ヨーロッパ大陸は日本より北にあります。南のイタリアのローマの緯度が北海道の函館とほぼ同じ緯度ですから、ヨーロッパの国々は北海道や樺太やカムチャツカ半島の緯度にあります。ビール会社が「ミュンヘン・札幌・ミルウオーキー」という宣伝文句を普及させていますが、緯度は全く違うのです。札幌だけがイタリアのミラノと同じ位の緯度にあり、ミュンヘンやミルウオーキーははるかに北国にあるのです。
ヨーロッパの冬はいつも黒い雲が低く垂れこみ、空を覆っています。毎日、憂鬱な期間が数か月も続くのです。
その暗い寒い冬がやっと過ぎ、クロッカスやスミレの花が野に咲き出す頃になると太陽も見え始めて春が来るのです。あたりが急に明るくなり、生きる喜びが蘇ってくるのです。
その春の歓喜の大きさは、ヨーロッパに住んで長い冬を過ごしてみると初めて理解できます。
その春到来のお祭りが復活祭なのです。ですから欧米人にとって復活祭は春の喜びを連想させ自然に笑顔になる楽しい祭りなのです。
日本は温暖な地域にあるので、雛祭りなどの春のお祭りの楽しさはヨーロッパとは異質なのです。
自然環境が祭りの意味に影響しているのです。
その上、祭りには宗教的な背景があるのです。
ですから復活祭には単なる春祭りという意味だけではなく、キリストの復活を祝う宗教的な意味もあるのです。
下の絵画は生き返ったイエス様がエマオで2人の弟子たちとお会いになっている場面です。17世紀のオランダの画家レンブラントが描いた絵です。
(出典:http://matome.naver.jp/odai/2129254928706685201)
生き返ったイエス様は弟子たちに会うと、それから天に昇って父の神の右の座に着きます。
そして最後の審判の時、再び地上に降りてきて全ての死者を蘇らせるのです。すべての死んだ人間が生き返るのです。
これがキリスト教で一番重要な「復活の信仰」です。
私はカトリックですから当然この復活話を信じています。
しかし科学的に考えるとこの復活話はありえません。ですから信じる、信じないは個人の自由です。
さてここからが私が言いたいことを少し書かせて下さい。
多くの日本人は科学的にありえないことを大切にしているキリスト教や仏教を間違っていると言います。そして宗教を簡単に切り捨ててしまいます。
しかし近代科学を発展させた欧米人の多くがこの復活話を最も重要なこととして信じているのです。
人間は矛盾したことを信じることによって生きて行けるのです。そのような存在なのです。
例えば仏教では人間が死ぬと他の生き物になって生まれ変わると言います。その生き物が死ぬとまた他の動物になって生きかえります。それは車輪が永久に回り続けるように宇宙の全ての存在を支えているのです。これを輪廻の信仰といいます。宇宙の真理です。
この輪廻の信仰は仏教より古いヒンズー教から引き継いでいるのです。
お釈迦様はこの輪廻が重要だと教えたという解釈と、お釈迦様はあえて輪廻には触れないで「色即是空」を強調したという解釈もあります。あるいは輪廻も色即是空も同じことだとも理解出来ます。
それはそれとして、もし欧米人がこの輪廻の考え方を知ったらどのように言うでしょうか?
軽薄な欧米人ならこの考えは科学的でないから仏教は間違っていると切り捨てるでしょう。
一方、考えの深い欧米人なら何も言いません。
輪廻の思想と復活の思想の似ている部分を深く考えるでしょう。そして何も言わないのが賢明なのです。
ここで私の言いたいことは、キリストと仏教には優劣が無いということです。
すべての宗教には優劣が無いのです。優劣をつけるほど愚劣なことはありません。
どの宗教を信じるか、宗教を無視するかはまったく個人の自由です。ただ私はイエス様の復活とすべての死者の蘇りを信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)