1964年、東京オリンピックの時、ボート競技の幾つかは相模湖で行われたのです。新しい艇庫やボートをつける浮き桟橋が出来、沖の岬の左手には審判用の鉄骨の櫓が出来ました。あの頃は観光客が相模湖へ集まって、賑やかな盛り場のようだったのです。
あれから茫々47年になります。今日の散歩に大垂水峠を越して久しぶりに行きました。観光客が群れていた湖岸には誰もいなくて、それは淋しい光景でした。
フト見ると、左手の沖の岬に、オリンピックの時の審判用の鉄骨の櫓がまだ残っています。早速撮った写真を下に示します。
観光船の発着桟橋のそばには食堂や土産物店が10数軒並んでいました。何時行っても大きな拡声器で流行歌が流れていて、昼間からコップ酒を飲んでいるオジサン達が居たものです。
そのうち中央高速道路が出来ると観光客は相模湖をすどうりして富士五湖へ行くようになりました。下町の盛り場のような雰囲気の相模湖は次第に時代遅れになり、観光客がドンドン減っていったのです。それでも私達は子供連れで相模湖へは良く行きました。観光船に乗ったり、手漕ぎのボートに乗ったりしたものです。冬に行くと相模湖で獲れたワカサギの天麩羅定食が美味しかったものです。
あの頃の相模湖が懐かしくて船着き場の方向の風景を撮りました。下の写真です。散歩は湖岸に沿ってかなり歩き廻りました。
湖岸のベンチで家内と昔話をしながら持参の弁当を食べました。空は何時までも暗い梅雨空で、晴れあがる様子がありません。何となく元気がなくなり大垂水峠をまた登って帰ってきました。途中、イギリス製のスポーツカーが追い越して行きました。下の写真にそのスポーツカーが写っています。
それで何故かまた元気が出て来ました。そんな梅雨の間のドライブでした。
それにしても観光地の盛衰の激しさには驚きます。皆様の近所の観光地はいかがでしょうか?
道端や山林に何気なく咲いている花を見るたびにあの人の事を必ず思い出します。私よりも15歳以上も年上のスウェーデンの工科大学のエケトロプ教授のことです。小さな花々が好きで自宅の庭に一面に咲かせていました。
それは1972年の夏のことでした。自宅へ泊めてくれ、花々の話をしてくれました。緯度の高いストックホルムでは高山植物の花々が自宅の庭に一斉に咲きます
イワカガミ、コマクサ、ミヤマウスユキソウ、チングルマに良く似た花々が裏庭一面に咲き乱れているのです。庭に面したテラスに坐ってビールを飲みながら、いつまでも暮れない白夜の花園を眺めていました。
「驚きました。日本では高山にしか咲かない花々が低地の庭に咲くのですね」、と私。
「緯度が高いのでそうなのでしょう。でも良く見ると花々は日本のものとは違う筈です。植物は気候と土地の成分の違いによって同じ種類でも違った外見に育ちます。名前も地方によって違うのが普通ですね」、と静かに彼が説明します。
「西洋の花々は色鮮やかで派手な花が多いのにこんな素朴な美しさを持っている花々もあるのですね?」。そして私は続けます、 「日本人は野生のニホンサクラソウやスミレ、ナデシコのように小さくて可憐な花が好きです。西洋人は薔薇やチューリップ、ガーベラのように、どちらかというと、派手で装飾的な花が好きなのだと思います」。
エケトロプ教授が言います、「しかし、西洋人にも小さな野の花々を愛する人が多いのです。この裏庭に小さくて可憐な花を咲かすにも結構、苦労が多いのです。雑草を根気良く取ったり、花々に合った肥料を秋の間に撒いたりするのです。すると次の年の初夏にこのように一斉に咲くのです。美しい花々を大切にする心は民族の違いに関係なく人類共通の本質です」。
そして彼は何度も行った日本での思い出を話します。美しい日本風の庭の話もしてくれました。
夕食後の庭は白夜です。いつまで話し合っていても暗くなりません。ほの明るい夜目に、一面の花々が「高山のお花畑」のように輝いているのです。
裏庭の花々に囲まれて一緒にビールを飲んだ事を何度も、何度も思い出します。エケトロプ教授は1990年に旅立って行ってしまいました。
下の写真は昨日行った武蔵国分寺資料館の庭さきです。エケトロプ教授が喜びそうな小さな、静かなたたずまいなので彼の所へ持って行って見せる為に写真をとりました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人