@霞ヶ浦の佃煮への郷愁
霞ヶ浦の周りにはハス田が広がり、夏には大輪の白い花が風に揺れる。ハスの葉の波に浮かぶ向こうに鰻(ウナギ)屋の看板が見える。天然仕立てのウナギは茨城風の濃い味で香ばしく仕上げてある。季節によっては川エビのてんぷら、芝エビのかま揚げ、透明な生の白魚の刺身、ドジョウの柳川鍋などが供せられる。
クルーザーで沖宿の港へ行き、の中を歩くと、湖の魚の佃煮を売っている古い店がある。ワカサギ、小ブナ、ハゼのような小魚、小エビなどの佃煮が種類別に、少しずつ味付けを違えて、昔風のガラスケースに並べてある。分別しない小魚、小エビ類を一緒に佃煮にしたものもある。
以前は、沖宿まで行かないと霞ヶ浦の佃煮が手に入らないものと思い込んでいた。ところが、土浦駅近くの通りに何軒も佃煮専門の店があることが分かった。
思えば、昔、肉や卵が貴重で入手できず、佃煮でご飯を何杯も食べていたものであった。その時代、佃煮の詰め合わせが贈答用としてもてはやされていたことを思い出す。最近、佃煮を買うたびにセピア色の写真を見るような郷愁を覚える。佃煮を買っては食べ残し、また買うのは郷愁を買っているのだ。
@ライン河のウナギ
ドイツに住んでいた1969から1970年、魚をよく食べた。ニシンやマスは小麦粉をまぶしてムニエルにする。うろこがほとんどないドイツのコイは溶いた小麦粉をつけて煮え立つ油でカラリと揚げる。タラの切り身はムニエルやポアレ。ノルウエー産サケの切り身は高級な塩引きになる。ニシンは香草とともに酢づけにしてガラス瓶に密閉して売っている。
ウナギは燻製にするか、生のままぶつ切にしてアールズッペというスープにする。ある時、ライン河の生きたウナギが市場でうごめいていた。購入し、下手ながらも三枚におろして蒸し上げ、醤油、砂糖、日本酒で作ったタレをかけオーブンで焼き上げる。香ばしい匂いが家中に漂う。
大きな期待で食べたら不味い!ライン河のウナギは小骨が硬く、蛇を想像させるような野生の嫌な匂いがして食べられたものでない。用意した高級なモーゼルワインも台無し。土浦の天然仕立てウナギを食べるたびに、ラインウナギのまずさを思い出して苦笑を禁じえない。
下の写真はライン河の風景で、出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%B7%9Dです。
@美味しいマテエステー・ヘリングと不味いもの
ドイツの魚文化で特筆すべき一品がある。生のニシンを琵琶湖のフナずしのように発酵させたものである。マテイエステー・ヘリングという。イカの塩辛とくさやの干物をミキサーにかけたような味である。はじめは臭くて食べられない。しかし、たいていのレストランのメニューにあり、腐ったような感じのグチャグチャに身が崩れた一匹が大きな皿に出てくる。結構高価である。はじめは辟易(へきえき)したが、二、三回食べて病みつきになってしまった。
しかし、マテエステー・ヘリングにも上出来や失敗作もある。上出来なものは臭いが高貴な味がする。出来損ないは腐ったような味がするだけである。日本では一度も見たことがない。どこの国にも、どこの地方にも独特な魚の食文化があり、われわれの人生を味わい深いものにしている。
詰まらない話しですが、自分にとっては懐かしい思い出です。失礼しました。
男兄弟ばかりの家でしたので雛人形はありませんでした。その上、戦中、戦後の食料難と貧しい生活が続いて居たので、雛人形など見た事がありません。
しかし絵本などで雛人形を見ると訳も無く魅了され心が躍ったものです。裕福な家への憧れや少女への憧れが混じった感情です。その興奮がが3月中続きました。雛人形のある家の少女は皆美少女と思い込んでいたのですから、今考えると滑稽ですね。
しかし毎年、5月になると親父が、とても長い丸太を家の前の高台に立て大きな鯉幟を上げたものです。真鯉も緋鯉も吹き流しも大きく、堂々としていて、5月の風に空を泳いでいました。それで3月の雛人形の事は忘れてしまいます。
昨日はお雛様なのでチラシ寿司とハマグリの吸い物が出ました。そこで改めて秀月の雛人形の写真を検索して下の写真を見つけました。三人官女や五人囃子や右近の桜、左近の桜などという懐かしい名前が出ている写真です。暫く雛人形を飾らなくなった高齢の方々には懐かしい言葉と思います。そして昔の楽しかった頃を思い出して下さい。
1961年にオハイオ州で結婚しました。最初の娘はエリー湖のそばで生まれたので絵里(エリ)と名づけました。初節句には家内が紙雛を作って飾りました。
1962年の秋に帰国し、次の年の3月になりました。ある日、仕事から帰宅してみると小さな自宅の6畳間に赤い毛氈が敷いてあり、その上に上の写真の様なお雛様が飾ってあります。その時ほど驚いた事はありません。聞けば妻が実家にしまっていたひな飾りを持ってきた事が分かりました。
結婚して家内に感謝する事が沢山ありますが、雛飾りもその一つです。少年の頃から秘かに憧れていた雛が自分の家の中にあるのです。
それから数年、3月になると雛飾りが出てきました。しかし湿気の多い物置に保管していたので傷んでしまいました。それで雛人形で有名な土地の岩槻へ人形を見に行きました。よく見ると店によってそれぞれ人形の表情や衣装が違います。その頃は薄給でしたので五段飾りは無理で、見るだけで帰ってきたものです。雛人形は買えないので代わりに妻の好物のウナギの蒲焼を食べて帰りました。
そのうち内裏様と御雛様の2人だけがガラスケースに入ったものが我が家に引っ越して来てくれました。老妻は現在でも毎年2月末になるとそれを取り出し、「うれしいひなまつり」の歌をくちずさみながら飾りつけます。3月3日には男ばかりの孫を呼んで、甘酒や雛アラレを食べさせています。女の孫がいないので少し寂しそうです。そのうち男3人の孫も成長し、雛人形には興味が無くなりました。しかし祖母を喜ばそうとお付き合いをしてくれています。
お雛様の節句が過ぎると、老妻が、「早く仕舞わないとお嫁に行き遅れる」と独りごとを呟きながら包んで蔵います。娘はとっくに嫁に行ったというのに。高い棚に上げるのは私の役目です。
今年もこうしてお雛様の節句も過ぎて行きます。あの世にはお雛様の節句があるのでしょうか?
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人