3月11日の大震災は我々日本人にとって大きな悲しい運命でした。心が痛み、希望を失い、暗い気持ちが続きました。
しかし僅かながら明るい希望の光が射しはじめ、それが次第に大きくなりました。悲しみが薄れ、次第、次第に前向きの気持ちが湧いてきました。その原因は(私にとっては)数多くの外国の国々からのボランティアの来日と義捐金の到着でした。経済的に苦しい国々からも人々の心のこもった義捐金が届いたのです。外国の大統領や皇族が被災地を訪問して人々を勇気づけたのです。
そうです。世界中の人々が日本人を強く愛していたのです。それが今回の大震災で実感出来たのです。今まで日本人が外国人に愛されているとは考えもしなかったことです。むしろ経済の事だけを考える日本人として忌み嫌われていたと思っていました。そこで私は何故、外国の人々がこんなにも暖かい心を送ってくれるのかと考えて見ました。下にその原因と思える過去の日本人の行為を書いてみます。
(1)多くの国際的ボランティアが世界の果てまで行って現地の生活を支援して来たのです。
私は1995年頃、ある必要があって国際ボランティア団体の事務所を数か所訪問して、活動内容や資金の出所を調査した経験があります。当時はNGOと言ってました。資金の半分くらいは個人からの寄付です。後の半分は驚くなかれ、外務省から出ていたのです。
(2)巨額の政府援助(ODA)が世界中の発展途上国へ長年送られて来たのです。
ODAは相手国の偉い人の懐に入るだけだとか、結局儲かるのは日本の建設会社だとか非難の多い政策です。しかしその一部でも相手国の人々へまで支援が届いても、その金額は大きかったのです。為替レートのせいで大きいのです。彼等はそれで小学校を整備し、通学路を建設したのです。井戸を掘り、農業用水の水路を引く技術を教え、農機具の使い方を伝えました。ダムを作り、発電所を作り、家々には電燈がついたのです。テレビも見えるようになりました。
(3)JICAから世界中へ若者が派遣され、現地の人々へ生活向上の為の技術を伝えたのです。
このJICAは外務省の外郭団体で、お金は100%外務省から出ています。いろいろな技術をもった若者を募集して2年から5年間、発展途上国へ棲みついて人々と仲良くなり技術を伝授するのです。田畑へ水を引く水路の作り方から農機具の使い方などあらゆることを教えます。このJICAから派遣される若者の総数は想像以上に多いのです。私は中国に小さな技術移転のセンターを作ろうとして、当時、新宿にあったJICAの本部へ何度も足を運びました。結局私の計画は失敗しましたが、本部で会った人々の献身的な活動には感動しました。本部の人も現地へ住みついた経験者が多かったのです。
日本人が世界中の人々に愛されている原因はもっとあります。今回の記事が長くなりますので、それについては続編で書きます。
今回は民間の国際ボランティアの活動と外務省の取り組みだけをご紹介しました。下に、モンゴル人のMunkh-Uulさんからのメールをご紹介します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
========Munkh-Uulさんからのメール========
藤山杜人さん、こんにちは。母国モンゴルについての紹介へ感謝致します。
東日本大震災に際して、多くの一般のモンゴル人は日本の皆様の痛みを深く受け止めています。そこでモンゴル全国の8歳の子供から80歳の年寄りまで、一日の給料を義捐金として集め、3月にお送り致しました。
思い返すと、1990年に民主化の革命があり、大変な混乱に陥りました。電力不足と経済混乱が続き、商店には塩と石鹸しか無いかったのです。その折に日本の国民は手を伸ばし、大規模な支援をしてくれたのです。その事をモンゴル人は決して忘れず感謝しています。東日本大震災の被災地の人々が一日も早く普段の生活に戻れるように心からお祈り申し上げます。 Munkh-Uulより
============================