後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日の散歩・・・浅間山の暗い雑木林の中をさまよう

2011年06月26日 | 写真

先程、近所の浅間山に登り、梅雨空で暗い雑木林の中をさまよって来ました。湿った空気が流れていました。

家に帰り、暗い雑木林の写真をコンピューターへ取り込むとき失敗して全て消えてしまいました。代わりに家の庭の今日のアジサイの花の写真をお送りいたします。ごめんなさい。

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暖かい人間の絆・・・その不思議さ

2011年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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上の3枚の写真を見ると2人の神父さんが写っています。白髪の混じった中年の神父さんと若い黒髪の神父さんです。ベトナム出身のゴ・クアン・ディン神父さんと最近、神父に叙階された谷口神父さんです。

この2人の温かい関係を見て、信者達が感銘を受けたのです。先輩が後輩を尊敬して、育てていたのです。弟子を尊敬しながら指導している様子を見ると感動するものです。

2年程前に神学生だった谷口さんが毎週日曜日、小金井教会へ来てミサを手伝ってきました。若い神学生でしたが時々説教もしました。ユーモア溢れる説教にはイエス様への信頼が詰まっていて信者たちから評判の良い若人でした。

そのような小金井教会へ、昨年11月に外国人だったゴ・クアン・ディン神父さんが主任司祭として着任して来ました。谷口神学生との関係はどうなるかなと私は少し心配していました。それは信心の浅い私の俗な心配です。ディン神父さんは事ごとに谷口さんを引き立て、ミサの時には説教のチャンスを与えて、それとなく面倒を見ているのです。

そして3月に谷口さんの出身地の福岡で叙階式をする事になりました。それを一番喜んでいたのがディン神父さんです。ミサの度に叙階式の場所と日時を嬉しそうに話していました。そして叙階式の時には遠方の福岡まで出かけて行ったのです。

そして若い谷口神父様を始めての着任先の福岡県の新田原カトリック教会からご招待して、昨日と今日のミサの司式をして頂いたのです。今日のミサの後、小金井教会信者一同からの花束と記念品代を贈呈しました。そして屋外で歓迎パーティをしたのです。これらはディン神父さんが先頭だって行ったに違いありません。一番嬉しそうにしていたのがディン神父さんだったので私が勝手にそう考えているだけですが。

考えて見るとディン神父さんと若い谷口さんとの関係は昨年11月から今年の2月末までのたった4ケ月間だけだったのです。それなのにこのような温かい絆で結ばれたのです。人間の絆は不思議なものです。その温かい絆を見て、小金井の信者は深い感銘を受けているのです。神父さんを一層尊敬したくなります。一層親しみを感じます。

谷口神父の今日の説教もユーモアあるものでした。高校時代に野球をし過ぎて、今でも時々腰に痛みが出るそうです。新しく着任した福岡県東部の新田原カトリック教会の信者に素晴らしい整体師が居て、腰を揉んで治療をしてくれるそうです。そしてイエス様の聖体は私たちの体の中に入って来て、体の内側から心の悪い所や痛みを整体師のように癒してくれるのです。「聖体と整体のダジャレなのです。お分かりですか?」と話を続けます。一同、大笑いします。そう言えば私たちは「イエスの体」とパンを頂き、食べます。上から3番目の写真がディン神父と谷口神父が並んで「イエスの体」と言いながら一人一人へ小さな圧縮パンを手渡している場面の写真です。

谷口神父が着任した福岡県の東部の教会には五島列島から集団で移住して来た人々が多いとも言っていました。信者の数が多くて教会名簿には2500人も居るそうです。しかし名前ばかりで教会に来ない人も多いようです。その人々を谷口神父は隠れキリシタンと言ってました、また一同笑います。隠れキリシタンの子孫がまた隠れたのです。可笑しくありませんか?蛇足でした。失礼しました。(終り)

尚、ゴ・クアン・ディン神父さんの事については下の2つの記事をご覧下さい。

教会は大きな家族のように楽しい集まりです

ゴ・クアン・ディン神父様と私の罪悪感の解消のことなど

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私の宗教にかかわる遍歴(4)神学校や修道院へ気楽に遊びに行く

2011年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

日本にはキリスト教徒が3%しかいません。3%もいますと書くべきかもしれませんが。

教義が難しいとか、お釈迦さまの教えとはなじまないとかいろいろな意見もあります。そのような意見や評論は一見、本質的なように見えます。

しかし私はそのような評論は宗教の本質を見誤った机上の空論と信じています。

子供のころから神社の境内で遊び回る。お寺の裏の墓地で悪戯遊びをする。それを神主さんや住職さんが叱らないで、ニコニコして見ている。

神社やお寺さんの祭礼の日には出店が出て、子供の喜ぶようなモノを沢山売っている。夜店はカンテラの灯があやしく輝き子供心を躍らせる。

宗教は習俗です。伝承です。日本の神社やお寺はそのようにして増えていったのです。お釈迦様の教えは、誰も教えません。大人になってから本を読んで勉強します。

キリスト教組織の致命的な欠陥は、気軽な遊び場を提供しないで、いきなりイエス様の教えの説明をする事にあります。

そのように思っていた私は昨年、神学校や修道院へ遊びに行きました。

車で40くらいの所にありました。途中の車の中で私は昔の神社の境内や夜店の楽しさを思い出して、とても幸せな気分でした。ああ、訪問するのが遅すぎたとも思いました。でも懐かしい親類の家に遊びに行くように楽しい気分でした。

下に神学校と修道院の訪問記をご紹介いたします。お気軽に読み流して頂ければ嬉しく存じます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

=========神学院の学園祭===============

昨年の11月に、練馬区の関町にあるカトリックの神学院で学園祭がありました。他の大学の学園祭と違う所は数百人の参加者による大きなミサから始まります。神学生の家族や、いろいろな教会からの信者が一堂に集まって捧げるミサです。全て初対面の人々ですが何故か昔からの知り合いのような気がします。思いがけず楽しいミサに参加出来て幸福感に包まれました。その後は普通の大学の学園祭と同じようにカレーやホットドックの店などがずらりと並んでいます。ヤキトリ、ヤキイモ、ポップコーン、もあります。建物に入ると教室には各神学生の作った展示物が並んでいます。神学校の歴史を説明した展示もあります。いつも小金井教会へ来て助けてくれているTG神学生の写真や略歴も貼ってありました。

学校は1万坪くらいでしょうか、建物がいかにもイエズス会の修道院風で風情があります。神学生の家族や知人、友人がみんな楽しそうにしています。

そんな風景の写真をお送りいたします。尚、一番下右の写真の真ん中に立っている神学生が今年の3月に神父として叙階された谷口神父さんの神学生時代の写真です。その左の写真の白い神学制服を着た人はフィリッピンのある宣教会から派遣されたホセさんです。

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=========イエズス会石神井修道院===========

昨年の5月に思い立って、イエズス会石神井修道院を訪問しました。

ところが、お会いして下さった塩谷恵策神父様に感銘を受け気楽な遊びの気分が無くなりました。博識な上、学問的に体系化された修道院の歴史を明快にご説明して下さいました。何も知らない小生へ分かり易くお話して下さったのです。

イエズス会士にお会いするのは初めてでした。昔から東洋文庫で中国や日本のイエズス会の会員の活躍を読んでいました。イエズス会士に会えるだけで興奮したのですが、お話の内容があまりにも感動的でした。これから少し調べたり、考えたりしてから記事として数回に纏めて見たいと思います。イエズス会の歴史、修道院の種類とそれぞれの役割、ヨーロッパ文化が投影されている教会組織と修道院の関係などを考えて、整理して記事に出来れば幸いと思っています。

今日は取りあえず、4枚の写真をお送りいたします。

上から順に、石神井修道院の書面玄関、船越保武氏作の和風姿のマリア様、石神井修道院の主聖堂、塩谷恵策神父様の御写真の4枚です。

なお船越保武氏は長崎の公園にある26聖人像を造った芸術家で、それに対して高村光太郎賞が1962年に与えられています。敬虔なカトリック信者で東京芸大の教授も務めました。

まず4枚の写真だけをお送りいたします。007 011 015 010