今日は東日本大震災の三周年忌の翌日です。全ての犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。そしてご遺族の方々の悲しみが少しでも癒えるようにとお祈り申し上げます。
最近、大震災の悲しい記事が新聞に沢山出ています。私は高齢ながら生きていることに毎日感謝しています。そうして小さな幸せを大切にし、心豊かに老境を過ごしたいと願っています。
今日の小さな幸せは、56年も昔からの旧友、近藤達男さんから頂いた手紙と写真から頂いた幸せです。
彼は情熱的で、人間が好きで、筆まめです。時々、特別な用がなくてもほのぼのとした手紙を送ってくれます。真摯な研究者でした。学者でした。
その彼から久しぶりに手紙がきて東北新幹線の車窓から撮った蔵王連峰と安達太良山の写真を送ってくれました。仙台の大学でまだ働いているのです。
蔵王連峰はよく登った山でした。宮城県側の遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉などに泊まりながら何度も登りました。冬には山形側の高湯温泉から地蔵岳のザンゲ坂の樹氷地帯でスキーをしたものです。
彼から送って貰った写真で昔の楽いし思い出が蘇ってきて幸せを感じています。彼の昔から変わらぬ友情に感謝しています。
下にその蔵王連峰の写真を2枚示します。
彼は高性能のカメラを持っているようです。高速の新幹線からこんなに鮮明な写真を撮ったのです。下は宮城県側の最高峰の杉ケ峰の主峰のようです。
さて次は安達太良山の写真2枚です。 福島県の二本松あたりを通過している列車から撮った写真のようです。
・
安達太良山と言えば家内の良く口にしていた『智恵子抄』の詩を思い出します。
智恵子は東京に空がないと言ふ
ほんとの空が見たいと言ふ
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言ふ
安多多羅山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ
あどけない空の話である
家内は一緒に私の故郷の仙台に里帰りするたびに列車が二本松付近を通過するたびにこの詩を唱えるのです。
その上、山梨県の清春美術館に智恵子さんの油絵がありましたねと話すのです。
その様子がとても幸せそうなのです。昨日、近藤さんから送ってくれた安達太良山の写真の話をしたら、また「智恵子は東京に空がないと言ふ、ほんとの空が見たいと言ふ」と唱えます。
こうして昨日、今日と幸福な老境の日々が過ぎて行くのです。
近藤達男さん、写真を送って下さって有難う御座いました。感謝しています。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料===============
高村 智恵子(たかむら ちえこ、1886年5月 - 1938年10月、旧姓長沼)は、日本の洋画家。夫は彫刻家・詩人の高村光太郎。夫の光太郎が、彼女の死後に出版した詩集『智恵子抄』で有名である。
明治19年長沼智恵子は安達太良山の麓、福島県安達町(現在は二本松市)に生まれる。
日本女子大学校家政科に入学後、洋画に興味を持つ。
卒業後も東京にとどまって油絵を学び、その後高村光太郎と知り合って大正3年に結婚する。
智恵子はどうしても東京に馴染むことが出来ず、一年のうち三四ヶ月は実家に帰っていた。
「東京に空がない」という智恵子の痛切な訴えを、光太郎は「あどけない話」として受け止めている。(http://75286389.at.webry.info/200911/article_16.html より)
下は、http://www.h4.dion.ne.jp/~yamataro/adatarayama-tiekosyo.htmlからです。
結婚から10年後の作品。最も幸福に満たされている時代の詩。光太郎が東北福島にある智恵子の実家に帰省していた時のもの。ここに出てくる阿多多羅山とは、現在の安達太良山(あだたらやま)で、福島北部にある火山。智恵子の実家は酒蔵でした。
あれが阿多多羅山(あたたらやま)
あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)
こうやって言葉すくなに坐っていると、
うっとりねむるような頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬の始めの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを、
下を見ているあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹(せんたん)を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙(ゆうみょう)な愛の海底(ぞこ)に人を
誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟(けぶ)るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を
注いでくれる、
むしろ魔物のように捉えがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた
空気を吸おう。
あなたそのものの様な此のひんやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都(東京)、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いています。
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を
教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。