後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の政治には本当に落胆してしまいました!

2011年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

大地震、大津波、そして福島原発の大事故で多くの人々が被災しました。そして被災者を支援するために多数のボランティアが馳せ参じ、汗水流して居ます。

それなのに政治家達は大災害の被災者をそっちのけで、実に見苦しい権力闘争をしています。野党以上におぞましいのは同じ民主党の小沢一派や鳩山一派です。菅直人さんを倒して、自分達が権力の中心へ帰り咲うとしています。目を覆いたくなるような光景です。

菅直人という人にもガッカリしました。かれは二重の意味で男らしくない、腐ったような男です。不信任案が通過するのを怖がって、「辞めるような」発言をしました。小沢一派と妥協したのです。そんなひ弱な事ではいけません。小沢一派を切り捨てた上で、堂々と勝負に出るべきでした。それで不信任案が通過してしまったら、男らしく解散して国民へ信を問えば良いだけの事でした。

さらに恥の上塗りをしたのは辞める時期を引き延ばし、詐欺師かペテン師のような雰囲気を出してしまった事です。辞めると言った以上は、男らしくサッパリと辞めれば良いだけの事です。見苦しい極みです。

ここ数日は新聞を見るのが厭になりました。おぞましいニュースを見たくないのです。

解決方法は思考停止です。考えない事です。忘れる事です。

従来の自民党の時代にも首相がコロコロ変わったのです。それでも日本はそれ程ひどい国にならなかったではありませんか?働いている皆が努力しているからです。政治家はあまり大きな影響を与えていなかったのです。

政治家の事を忘れて、被災地の人々へ心を寄せましょう。そして祈りましょう。不幸にして亡くなられた人々のご冥福を。

被災した人々が少しでも明るい希望を持つようにと祈りましょう。

日本が良い国になりますように祈っています。(終り)


ふるさと仙台にまつわるエピソード(1)ベーブ・ルースが来て2本のホームラン

2011年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ふるさと仙台に大きな地方新聞社があります。河北新報社です。そこで長い間、記者をしていた石澤友隆さんが「八木山物語」という本を河北新報出版センターから出しました。仙台の江戸末期、明治大正昭和の郷土の気軽な歴史物語です。仙台に住む弟が送ってくれたこの本を読んでみると、自分があまりにも故郷の事を知らなすぎたことに愕然とします。戦中、戦後の混乱のなかで育ったので郷土のことなど誰にも教えて貰いませんでした。焼け野原になった町々と食料難の事しか思い出せません。

そんな私に、石澤友隆さんの「八木山物語」はいろいろ思い白いお話をしてくれます。自分の少年だった頃の薄れがちな思い出とつなぎ合わせながら、幾つかの面白いエピソードを書き続けたいと思います。

それは昭和9年11月9日の寒い朝でした。ベーブ・ルースやルース・ゲーリックをまじえた米大リーグ選抜チームが函館から仙台駅に着きました。仙台の城山の後に広がる八木山球場で全日本チームと試合をしたのです。

試合は好天に恵まれ、米国選手の灰色のユニホームに真紅のレザーコート姿が八木山球場の周りの森の緑と鮮やかなコントラストをつくり美しい風景です。アメリカチームはあわせて5本のホームランを打ったのです。ルースは日本に来て初めて2本のホームラン打ったほか、ゲーリック、フォックス、ミラーは各一本打ちました。試合は7対ゼロで米チームの圧勝です。

この年、日本の野球界にとっては画期的な事が起きました。年末に我が国初めてのプロ野球チーム、大日本東京野球倶楽部(巨人軍の前身)が創立されたのです。投手の沢村栄治、スタルヒン、内野手の三原脩、水原茂などの19名です。そして翌年6つの球団が生まれたのです。

それから茫々70有余年、プロ野球チームの楽天が来たのです。仙台の市民は戦前にベーブ・ルースが八木山球場で2本のホームランを打ったことを語り継いでいます。そして楽天を応援しているのです。

少年の頃、私はしばしば八木山球場へ遊びに行きました。戦争一色で誰も野球などしません。放置され荒れ放題です。スタンドの盛り土が崩れ、内野席の前にあった鉄製の網は供出され、崩れた白いコンクリートの台座だけが広がっていました。

広い赤土の内野、外野をわけもなく走って遊びました。ベーブルースのホームランは伝説のように私は知っていなした。子供ながら旧懐の想いをしながら遊んだ思い出があります。その場所は現在、仙台市立動物園になっています。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りもうしあげます。 藤山杜人