原発は核兵器の役に立つと言って反対していた人々が居ました。私は冷笑していました。起爆装置の無い原発は根本的に原子爆弾にはなりません。全く関係の無い平和的な発電装置です。
しかし最近、昔お会いした原子力研究者の古川和男さんの文章を何篇か読みました。ビックリしてしまいました。
第二次大戦中に原爆製造に大きな貢献をしたシカゴ大学の学者たちの思想に2つの流れがあったようです。一つは、一刻も早く原爆を完成しようとするグループと、安全第一を考えた熔融塩原子力発電装置を作ろうとするグループです。2つのグループははじめは一緒に協力しながら新しい技術の開発に努力してようです。
しかしその思想の違いは次第に明らかになってきます。
そして日本には、安全第一の熔融塩原子力発電装置に魅了され、自分の研究能力と情熱の全てを捧げた人が一人居たのです。それが古川和男さんです。(全電源喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉を提案した古川和男博士をご紹介します )。
現在、日本で使用されている軽水炉型の原発は、操業をすると副産物としてプルトニウムが生産されます。プルトニウムは原爆や核弾頭用の小型原爆の原料です。
アメリカ政府はソ連との激しい冷戦中に、ソ連と核弾頭長距離ミサイルの製造競争をしていました。プルトニウムは幾らあっても足りません。そして一方で、濃縮装置の効率化も追求されて来ました。
従って軽水型原発装置は発電もしますが、プルトニウム製造装置でもあったのです。しかし1990年頃にソ連が崩壊して、多量のプルトニウムは必要が無くなりました。そして軽水炉がアメリカ同盟圏の高度工業国に数多く残ったのです。ロシア同盟圏にも残りました。
更にもう一つ、現在の原発技術の軍事利用には、原子力潜水艦の発電機としての利用があります。
潜水艦が水中で潜航する間は重油を燃料にしたエンジンは使えません。海の中には空気が無いからです。従来の全ての軍用潜水艦は潜航中は数多くの蓄電池で電動機を回していたのです。危険海域を過ぎれば浮上して、ジーゼルエンジンを回し、蓄電池群を充電していたのです。
しかし、その蓄電池を原子力発電機で充電出来れば潜水艦は非常に長期間、海中を潜航出来るのです。潜水艦に積む原子力発電機は小型で軽量でなければなりません。安全性を無視してでも小型・軽量が要求されます。
原発機の冷却には多量の海水をふんだんに使えます。軽水炉原発と原子力潜水艦の原発の技術は相互に密接な関係を持ちながらアメリカとソ連で開発されて来たのです。
原子力発電の開発はあくまでも軍事技術の一部だったのです。現在、日本で使用されている全ての原発はアメリカの軍事技術の一部として開発されたのです。
そうすると当然、軍事技術の宿命を持っています。「安全性を無視してでも効率と性能だけを追求する」という宿命です。薄い装甲板しか持たなかった軽いゼロ戦が、初めはその軽量故の回転性能の良さで、敵戦闘機を撃ち落としました。しかし性能が上のグラマン機が生産されるようになると、その装甲板の薄さ故に、散々落とされたのがその顕著な実例です。
電源喪失で爆発する運命は当然だったのです。その事に気がつかなかった自分が悲しいのです。原発は原爆製造へ繋がると言って大反対していた人々の気持ちが解らなかったのです。自分の無知が今頃になって分かったのです。深い悲しみに襲われています。そして危険な原発は辺鄙な所に作って、爆発しても少人数の犠牲者なので良いと考えていた人々の考え方が悲しいのです。
プルトニウムを副産できる軽水炉の開発へ莫大な研究費を出したアメリカの軍事研究機関は、安全第一の熔融塩原子力発電装置へは研究費を出しませんでした。僅かにオークリッジ研究所に試験炉の完成と長期間操業を部分的に支援しただけです。そのような軍事色の強いアメリカの文化が悲しいのです。
私の心の中に渦巻いているのは、自分の無知への悲しみ、そして人間の根源的な罪へ対する悲しみです。
福島原発の後で、古川和男さんの文章を幾つか読んで、私は深い、深い悲しみに襲われています。それは重く冷たい鉛のように私の心の底に沈んでいます。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人