後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「たった一人の山」の著者の浦松佐美太郎氏のお嬢様から投稿がありました

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

2010年4月6日に掲載した記事で浦松佐美太郎著、「たった一人の山」という名著をご紹介しました。それが今日、著者のお嬢様から下の様なご投稿がありました。

とても嬉しく思いましたので以下にご紹介します。そしてついでに、記事、「浦松佐美太郎著、「「たった一人の山」」について」を再掲載致します。

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父の本にまつわる、心温まる甲斐駒の山小屋での描写、ありがとうございます。 父の著作がいつまでも、自然を愛する方々に読んでいただければ幸いです。

浦松佐美太郎三女浦松清子
米国ニューハンプシャー州在住

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浦松佐美太郎著、「「たった一人の山」」について」

日本が好きで8年も在住していたイギリス人のウエストンが、上高地に入り穂高や槍へ登った頃からヨーロッパ流の「登山」が広まったと言われています。

旧制の中学生や高校生のヨーロッパへのロマンチックな憧れもあって、登山が流行になるのです。それは昔からあった修験道者の登山とは違うものです。

浦松佐美太郎も戦前に一ツ橋を卒業し、ヨーロッパに渡り、数々の山を単独登攀をします。独りで山をみつめ、自分の心をみつめ、命をかけて苦しい登攀をするのです。青春の苦悩を山々と語り合いながらいやして行くのです。この本は昭和を通して多くの学生に読まれ、山岳文学不朽の名著と言われています。

私は暇になると本棚のある2階へ上がり、昔読んだいろいろな本を取り出して見ています。その中から現在の若者にも読みやすく理解しやすい本を選んでこのブログで紹介して来ました。今日は浦松佐美太郎著、「たった一人の山」を推薦したいと思います。分かり易く言えば、1901年生まれ1981年死亡の浦松さんがヨーロッパや日本で登った山々の登山記録です。単独で登りながら考えたことが書いてあります。ロマンチックな青春の日々の苦しみと歓びが描いてあります。昭和の若者の青春が活き活きと描いてあります。戦争とは無縁な青春です。昭和という時代へ大きな影響を及ぼしたのです。

話は飛びますが、私は1974年に、上の写真の甲斐駒の7合目の粗末な山小屋の棚の上でボロボロになったこの本に会いました。年老いた主人が言います。「冬場以外は毎週、週末になると夜行列車で来て、登って来る若い技師さんがいました。日本鋼管の技師さんでした。その人が置いて行ったのです」と言うのです。日本鋼管は私が学生のころ工場実習をした製鉄会社です。偶然とは言え、急に親近感が湧き、詳しい話を聞きました。山小屋の主人が目をしばたたきながらボソリボソリと説明してくれました。「その技師さんは50歳の頃病気で死んでしまい、二度と登っては来なかった。2、3年して会社の仲間が登って来て、この本を受け取ってくれと置いていったのです。それが彼の遺言だったそうです」

製鉄所は技師でも昼夜3交代で徹夜の当番があります。そして徹夜明けと週末の休みをつなげれば川崎から甲斐駒へ夜行列車で往復出来たのでしょう。私の知り合いのある重工業の技師も毎週のように夜行列車で上高地へ通っていたそうです。彼も定年の前に病気で亡くなりました。お葬式に行った時、上高地通いのことを聞きました。浦松佐美太郎さんの本は技術系の人にも大きな影響を与えていたのです。

今日、読み返してみて懐かしさで心が一杯になりました。そして現在の若者にも面白い本かもしれないと思い、ここで紹介しました。ネットで検索すると出版社や値段が出て来ます。ネットでも購入出来ます。広く読まれた本なのであちこちの図書館にあると思います。読んで損する本ではありません。若者の皆様へご参考になれば嬉しく思います。(終り)


大地震・大津波・・・でも何事も無かったように静かな湖畔の風景

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

何年か前の事ですが、津波が利根川を遡って霞ヶ浦まで来ました。岸壁を僅かに越える程度でした。今回はもっと水位が上がってヨットの係留ロープが切れたのではないかと心配していました。常磐高速道路の通行規制も無くなったのでヨットの係留ロープを見に行きました。4本とも異常なしで、水位が大きく上がった形跡がありました。東北地方の惨状を思うとヨット遊びなどする気になれず、家内と桜川の堤や湖畔を散歩しました。湖畔は何事もなかったように早春の陽射しの中に静まりかえっています。まだ冷たい風が頬をなでて行きます。

そんな風景写真をお送りします。皆が元気になりますようにお祈りいたします。

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日本サクラソウの花を見て日本が元気になりますように!

2011年03月31日 | 写真

日本サクラソウは江戸の人々に愛されてきた花で、さいたま市、荒川沿いの田島ケ原が自生地として国指定の天然特別記念物になっています。この花を見て日本人がみんな元気になりますようにお祈りいたします。

日本サクラソウは毎年4月になると可憐な花が咲かせます。花の色は淡い桃色で、咲いているのを恥じているように草の陰に隠れています。楚々とし、控え目な風情が日本人の美意識に合致しているようです。栽培し品種改良されたものは沢山ありますが、原種の素朴な良さは捨てがたいと眺め入りました。

日本サクラソウは花屋さんで鉢植えのものを何度も見ました。しかし、自生地に他の草葉に混じって静かに咲いているのを見て、実に日本的な美しさに感動しました。サクラソウを見ながら、1時間も田島ケ原を歩き回りました。

撮影場所;さいたま市荒川沿いの秋が瀬公園南端のサクラソウ公園 田島ケ原にて、

撮影日時:2010年4月20日午前11時から12時。

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福島原発の深刻な事態の意味と解決方法

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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福島原発では深刻な事態が続いていますという報道がマスコミに流れています。しかし何が起きていて、何故それが深刻なのか説明がありません。あってもやたら専門用語が出て来て分かりにくいのです。

福島原発の状態を私も深刻な事態だと思います。その理由は以下の2つです。

(1)本来存在していてはいけない発電用建物の床に、炉心核燃料を含んだ強い放射能を持った水が多量に発見された事実です。

この事実は炉心冷却用の海水や真水が別の建物の床に流れ出している事を示しています。大変な事態です。

(2)本来水は存在してはいけない配管や配線用のトンネルの中に炉心から漏れた海水や真水が多量に充満していたのです。配管や配線の故障を監視するため人が歩いて入れるようなトンネルです。それをトレンチなどという専門用語を用いるから誤魔化されるのです。(こういう誤魔化しが沢山ありました。)

この事実は炉心冷却用の海水と真水が、原発の敷地の低い部分に大量に流れ出している事を示しています。大変な事態です。

漏れ出した場所は上にある図面の、左の原子炉格納容器の底の部分の配管の繋ぎ部分が割れ、炉心冷却用の海水や真水が建物の外へ流れ出したのでしょう。そして、右側の発電用の復水器の底の部分の配管から流れ出したものとも思います。流れだした箇所は複数あり、その全ては最後まで分からないと考える方が今後の対策上良いと信じます。

さてこのような事態は何故深刻なのでしょうか?2つの理由があります。

(1)本来水が存在していてはいけない配管・配線のためのトンネルへ、炉心からの水が流れだしていた事実は 当然海水の中へ炉心の水が多量に流れ出している事を示しています。それなのに、「海水へ流れた証拠は無い」 と誤魔化しています。水は低きに流れるというコトワザは素人でも知っています。

(2)炉心からの水が海水を汚染しているのに 「炉心冷却のための水の注入」を止める事が出来ないのです。近辺の漁業が壊滅します。これは大変深刻な事態です。

さてこの深刻な事態の解決方法は素人にも分かります。炉心から流れ出る汚染水を可能な限り回収しながら、本来の冷却水循環装置を修理する事です。可能な限りという意味は一部は海へ必ず流れるという意味です。

フランスやアメリカから原発事故の専門家が到着しています。事故現場の復旧作業員も多数準備が出来たようです。あとは長期戦の体制をしっかり作って根気良く汚染水の回収に努力すれば解決です。しかしその間に循環式冷却装置の修理も並行して行わねばいけません。

しかし全体的に考えると鎮静化の方向へゆっくり向かっています。

今日は福島原発の復旧作業に従事している全ての人々の健康をお祈り致します。危険な放射能を浴びないようにお祈り致します。藤山杜人