後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

私の宗教にかかわる遍歴(3)神社や神道とのかかわり (続き)

2011年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

富士山を神と信じ、富士山へ登れは神のふところに抱かれて、神と自分が一体になるのです。神様が自分の体に乗り移ってくれるのです。自分の人間としての汚さを洗い流してくれるのです。「六根清浄、お山は晴天」と唱えながら杖をつき、白い装束で一列になって登るのです。

これは深い、深い宗教的な境地なのです。キリスト教でもイエス様が自分の身の中に居るという表現を使う時があります。何か勇気がいる事を行う時、自分が行うのではなくイエス様が行ってくれるのだと意識します。そうすると不思議に心配が無くなり正しい事が出来るようになるのです。

このように神と自分の合体感を得る体験はどんな宗教でも重要な事としています。その為の修業の方法がいろいろ決まっているのです。神道と仏教とが習合して修験道が出来あがりました。

宗教のことをあまり知らない人は、「修業すれば人は誰でも良い人間になれる」と言います。それは半分嘘で、半分しか正しくありません。いくら修業を積んでも偉くなれない多くの人間が居ます。その一方で、修業を積んで偉くなる人もいます。

ここで重要な事は結果でなく、修業中の人間はその間だけでも善人になれる事なのです。いかなる悪人でも善人になれるとはこういう意味なのです。神道にはそのように深い宗教性があるのですね。下の写真からご想像頂けたら嬉しく思います。

(写真の出典は、http://www.fusokyo.org/activity.html です。)

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私の宗教にかかわる遍歴(3)神社や神道とのかかわり

2011年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

日本人なら誰でも幼少の頃、神社の境内で遊んだ事があると思います。そこはいつ行っても清潔で、子供が遊び回っても叱られない自由な空間です。特に神主さんが住んで居ない神社は蝉取りをしようが、三角ベースの野球をしようが誰にも叱られません。

祭礼の日になると日頃の腕白ぶりをやめ、何事も無かったように行儀よく出店を見て楽しみました。その恩返しに元旦にお賽銭を持ってお参りに行ったものです。

戦争が激しくなってからは神社の境内で遊ぶことは禁止になりました。神社の前を通る時は立ち止まり、帽子をとってお辞儀をするように命じられました。

老年になった現在でも神社を見ると入って行ってお賽銭を上げます。幼少の頃に遊ばせてくれた恩返しのつもりです。神社や神道は日本古来の宗教です。山や木や、偉い人がご神体として祀ってあります。家内安全や五穀豊穣を願ってお祈りします。自分の死後、天国へ行けるようにと欲張りなお祈りはしません。ようするに仏教やキリスト教のように首尾一貫した教義があまり無いのです。日本という土地に自然に生まれ、人々に自然に親しまれてきた宗教です。

数日前に、富士吉田を通ったとき北口浅間神社に寄り、一休みしました。その折に撮った写真をお送りします。富士山を神とあがめ、信仰する神社で、特に江戸の人々の信仰を集めた神社です。

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=======日本にある神社の神々による分類==========

日本の全ての神社で祀られている神によって分類し、数の多いのからランキングを付けてた学問的研究が国学院大学の岡田教授によってなされました。

詳しくは、http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/gb01-8.htm にあります。一番多い神社は八幡さまで、続いて、伊勢神社系、菅原道真を祀る天満宮系、そして4位がお稲荷さんを祀った稲荷神社系となります。そして熊野神社系、諏訪神社系へと数が少なくなって行きます。

======富士山信仰の神社の説明===============

浅間信仰(富士浅間信仰)の核となる浅間神社は、富士山の神霊として考えられている浅間大神を祀る神社である。静岡県および山梨県を中心として全国に約1300社の(富士神社)が分布する。富士山8合目以上の大半の境内(詳細は富士山本宮浅間大社にて)とする「富士山本宮浅間大社」(静岡県富士宮市)を総本社としているが、東口本宮富士浅間神社(静岡県駿東郡小山町)や、北口本宮富士浅間神社(山梨県富士吉田市)を総本社とする考えもある。

浅間大神は、木花咲耶姫命のことだとされるのが一般的である。浅間神社の祭神がコノハナノサクヤビメとなった経緯としては、コノハナノサクヤビメの出産に関わりがあるとされ、火中出産から「火の神」とされることがある。しかし、富士山本宮浅間大社の社伝では火を鎮める「水の神」とされている。しかし、いつ頃から富士山の神が木花開耶姫命とされるようになったかは明らかではない。多くの浅間神社のなかには、木花咲耶姫命の父神である大山祇神や、姉神である磐長姫命を主祭神とする浅間神社もある。浅間神社の中には、浅間造りと呼ばれる特殊な複合社殿形式を持つものもある。浅間大神は神仏習合によって、浅間大菩薩と呼ばれることもある。詳しくはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E4%BF%A1%E4%BB%B0をご覧下さい。

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以上のように日本人と神社や神道とのかかわりは軽やかで一見重要でないようにも見えます。しかし神社や神道は日本民族の重要な文化の一部なのです。

また富士山信仰の故に白装束で列を作って登るとなると、そこには深い宗教的境地が体験出来るのです。その事についてはこの記事の続きとして書きたいと存じます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人