日本は憲法改正を一度もしていません。しかしドイツは戦後から2000年まで48回も憲法を改正して、憲法が現実に合致し、全ての法律の基礎になっているのです。
この様子を説明したHP、「ドイツの憲法に学ぶ」(http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/kenpou.html)の一部を抜粋して以下に示します。尚、以下の引用文の間に、このHP執筆者の個人的な意見が開陳してあります。
その個人的な意見は全く正しく、私も強く同感する内容です。
皆様のご意見を頂ければ幸いです。
=====ドイツ基本法(憲法のこと)(ボン基本法)について=======
・・・・前文を省略します・・・・・
6 ボン基本法 1945・5
戦後米・英・仏の地方分権的国家観とソ連の中央集権的国家観とは所詮相容れず、西側3国の占領地区を統合して憲法を制定。
軍政を民政に移管してドイツ連邦共和国が誕生した。ただ議会が制定したのではなく、領邦国の代表が作成したため基本法と呼ばれたが、実質的には西ドイツの憲法である。2000年までになんと実に48回も改正されている。
7 東ドイツ憲法 1949・10
東ドイツでも社会主義統一党が中心となり制定し、ワイマール憲法を規範としたものだったが、ソ連を見習い中央集権化されるにつれ改変された。社会主義の基盤ができても国家評議会はドイツ民族の社会主義国家を標榜して新しい憲法を1968・4に制定した。その後ソ連との同盟関係が強化されるにつれ何回となく大改正が行われた。統合前までなんと20年間に13回も改正されている。
8 ドイツ統一 1990・10
実質的には西ドイツの東ドイツの吸収合併であり、憲法も西ドイツのものが採用された。
ドイツは憲法が国の規範であることの国民的認識がある。
日本は一部頑迷固陋な政治家、知識人は関心があるが一般庶民は中身も知らず、憲法改正反対だけのドグマに迷わされている。
新聞・TVなどマスコミにも責任がある。実情を正確に報道する、海外また権力におもねらない、愛国心ある態度が求められる。ただ単純に反対また反対で国民が何時までもついてくると思っているのか、自己の所信を具体的に言って反対するか、せめて功罪合わせて報道するような姿勢がほしい。
常識的にはドイツ人は頭が固い、日本人は頭が柔らかいといわれるが、こと憲法に関してはまったく正反対である。
・・・・中略・・・・・・
第 12条 {国防その他の役務従事義務} 男子18歳から軍隊、連邦国境警備隊または民間防衛 団の役務に従事する義務がある。武器を持ってする軍隊を拒否するものに対しては代役に従事する義務を課す。
女子は武器をもってする役務は義務付けられてはいないが、
緊急事態には18~55歳の女子は野戦病院または民間医療施設に徴用
できる。
日本は国民の生命と安全を誰が守るのかという認識
が全く不足している。憲法もさることながら教育を
誰がするのか、為政者、マスコミの責任が大きい。
第 87条 {軍隊の設置、出動、任務}
第26条で侵略のための戦争は禁止されているが、防衛のための軍隊の設置は当然のこととされている。
日本では自衛隊は軍隊ではない、ただ後方支援はできるなど誤魔化している、いい加減にしてもらいたい。
・・・・・・中略・・・・・・
第115条 {防衛上の緊急事態}一旦有事の場合の規制が憲法にあり、リスク管理が国家としてできるようになっている。
日本は国家としての意思決定のプロセスが不透明であり、外国の言うがままでは独立国ではない。外交・防衛 は国民の生命・安全を守る一番重要なもの、政治家・役人が見てみぬ振りして問題先送り、国民がもっと目覚める必要がある。
Ⅳ 国益、国民の利益を考え憲法改正
富国強兵のためドイツのプロイセン憲法をもとに明治憲法を策定したまではよいとしても、ドイツでは大小の政変、世界情勢の激変に対応して何回となく憲法を改正している。何故日本は明治憲法を金科玉条のようにして改正しなかったのか、不思議にドイツを見習うことはしなかった。
それには日露戦争で国を挙げて戦い戦意高揚、黄色人種では始めて白色人種に勝ち、欧米が驚いたこともある。
君臨すれども統治せずの英国型の天皇では、憲法に問題があっても、そのまずさを元老会議がカバーしていた。
そもそも天皇が統帥権、行政権、司法権、立法権、を集中掌握する政治運営は18世紀的な帝国時代の遺物であって、近代戦を戦うには無理である。平時でも問題はあったが目立たないだけである。
昭和に入るともう元老はいない、陸海軍の対立、統帥関係部局と政府の不和などもあり、自衛の大東亜戦争に突入、平和外交もできずに原爆を落とされ破局を迎える。
終戦末期東条首相が総辞職したのは戦局の責任をとったのではなく、内閣補強策をとろうとしたが国務大臣(後の岸総理大臣)が辞職を拒否したので止むを得ず総辞職せざるをえなかった、投げ出したのではないかという見方もある。
小泉首相が田中外務大臣を更迭したみたいに人事権がなければ閣内不一致で政治は成り立たない。
陸軍大将とか海軍大将が陸軍大臣、海軍大臣になるという制度も今から考えれば信じられない。
満州事変、支那事変などでは軍部を諌めることができなかったのは、憲法上の問題がある。
朝鮮戦争時、マッカーサーがルーズベルトに罷免されたように文民統制が必要なことは言うまでもない。
軍部が独断で暴走した、遺憾の極みなどで済まされる問題ではない、憲法上の不備を糾す理非曲直の考えが出てきて当たり前である。
どうも日本人の国民性として、問題を感情的でなく理性的に反省し、再発防止をしっかり行う仕組みを構築するのは苦手のようだ。
問題を隠蔽し、先送りする体質は政治家・官僚・マスコミをはじめ銀行・不動産ほか実業界にも及ぶのは日本人のDNAだといって済まされる問題ではない。
激動の世界情勢は未来永劫続く、国民の生命・安全を保証し、国益を守るために政治・外交はある。その基本理念・大綱である憲法は国民の理解と支持を得て的確に改変するのは常識である。
世界の当たり前の常識が、こと憲法となると非常識になる、ドイツの憲法改正を見るに及んでつくづく思うのは私一人ではあるまい。
参考文献 「ドイツ憲法集」 高田敏編
信山社
「大東亜戦争の実相」 瀬島龍三 PHP研究所