房総半島の南岸には黒潮ラインという自動車道路があります。信号のある普通道路なので青い海と花畑の景観を楽しみながら走れます。フラワーラインは館山から和田まで46キロメートル続いています。
車窓から見ているとカラフルな花畑の間に懐かしい菜の花畑が点在しています。
ゆっくり写真を撮ろうと考えて、「ちくら潮風王国」 (http://shiokaze-oukoku.jp/)の周囲の畑の中を散歩しました。
そして、道の駅「ローズマリー公園」 (http://www.rosemary-park.jp/)の外側にも菜の花畑が広がっていました。
下にこの2ケ所で撮った写真をお送りします。お楽しみ下さい。
まず道の駅ちくら潮風王国の前の海の写真です。
そして下の2枚は千倉の花畑の中で撮った菜の花です。
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そして下はローズマリー公園です。
下の2枚の写真はこの公園の外側に広がる菜の花畑です。
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撮影日時は3月15日の午前中でした。
(写真の出典は、http://dekowalker.at.webry.info/201201/article_6.htmlです)
上の写真は多くの日本人が好きな風景と信じます。挿絵の代わりにしました。
さて今日は連載記事、「深遠な愛国心の重要性」の最終回の記事を書きたいと思います。
結論を先に書きます。
隣国を非難、罵倒し、軍事力だけに頼る愛国心を私は「偏狭な愛国心」と考えています。それは日本へ禍いを招き、日本人を不幸にする危険な愛国心です。
それに対して「深遠な愛国心」とは国際社会の連帯のなかで同盟国と調和を取りながら、仮想敵国の危険性を最小にするという愛国心です。
一番重要なことは国際社会のなかで賢明な外交を展開し、仮想敵国が攻撃出来ないようにすることです。
そして軍備は戦争の抑止力になる現実を理解し、それを常に増強し、維持する努力も大切です。
この深遠な愛国心では、日本は仏教国なので、お釈迦様の教えを思い出しながら行動をとることが良いと信じています。
お釈迦様は人や動物や全ての生き物を殺すなと教えました。
ですから戦争も禁止です。しかし愚かな人間はお釈迦様の教え通り出来ません。
仮想敵国が日本へ攻め込んで来たら、私は銃を取り、戦う決心をしています。お釈迦様の教えに反して戦います。
しかし戦いながら以下のように先の大戦の間に、反戦を主張した僧侶が居たことを考えています。そして悲しみながら銃を撃ちます。
私の「深遠な愛国心」とはそのようなものです。矛盾に満ちています。
それはさておき、戦争中に国家目標に逆らって、お釈迦様の教えの尊厳を守った僧侶もいたのです。
その一例が左の写真の竹中彰元 師です。(出典は、http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage2.htm です。)
このブログの記事、あなたは宗教が戦争を起こすと思っていませんか?でもご紹介した方です。
昭和12年に日中戦争反対を公言して、昭和20年の敗戦までその主張を変えませんでした。
陸軍刑法の流言飛語罪で禁固4か月の刑をうけましたが、仏の教えに従ってまでなので考えは変わらないと敗戦まで主張続けたのです。
詳しくは「竹中彰元」を検索すると沢山の資料が出てきます。左に竹中師の写真を示します。
竹中彰元を破門した大谷派は70年後に破門が間違いだったとして竹中師の名誉回復をしたのです。
さて、続いて、戦争反対を主張した僧侶をもう一人、http://blogs.yahoo.co.jp/pen_tsuyoshi/34608018.htmlからご紹介します。
それは2007年3月に80歳で亡くなった植木等さんの父親でした。知る人は少なかったのですが、植木等さんの父は筋金入りの反戦平和主義の僧侶だったのです。
名前は植木徹誠と言います。三重県伊勢市の大谷派の常念寺の住職でした。
「戦争というものは集団殺人だ」などと説教していたのです。当然、治安維持法違反で逮捕です。そして4年間も投獄されていたのです。
等は小学生だったが、牢屋にいる父の住職の仕事を代行して、お経をあげたり檀家の世話をしていたそうです。そして牢屋にいる父へために毎日自転車で鶏卵を差し入れに行っていたそうです。
父は息子へ「等(ひとし)、いいか、戦場に行っても絶対に銃を撃つんじゃないぞ」と言っていたそうです。
植木等がコメディアンとして有名になった後も父の話を忘れませんでした。大部分の芸能人が自衛隊の後援会に入っていますが、植木等だけは終生入会しませんでした。
ちなみに等(ひとし)という名前は人間はお釈迦様の前ではみんな等しいのだということで父の徹誠がつけた名前だそうです。
最近の日本ではどうも偏狭な愛国心を叫ぶ風潮があるようなので危惧しています。そんな想いでこのような連載記事を書きました。
愛国心は人それぞれにその中身は違います。他人へ愛国心を持てと言ったとたん怪しい中身になってしまいます。ですから私の連載記事に賛成して下さいとは絶対に言いません。そんな気持は始めから毛頭ありません。ただ言いたかったことは各自が深く考えた方が良いのではないかということだけです。
お読み頂いた全ての方々へ深く感謝いたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)