後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

地震・大津波の後で見た3つの美談

2011年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数日はガソリンの入手困難で車も使えません。終日、テレビを見ています。

その中で見た美談を3つ書きます。ご覧になった方も多いと思います。

(1)ある瓦礫の広がる町の隣で、幸運にも水の入らかったスーパーマーケットの快挙です。地震で店中は足の踏み場も無いのに店先の屋外でお菓子や食料の袋を全て200円で売っていました。罹災者たちが行儀良く行列し、1人5袋まで買っていました。停電でレジが使えないので昔のように現金で売っています。何かを買った老人へ記者が感想を聞くと、「非常に勇気づけられました」と言っていました。このスーパーは一袋300円、400円のお菓子や食品を全て200円で売る事にしたそうです。

(2)ある避難所の前に箱型の大型トラックが停まっています。取材中の記者が何をしてますかと聞いていました。怖い顔をした運転手が話しています。「運送用の大型トラックを持っているので、この際、避難者へこうして食べ物を届けているのです。市役所に食品が山積してあるのですが運ぶ人が居ないのです」と言ってました。自分の家も津波に全て持っていかれてしまったとも話していました。

以上は偶然、私が見ていたテレビに出ていた光景です。このような美談は被害を受けたあちこちであるようです。このような行為は打ちひしがれた罹災者へ大きな精神的な支えにもなっていると信じています。

(3)東京の民間テレビは地震・大津波発生以来、不謹慎なコマーシャルやお笑い芸人のドタバタ番組を一斉に放映しなくなりました。今まで民間テレビの露骨な儲け主義や低俗な番組を困ったものだと思っていました。

しかし今回の民間テレビ局の姿勢に感動しました。私もこれに習って全ての救出活動が完了するまで不謹慎な写真や文章を掲載しないようにします。

日本人の良識に今回ほど感動したことはありません。(続く)


原子力分野の技術者へ聞きたい3つの質問

2011年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

本当は福島第一原発工場の技術者へ聞きたい質問ですが、現場は忙しくてそれどころでは無いと存じます。

この際、原子力発電に関することを冷静に科学的に議論する事が重要と思い、原子力分野の技術者の方々のご協力を期待しています。お教え頂きたい事が3つ御座います。

(1)福島第一原発工場、1号炉から3号炉までの緊急スクラムは正常に作動したようです。そこでお聞きしたいことは、制御棒がその後も損傷を受けずに核連鎖反応を停めているのでしょうか?燃料棒の70%が損傷を受けているという試算が発表されていますが、制御棒も損傷を受けていると考えるのが妥当と思いますが、如何でしょうか?東電の使う図面には制御棒は描きこまれて居ませんが減速材はどのような物質なのでしょうか?

(2)炉心へ海水を注入出来なのは内圧が(数十気圧?と)高いせいだと発表されていますが、それは前から想定される技術上の問題だった筈です。

この原発は50年ほど前にGEが設計したもので、東芝や日立が建設したと聞いています。原発設計の耐用年限の30年も過ぎているそうです。そこでお聞きしたいのは、この50年前の設計では、内圧の高い炉心へ海水を注入出来るようになっていなかったのでしょうか?

(3)1号炉、2号炉、3号炉はたとえメルトダーンしても核燃料は原子炉格納容器の底に溜まり、外部へ放出されるのは極く微量と思います。そうであれば安心です。

ところが4号炉では使用済み核燃料棒が貯蔵用のプールの中に保存されています。

これは水素爆発する度に上空に煙と一緒に舞い上がる可能性が大きいと思います。

貯蔵プールに保管してある核燃料棒の中身が全て上空に舞い上がったとしたら危険ではないでしょうか?

以上、3つの質問について原子力技術者からお教え頂きたいと思います。

よろしくお願い申し上げます。


今回の地震・大津波は第二次大戦敗戦につぐ第二の国難

2011年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真の出典:  http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/1/0/19010/7880/990x639x7f30e78174d2d121468f4231.jpg )

今回の地震と大津波は東北地方の多くの市町村を洗い流し、人的被害も20000人前後と想像を絶する大規模自然災害になりました。家族や家を失った人々が避難所に何十万人もいます。

広大な土地に広がる瓦礫をブルドーザーで整理して、仮設住宅を何十万戸も建てなくてはなりません。学校や病院の建設もしなければいけません。

壊れた道路や堤防、そして港湾の復旧もしなければなりません。上の写真の仙台空港も復興しなければなりません。松島航空自衛隊の基地も津波でやられジェット戦闘機が何機も泥水をかぶりました。

日本は1945年に大きな戦争に敗け、全国の都市は焼け野原になってしまったのです。今回の地震と大津波はこの1945年の敗戦につぐ第二の国難です。

1945年以来、日本人はもう一度立ち上がって、額に汗して努力しました。そして見事に復興したのです。

今回の大規模災害でも必ずや日本人は復興するでしょう。一致団結して努力すべきではないでしょうか?復興に必要な資金は全国民が負担したら良いと信じています。

その為には大津波災害復興税金として消費税を2%以上増やすのも良い方法でしょう。勿論、罹災した人々へは「罹災証明書」を出して税を免除します。

多くの人々は罹災者支援の為の寄付をしました。これからも寄付がどんどん増えるでしょう。しかし寄付だけではなく「復興税」も新設したほうが良いと信じています。

外国からも温かい支援の申し出があります。96ケ国もの国々からです。

尖閣諸島で厳しいことをしていた中国の温首相も中国の地震災害への日本の救援隊の立派さを紹介した上で、どんな支援でもすると言明しています。

一致団結してこの第二の国難に立ち向かいましょう。家族や家々を失った人々がもう一度立ちあがって復興へ気持ちが向くようになることを祈っています。

今日は今回の地震と大津波で亡くなった方々のために心からお祈りをしたいと思います。藤山杜人