鍼灸治療は近代医学のように明快に因果関係が説明されていないので、その効果を疑う人もいます。
人間の神経の働きの詳細は近代医学でも解明されていない分野が多く、鍼灸の効果について科学的研究の非常に困難な分野なのです。
しかし腰痛などには明らかな効果があるのが認められていて、高齢者にとっては実に有難い治療法方法です。
私は2月24日に雪道でネンザして以来、近所の三勝はり灸接骨院に通っています。最近捻挫も良くなってきました。ついでに治療して貰った高齢者特有の腰痛も完治しました。
この腰痛は3年前からひどくなりましたが、老人の宿命として諦めていたのです。
それが足の捻挫の治療のついでに腰も治療してもらったら直ってしまったのです。捻挫をしたおかげで直ったので、「人間万事塞翁が馬」の気分です。
そこで私自身の体験から鍼灸治療の効果を上げる方法を少し書いてみたいと思います。
その第一歩は治療をしてくれる鍼灸師と仲良くすることが重要なのです。
治療をしてくれるのは荒畑院長とその奥さん、そして3人の若い治療師さんです。交代で熱心に治療してくれます。そこで下に院長さんと志和さんという男性の治療師と一条さんという女性の治療師の写真示します。
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何故このように個人的な写真を出すかというと、患者は治療してくれる人と家族のように仲良くなることが鍼灸治療の効果をあげるための第一歩だからです。
捻挫した足の甲が痛いとか腰が痛いと言う場合に何処が痛いのか遠慮しないで言えなくてはいけません。
戦前生まれの私は痛みに耐えて笑っているのが男らしいと育てられたのです。
ですから治療師が、針やお灸をするポイント(つぼ)を探すために、指先でアチコチ押します。そして痛いですか?痛くないですか?と聞きますこれがなかなか難問で、自分の体なのによく判らないのです。その質問に正直に、的確に答えられるようになるのに一週間くらいかかりました。すると治療師がつぼを外さないで針を刺したり、お灸をすえたり出来るのです。
患者の心をほぐし、何でも正直に言えるようにするため治療師も苦労しています。努力して話しかけて来ます。旅の経験や趣味のことも聞いてきます。彼等の会話能力が高いのです。
今回は鍼灸治療の効果を上げる方法の第一歩として、痛いポイントを正直に話すことを強調して終わりにいたします。そうすると多くの場合は間違いなく治療効果が上がるようです。
三勝はり灸接骨院の治療室で、カーテンの向こうの両サイドの患者が痛みが取れたと明快に話しているのが聞こえるのです。そんな会話が何度も聞こえたのです。
次回は鍼灸治療が効果がある場合と無い場合の数例を考えて見たいと思います。
=====以下は3月3日に掲載した記事の冒頭部分です=========
小さな幸せが大きな幸福へ(4)近所の接骨院でしみじみと感じる小さな幸せ
一週間前の2月24日に甲斐駒岳の麓で深雪に埋もれている自分の趣味の小屋を見に行って足を痛めてしまいました。
靴裏がスベスベのヨット用の長靴を履いて往復3Kmの雪道を歩いたのがいけませんでした。転んで、右足の甲の靭帯を軽い捻挫のように痛めたのです。痛くて歩くのが困難です。
次の日から近所の三勝はり灸接骨院へ通って治療を受けています。1週間経過して今日は随分と歩くのが楽になりました。
(写真の出典は三勝はり灸接骨院のHP、http://www.3show-hari9.com/ です。)
=====参考資料===================
鍼灸の歴史:http://www.harikyu.or.jp/general/what.html
鍼灸は、一般に「はり・きゅう」または「しんきゅう」と呼ばれています。東洋医学或いは漢方医学の一分野として中国に起源をもつ我が国の伝統的医療であります。鍼灸は金属の細い針を経穴(ツボ)に刺入し、或いは艾(もぐさ)を燃焼させて経穴(ツボ)に刺激を加え病気を治そうとする施術です。鍼灸医学は、日本には6世紀の初め飛鳥時代に仏教の伝来より11年遅く、また漢方薬より先に渡来したと云われています。古代の中国で揚子江流域やその南方の地質が豊かでさまざまな植物が茂った所ではその根・皮・木・草等を採集して煎じて飲む薬としての療法が発達したとされています。一方、黄河流域は土地が痩せて植物の種類も少なく生育も悪い地方では、煎じ薬に頼りがたく経験的に針灸療法が発達したものと思われます。この2つの医学は、中国の漢の時代にひとつに集大成されましたので今日では、漢方医学と呼ばれています。
さて、鍼灸医学は、我が国に渡来して以来明治時代の初期までの長い間、漢方薬と共に医学の主流として広く人々に活用されてまいりましたが、幕末のオランダ医学(西洋医学)の伝来によって次第に衰退を余儀なくされてきました。その後、明治政府の欧米化政策により1874年、日本の医学を西洋医学とする立法が制定され医学の主流を西洋医学に明け渡すこととなりました。何故このようになったのか、欧米化政策がひとつの理由ですが、その他として東洋医学は内因性の病気には、その特徴を生かし治療効果もそれなりに評価されてきましたが外因性のもの(外傷)にたいしては効果が遅いことが挙げられます。特に、戦場などで受けた外傷に対しては、西洋医学の外科の方がはるかに役立ちましたから東洋医学が軽視されたとも云われています。しかし、最近では、公的な医学研究所・医科大学・鍼灸大学や鍼灸短期大学・医療機関等で科学的な各種の実験、研究がされて少しづつ鍼灸医学の効果が証明されてきましたので、日本をはじめとして米国やヨーロッパ各国でも鍼灸が盛んになってきました。
鍼灸師の国家資格:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%BC%E7%81%B8
現在、医師以外の者が鍼を行う為には「はり師」、灸を行うには「きゆう師」の国家資格が必要である。鍼灸養成施設(鍼灸専門学校・視覚特別支援学校理療科・大学鍼灸科)で単位を取得することで、この二種類の免許を受験できる。一部の古参の私立専門学校には、「本科」として「はり師」「きゆう師」に加えて「あんま、マッサージ、指圧師」の免許も加えた三種類の免許を受験できる課程が置かれているが、定員数が少なく現在でも10倍程度の入学倍率がある。 多くの私立専門学校卒業者および全ての私立大学鍼灸科卒業者は、はり師、きゆう師二種のみを取得できる。
「あんま、マッサージ、指圧師」免許については、この取得を専門とする課程(あんま、マッサージ、指圧専門学校および視覚特別支援学校保健理療科)が存在する。視覚特別支援学校保健理療科は一般的な盲学校課程である。つまり、ほとんどの視覚障害者は「あんま、マッサージ、指圧師」免許を取得する。しかしながら、晴眼者が「あんま、マッサージ、指圧師」免許を取得するためには、前掲の古参の専門学校「本科」に入学するか、「あんま、マッサージ、指圧専門学校」に入学しなければならない為、晴眼者の「はり師・きゆう師・あんま、マッサージ、指圧師」三種免許者(三療師)は非常に少ない。
今朝は春眠暁を覚えずで寝過ごしてしまいました。
1時間後にミサに行くので、込み入った内容の記事を書けません。
そこで朝から思い出していた長崎の大浦天主堂の風景を考えていました。
昨年の4月14日、15日、16日に長崎と佐世保への旅に行った折に撮った写真を下にお送り致します。
1865年に建設された大浦天主堂は教会建築唯一の国宝です。
個人的には日本のカトリックの本山と私は勝手に思い込んでいます。勿論、カトリックの本山はバチカンです。世界の全てのカトリック教会はローマ法王の傘下にあり、本山はバチカン以外にはありません。
写真は日本最古の教会の大浦天主堂の写真をお送りいたします。
上は1865年建設の大浦天主堂で、原爆投下の被害も少なく原型をとどめています。戦前の法律で昭和8年に現在の国宝相当の重要文化財の指定を受け、戦後の法律では国宝に指定されました。
上は祭壇の写真です。
天主堂は狭い丘の上に立っていて周りには土地がありません。斜めからの写真を撮ろうとしても接近し過ぎていて上のような構図しか撮れません。
天主堂の右手に上がると少しばかりの平地があって昔のセミナリオ(神学校)のあった所にでます。
そこから天主堂の側面を撮ったのが上の写真です。
こんな光景を思い出しながら、
今日は教会で皆様のご健康と平安をお祈りして来ます。そして3周年忌が過ぎた東日本大震災の全て犠牲者のご冥福をお祈りして参ります。後藤和弘(藤山杜人)