後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日の散歩・・・高尾山の300段の階段へ挑戦、そして精進料理

2011年06月06日 | 写真

今日は梅雨の合間の晴天です。午前中から高尾山へケーブルカーで登り、薬王院、飯綱大権現、奥の院までの300段の石段へ挑戦してみました。

年を取ると階段の昇り降りが怖くなります。階段に負けてなるものかと登って来ました。ケーブルを降りて500m位歩くと1番目の写真のような110段の石段があります。そして2番目の写真のように、薬王院の脇から飯綱大権現まで、更に100段の石段があり、またまた、その上の奥の院まで100段の狭い石段があります。ですから今日は合計310段の石段を登って来ました。

薬王院の宿坊で3番目の写真のような精進料理の昼食をとりました。昼食の間、ゆっくり休みましたので、そこからの200段の石段は案外やすやすと登れました。

奥の院から高尾山の頂上まで30分くらいで登れます。ケーブルを降りた地点から合計60分の歩きで4番目の写真のような頂上に立てます。

そこから富士山が見える筈ですが、今日は霞んでいて見えませんでした。帰路は下り道だったので40分でケーブルカーの山頂駅まで帰って来ました。往復6km位の散歩でした。

清浄な山の空気の中に、ホトトギスの鳴き声がこだましていました。この鳥の鳴き声は昔、仙台に住んでいたとき家の裏山でよく聞いたことなど思い出しながら一人で静かな山道を楽しんで来ました。014 026 021 033

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深い悲しみが私の心の中に渦巻いています、その一

2011年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

原発は核兵器の役に立つと言って反対していた人々が居ました。私は冷笑していました。起爆装置の無い原発は根本的に原子爆弾にはなりません。全く関係の無い平和的な発電装置です。

しかし最近、昔お会いした原子力研究者の古川和男さんの文章を何篇か読みました。ビックリしてしまいました。

第二次大戦中に原爆製造に大きな貢献をしたシカゴ大学の学者たちの思想に2つの流れがあったようです。一つは、一刻も早く原爆を完成しようとするグループと、安全第一を考えた熔融塩原子力発電装置を作ろうとするグループです。2つのグループははじめは一緒に協力しながら新しい技術の開発に努力してようです。

しかしその思想の違いは次第に明らかになってきます。

そして日本には、安全第一の熔融塩原子力発電装置に魅了され、自分の研究能力と情熱の全てを捧げた人が一人居たのです。それが古川和男さんです。(全電源喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉を提案した古川和男博士をご紹介します )。

現在、日本で使用されている軽水炉型の原発は、操業をすると副産物としてプルトニウムが生産されます。プルトニウムは原爆や核弾頭用の小型原爆の原料です。

アメリカ政府はソ連との激しい冷戦中に、ソ連と核弾頭長距離ミサイルの製造競争をしていました。プルトニウムは幾らあっても足りません。そして一方で、濃縮装置の効率化も追求されて来ました。

従って軽水型原発装置は発電もしますが、プルトニウム製造装置でもあったのです。しかし1990年頃にソ連が崩壊して、多量のプルトニウムは必要が無くなりました。そして軽水炉がアメリカ同盟圏の高度工業国に数多く残ったのです。ロシア同盟圏にも残りました。

更にもう一つ、現在の原発技術の軍事利用には、原子力潜水艦の発電機としての利用があります。

潜水艦が水中で潜航する間は重油を燃料にしたエンジンは使えません。海の中には空気が無いからです。従来の全ての軍用潜水艦は潜航中は数多くの蓄電池で電動機を回していたのです。危険海域を過ぎれば浮上して、ジーゼルエンジンを回し、蓄電池群を充電していたのです。

しかし、その蓄電池を原子力発電機で充電出来れば潜水艦は非常に長期間、海中を潜航出来るのです。潜水艦に積む原子力発電機は小型で軽量でなければなりません。安全性を無視してでも小型・軽量が要求されます。

原発機の冷却には多量の海水をふんだんに使えます。軽水炉原発と原子力潜水艦の原発の技術は相互に密接な関係を持ちながらアメリカとソ連で開発されて来たのです。

原子力発電の開発はあくまでも軍事技術の一部だったのです。現在、日本で使用されている全ての原発はアメリカの軍事技術の一部として開発されたのです。

そうすると当然、軍事技術の宿命を持っています。「安全性を無視してでも効率と性能だけを追求する」という宿命です。薄い装甲板しか持たなかった軽いゼロ戦が、初めはその軽量故の回転性能の良さで、敵戦闘機を撃ち落としました。しかし性能が上のグラマン機が生産されるようになると、その装甲板の薄さ故に、散々落とされたのがその顕著な実例です。

電源喪失で爆発する運命は当然だったのです。その事に気がつかなかった自分が悲しいのです。原発は原爆製造へ繋がると言って大反対していた人々の気持ちが解らなかったのです。自分の無知が今頃になって分かったのです。深い悲しみに襲われています。そして危険な原発は辺鄙な所に作って、爆発しても少人数の犠牲者なので良いと考えていた人々の考え方が悲しいのです。

プルトニウムを副産できる軽水炉の開発へ莫大な研究費を出したアメリカの軍事研究機関は、安全第一の熔融塩原子力発電装置へは研究費を出しませんでした。僅かにオークリッジ研究所に試験炉の完成と長期間操業を部分的に支援しただけです。そのような軍事色の強いアメリカの文化が悲しいのです。

私の心の中に渦巻いているのは、自分の無知への悲しみ、そして人間の根源的な罪へ対する悲しみです。

福島原発の後で、古川和男さんの文章を幾つか読んで、私は深い、深い悲しみに襲われています。それは重く冷たい鉛のように私の心の底に沈んでいます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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