食糧や燃料も不足しているのに何時も整然とした行列をつくって順番を守っている日本人に感嘆しています。「日本人が示した(他人への)配慮と市民意識に、世界が感嘆している」と報じています。

李明博大統領もこうした姿について、「日本の品格を髙めている。韓国も見習わなければならない」と述べました。

(2)EUの欧州議会、ブゼック議長は欧州議会で、「通常の生活を取り戻すため、尊厳と冷静さを維持し、復旧作業に取り組んでいる人や、一般市民に敬意を払いたい」と述べました。

(3)16日付ニューヨーク・タイムズは一面トップで福島第一原発に残り、必死の冷却作業をしている50人に取り組みかたを詳しく伝えた上で、「彼らは核の大惨事から日本を守る最後の砦だ」として「この犠牲的行為」に賛辞を送りました。

(4)ウール・ストリート・ジャーナルは16付社説で、「300年に一度の大震災による大混乱のさなか、日本人は平静を保ち、大規模な救助・復旧活動を展開し、世界の尊敬を集めている」と讃えています。

(5)16付ワシントン・ポストは論説欄で、「もし有能で、技術分野で明晰な日本人が完全に安全な原子炉を作れないのだとしたら、一体だれが作れるのだ。もし、本格的な惨事が日本で起きれば、世界がその代償を支払うことになる」と書いています。

(6)17日付、中国の「北京青年報」は新潟県にある避難所で生活している中国人被災者のルポ記事を掲載しています。彼は仙台で商店を経営していました。

「避難の初日に汚れていたトイレは日本人の皆さんが清掃して翌日はきれいになっていました。スタッフが夜間は当番に当たり、安全を確保してくれる」と話し、助け合って困難に立ち向かう日本人の精神を称賛しました。

以上の他にも海外のマスコミでいろいろ日本人の冷静な、そして秩序ある態度を称賛しています。ここでは昨夜の読売新聞の夕刊に出ていたものだけを記録しました。

今迄は、日本の高度成長や技術革新を褒める外国人が多かったのです。それが今回初めて日本人の人間性を褒めてくれたのです。こんなに嬉しい事はありません。

皆様は如何でしょうか?それにしても被災地の人々の冷静さと礼儀正しさには私自身大変感動していました。被災者の皆様のご健康をいつもお祈り申し上げます。


心に太陽を持て、唇に歌を・・・

2011年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

005

東京電力は困った会社です。計画停電の内容が支離滅裂で、停電が起きてから初めて第3グループと分かりました。マスコミへの発表では小金市は第2グループだったのです。ところが番地によって第2と第3へ分かれていたのです。その上、開始と終了の時間がいい加減なのです。計画停電でなく無計画停電です。まあ怒る気にもなりません。

昨夜は初めて夜に停電がありました。上の写真のようにサラダオイルを燃料にした手製のランプを灯しました。油煙で天井が黒くならないようにランプの直上に煙を捕集する布を張った円盤を吊るしました。

暗い部屋に家内と坐っていましたら、突然、敗戦直後に毎晩毎晩、停電があった事を思い出しました。そして電灯が薄暗くつく「ローソク送電」もあった事も思い出しました。

そして、当時は学校で何度も、何度も、「心に太陽を持て、唇に歌を・・・」と教えられたのです。

暗く、つらい時は歌を唄えという意味です。太陽を心に持てば焼け死ぬと子供心で考えたので前半分は省略して、停電の間は家族一緒に歌を唄って過ごしました。特に母は唄うのが上手でつぎからつぎへと歌を教えてくれたのです。庭の千草、ふるさと、夕空晴れて、カラタチの花、浜千鳥、などなどを65年ぶりに突然思い出したのです。

その話を妻へしましたところ、停電の間は同じように家族で歌を唄って過ごしたといいます。そして当時の小学校唱歌を次から次へと唄ってくれたのです。

当時は学校で、毎日、「心に太陽を持て!唇に歌を持て!」と一緒に叫んでから授業が始まっていました。そして歌を唄って毎日の辛さが少し楽になったのです。

当時は食べる物が無くて庭のハコベやアカザやスカンポなど食べられる野草は何でも食べました。そんな話をしていたら現在の豊かさに感謝です。たった3時間の停電でも暗い気持ちになるのですから、電気の無い被災地の夜は大変だろうと心が痛みます。

一番の問題は食料やローソクなどの救援物資の運送システムの混乱です。津波の被災地以外には食料も物資もあるのに避難所まで届かないのです。現在、自衛隊も米軍も、そして全てのボランティアも必死で頑張っています。もう少しです。

避難所の全ての人々が心に太陽を持ち、唇に歌を持つようにと祈っています。


原子力空母ロナルド・レーガンや普天間の海兵隊が救援活動開始

2011年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Uss_ronald_reagan_28cvn76291

(写真の出典;Wikipedeaの「原子力空母ロナルドレーガン」)

昨日の読売新聞夕刊の3ページ目に「物資搬送、医療・・・米軍が増強」と題する記事がありました。いよいよ米軍の実質的な支援が始まりました。記事の内容を分かり易く整理して列挙します。

(1)上の写真の空母ロナルド・レーガンが三陸沖から艦載ヘリを15往復して被災地へ救援物資を直接運んだのです。救援物資は非常食、牛乳、果物、医療機器、衣服などです。兎に角、食料を送ってくれることが有難いです。

(2)普天間基地の海兵隊2200人とヘリコプター部隊は強襲揚陸艦「エッセック」など3隻で昨日出発し、東北地方の酒田港沖へ到着する予定です。これにより米軍ヘリは合計70機体制になります。海兵隊は被災地の瓦礫整理や仙台空港や小松基地の復旧作業をするほか、救援物資輸送、医療支援もする予定です。

(3)第7艦隊の強襲揚陸艦「トーティガ」は既に苫小牧港へ到着し、陸上自衛隊の青森側への輸送に協力しています。昨日は自衛隊員273人と車両93台を本州側へ輸送する予定です。

(4)目下苦戦している高圧送水ポンプも米軍が提供しる予定です。佐世保基地にある4台を発送し、横須賀基地を経由して16日には横田基地へ到着しています。昨日の17日中には現地で日本側へ引き渡す予定です。

以上の様な実質的な協力をしてくれる事に日本人の一人として感謝も気持ちが私の気持ちに次第に湧いて来ます。有難いものです。

今日は被災された全ての方々へ一刻も早く救援物資が届くように皆様と一緒に祈りたいと思います。藤山杜人