|
今回の東日本大震災の被災地を今上天皇が丁寧に回って、人々を勇気づけていました。避難所では膝をついて、美智子香皇后さまが人々へ優しく話かけていました。
その様子を見ながら、私は終戦直後の昭和天皇の全国訪問の姿を思い出しました。美空ひばりも死んで、もう随分になります。戦後活躍していた映画俳優も次々旅立ってしまいました。小説を沢山書いていた文士も死んで行きました。ああ、昭和は本当に遠うくなったものです。しかしもう一度昭和という時代を思い出しましょう。すると元気が出て来ます。力が全身にみなぎってきます。
終戦直後の昭和天皇の全国訪問の時の写真を多数展示している記念館があるのです。昭和天皇の背景に写っている光景は戦争の荒廃です。栄養の悪い人々が群がっているのです。それでも日本は復興したのです。今回の大災害から日本は必ず復興します。
昭和天皇の全国訪問の時の写真を多数展示している記念館は、立川市の昭和記念公園の花みどり文化センターにあります。
昭和21年から29年にわたる全国の津々浦々へ行幸なさったたときの白黒写真のスライドが大写し画面で、ゆっくりと流れます。筆者が住んでいた仙台市へいらした時のもあります。小学6年生の秋でした。小旗を振ってお迎えしたのを思い出しました。展示のスライドは全国各地の人々の群れに囲まれた天皇のお姿が映っています。みな貧しげな服装ですが、栄養の悪い顔が明るく輝いているのです。
この時ほど昭和天皇を身近に感じたことがありませんでした。全国の都道府県をすべて巡幸されたのです。沖縄県以外は。
沖縄では基地反対運動などで騒然とした時代が長く続いたのです。天皇の訪問はついに 昭和62年、沖縄国体の時に決定しました。しかし残念にもご病気で取り止めになり、代理で皇太子、現在の平成天皇が行きました。
その時皇太子へ託した沖縄県民への手紙も展示してあります。沖縄上陸作戦に民間人が巻き込まれ、悲惨な地上戦が3ケ月も続い沖縄です。そんな沖縄への切々たるお気持ちがあふれた文章です。人間性豊かな天皇でした。終世、沖縄訪問を願いつつ果たせないまま亡くなったのです。
また展示室右手上には6枚の大型液晶画面があり87年のご生涯の映像が出ます。
晩年にテレビ記者と会見したときのお元気な御声をかなり長時間聞くことができ、あす。これは係の人に申し出て聞くようになっています。
展示室の中央には昭和10年から52年までご愛用になられた箱形ベンツ乗用車が磨きあげて飾ってあします。たびたび新聞写真でみた懐かしい乗用車です。
館内は撮影禁止なので入口のドアーと受付のところの2枚の写真以外は記念館のホームページ、http://www.f-showa.or.jp から引用しました。 下の列の左から2枚目は87年のご生涯の折々のお写真、3枚目は生物研究室の様子、4枚目は公務用の机、5枚目は昭和3年のご即位の折の行列の一部の様子です。
昭和という時代は本当に激しい時代でした。大きな戦争があり300万もの人が戦死し、満州からの引揚げの途中多くの人が死んだのです。55万人がシベリアへ強制連行されたのです。アメリカの軍隊が日本中を占領していた時代もありました。
そんな昭和も遠い、遠い過去の事として忘れられようとしています。
しかし今回の大震災の復興の為にもう一度思い出して見るといろいろ参考になる事が多いと信じています。今回の大災害からの復興を信じることが出来ます。
今日は今回の大災害で被害を受けた人々が希望を持って、もう一度立ちあがる事が出来ますようにお祈りいたします。被災者の皆様のご健康と心の平穏をお祈りしています。藤山杜人
下の写真は孫に囲まれる昭和天皇と皇后です。