後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

江戸時代には絶対に無かった日本の風景、そして昔から変わらぬ風景

2011年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

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人々は写真を何故撮るのでしょうか?感動した光景を記録して忘れないようにするのでしょうか?もう一つの目的は自分の感動したことを人々へ伝えようという目的もあります。写真を撮る時、私は何を伝えようとしているか明確に意識することが多いのです。

風景写真を撮る時に単に美しい風景だからという理由で撮ることはまれなのです。そのような写真はよほど撮影技術が良くなければ撮ることが出来ないのです。

一昨日、私は「江戸時代には絶対に存在しなかった風景」に出合いました。上は伊東マリン・タウンの風景です。ヨットやモーターボートは江戸時代の日本に存在していませんでした。右手のカラフルな建物群も最近の建築様式です。

そうなるとマリンタウンと対称的な、そして昔の人々が見て感動したであろう風景を探して見たくなります。そうして見つけたのが溶岩で出来た断崖と、それに砕ける波頭の風景写真です。

下の2枚の写真が昔変わらぬ風景写真です。城ケ崎の溶岩絶壁は3700年前に噴火した大室山から流れ下った溶岩で出来たものです。伊豆半島には大小60ケの火山が有るそうです。大室山と小室山がやく3700前に出来、他は全てそれより古い年代に噴火しました。
時代の流れを写真に撮る。それがこの3枚の組写真のテーマです。城ケ崎の写真を撮る時は家内に電線や電柱や鋼鉄製の吊り橋は写らないように注意します。人物も入らないようにします。服装が江戸時代とはあまりにも違うからです。

このように、日本の風景写真を撮る時、私は日本古来の風景と、文明開化以後の風景とを分けて撮影するようにしています。つまらない事ですが、それが私の趣味の一つなのです。失礼しました。

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伊豆の城ケ崎に咲くアジサイの写真をお楽しみ下さい

2011年06月16日 | インポート

何故かアジサイの花が好きです。ボンヤリした美しさが好きです。しかしよく見ると花びらの形や色合いがいろいろです。一番上の写真ははるか遠方の岩礁の上の絶壁に群生していたアジサイをズームで撮ったものです。暗い梅雨空で写真の出来は良くありませんが、肉眼では鮮明に見えました。あとの写真は城ケ崎の遊歩道や別荘地に咲いていたアジサイです。一昨日家内が撮りました。

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世界中の人々が日本人を愛している(一)大震災でそれが実感出来ました

2011年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

3月11日の大震災は我々日本人にとって大きな悲しい運命でした。心が痛み、希望を失い、暗い気持ちが続きました。

しかし僅かながら明るい希望の光が射しはじめ、それが次第に大きくなりました。悲しみが薄れ、次第、次第に前向きの気持ちが湧いてきました。その原因は(私にとっては)数多くの外国の国々からのボランティアの来日と義捐金の到着でした。経済的に苦しい国々からも人々の心のこもった義捐金が届いたのです。外国の大統領や皇族が被災地を訪問して人々を勇気づけたのです。

そうです。世界中の人々が日本人を強く愛していたのです。それが今回の大震災で実感出来たのです。今まで日本人が外国人に愛されているとは考えもしなかったことです。むしろ経済の事だけを考える日本人として忌み嫌われていたと思っていました。そこで私は何故、外国の人々がこんなにも暖かい心を送ってくれるのかと考えて見ました。下にその原因と思える過去の日本人の行為を書いてみます

(1)多くの国際的ボランティアが世界の果てまで行って現地の生活を支援して来たのです。

私は1995年頃、ある必要があって国際ボランティア団体の事務所を数か所訪問して、活動内容や資金の出所を調査した経験があります。当時はNGOと言ってました。資金の半分くらいは個人からの寄付です。後の半分は驚くなかれ、外務省から出ていたのです。

(2)巨額の政府援助(ODA)が世界中の発展途上国へ長年送られて来たのです。

ODAは相手国の偉い人の懐に入るだけだとか、結局儲かるのは日本の建設会社だとか非難の多い政策です。しかしその一部でも相手国の人々へまで支援が届いても、その金額は大きかったのです。為替レートのせいで大きいのです。彼等はそれで小学校を整備し、通学路を建設したのです。井戸を掘り、農業用水の水路を引く技術を教え、農機具の使い方を伝えました。ダムを作り、発電所を作り、家々には電燈がついたのです。テレビも見えるようになりました。

(3)JICAから世界中へ若者が派遣され、現地の人々へ生活向上の為の技術を伝えたのです。

このJICAは外務省の外郭団体で、お金は100%外務省から出ています。いろいろな技術をもった若者を募集して2年から5年間、発展途上国へ棲みついて人々と仲良くなり技術を伝授するのです。田畑へ水を引く水路の作り方から農機具の使い方などあらゆることを教えます。このJICAから派遣される若者の総数は想像以上に多いのです。私は中国に小さな技術移転のセンターを作ろうとして、当時、新宿にあったJICAの本部へ何度も足を運びました。結局私の計画は失敗しましたが、本部で会った人々の献身的な活動には感動しました。本部の人も現地へ住みついた経験者が多かったのです。

日本人が世界中の人々に愛されている原因はもっとあります。今回の記事が長くなりますので、それについては続編で書きます。

今回は民間の国際ボランティアの活動と外務省の取り組みだけをご紹介しました。下に、モンゴル人のMunkh-Uulさんからのメールをご紹介します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

========Munkh-Uulさんからのメール========

藤山杜人さん、こんにちは。母国モンゴルについての紹介へ感謝致します。

東日本大震災に際して、多くの一般のモンゴル人は日本の皆様の痛みを深く受け止めています。そこでモンゴル全国の8歳の子供から80歳の年寄りまで、一日の給料を義捐金として集め、3月にお送り致しました。

思い返すと、1990年に民主化の革命があり、大変な混乱に陥りました。電力不足と経済混乱が続き、商店には塩と石鹸しか無いかったのです。その折に日本の国民は手を伸ばし、大規模な支援をしてくれたのです。その事をモンゴル人は決して忘れず感謝しています。東日本大震災の被災地の人々が一日も早く普段の生活に戻れるように心からお祈り申し上げます。 Munkh-Uulより

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