後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原子力潜水艦の構造と廃棄処分について

2014年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

福島の原発の廃棄作業は汚染水漏れなどで困難な作業が続いています。

しかしその一方、1990年頃のソ連の崩壊によって不要になったソ連極東海軍の原子力潜水艦の解体処分は日本の技術人が支援しています。

その進め方を書いたHP:(http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=05-02-04-02)には以下のように記述してあります。

・・・・・・原子力潜水艦の原子炉は、一次冷却系とともに高圧力に耐える原子炉格納容器内に非常にコンパクトに収められている。また、原子炉燃料の濃縮度は通常のPWRに比べて少なくとも5倍は高いといわれている。これらの廃止措置には技術的課題とともに膨大な費用を必要とする。また、原子力潜水艦は元来頑丈に出来ており、過酷な運航条件に耐えるが、廃止措置を行わずに長期にわたって港に係留しておくと環境問題を起こす可能性もあり、関係国では対策に苦慮している。
 旧ソ連では、原子炉部分をそのままでの状態で投棄するか、あるいは潜水艦に穴を開けて沈ませるなどの海洋投棄を行った。また、潜水艦から切り離した原子炉部分のみを海上に浮揚させるためのブイを付加して管理したり、原子炉から燃料を取り出した状態で港に係留して管理したりしている。1991年の旧ソ連崩壊後、米国、英国、フランス、ノルウェーなどが旧ソ連の退役原子力潜水艦の解体を支援している。一方、わが国でもロシア極東地域の非核化の一環として、2003年12月から同地域にある退役潜水艦解体の協力事業「希望の星」を進めており、これまでに2隻の退役潜水艦を解体した。2010年までには残りの4隻を解体することになっている。・・・・・・

この文献に示してある原子力潜水艦の構造図を下に示します。

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上の図の 左側に原子炉とその格納容器があります。この部分は原子力発電装置と同じです。

そして右側のスクリューを回転させる部分には発電機の代わりに蒸気タービンがついています。回転数を調整するギヤーとクラッチなどの機械構造がついています。

このような原子力潜水艦の各国の所有数を示したのが下の表です。

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この表によると1997年の中国軍の保有していた原子力潜水艦は5隻あるいは6隻と推定されています。

中国はその後、軍事予算を急速に増大しているので、現在はこの数倍の原子力潜水艦を保有していると想定されます。

以上の記事は明日掲載予定の、「日本の平和は日本人が守るべき時代(3)強大化する中国海軍の危険性 の予備知識として掲載するものです。

一読頂ければ幸いです。


一斉にいろいろな花が咲き出しました

2014年03月30日 | 写真

今年は冬が寒く、東京には記録的な大雪が降ったりして桜の開花が例年より遅れました。

しかし数日前から急に暖かい日になり、一斉にいろいろな花が咲き出しました。

昨日、野川のほとりを散歩しながら撮った雪柳、紅色と白い木蓮、白と朱色の木瓜の写真をお送りいたします。

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無宗教もよい、仏教も神道もよい、そしてキリスト教もよい

2014年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日です。毎週、日曜日には宗教に関する簡単な記事を書いています。

私は宗教が好きです。しかし狂信的にはならないようにしています。

無宗教もよい、仏教も神道もよい、そしてキリスト教もよい。これが私の本音です。

日本には科学的、合理的に考える人が多いので無宗教の人が半数以上いるようです。しかし人々は優しく、清潔で、住みやすい国です。ですから私は無宗教でも良いと思っています。

仏教も良いものです。特に鎌倉時代以後に出来た禅宗系の宗派が好きです。祖父が曹洞宗のお寺の住職をしていたので、幼少のころから観音経や般若心経を唱えていました。本堂の祭壇の裏ではよく遊んだものです。

神道もなじみ深いものです。元朝参りによく行ったものです。そして広と々した神社の境内は子供の頃の遊び場でした。

そしてキリスト教も良いものです。中年になってからカトリックの洗礼を受けました。家内も一緒に受けました。それ以来40年以上、毎週、日曜日は一緒にミサに行きます。

カトリックになってから仏教や神道のこと、そして全ての宗教のことが理解できるようになりました。愚かな私は、すべての物事を比較して考えないと理解出来ないのです。

例えば仏教とキリスト教は世界宗教という点で共通しています。神道は道教やヒンズー教と同じように一つの民族だけの「民族宗教」です。

世界宗教とはどんな国の人々にも国籍に関係なく納得出来る教えが中心になっています。仏教の教えの、「この世ははかない。栄枯盛衰は世のならい」という教えは全ての人類に共感される教えです。このような教えはカトリックにもあります。

仏教には神が出て来ません。しかし、お釈迦さまを神のように尊敬すればよいのです。そういう信仰も人それぞれで良いと思います。

つでに説明すればユダヤ教徒だったイエス様が、この民族宗教を根底から変革して国籍に関係なく全ての人々が納得するような教えに変えたのです。

新約聖書によく登場するサマリヤ人とは全ての外国人を意味すると考えると、いかにイエス様が外国人を大切にし、愛したかがご理解出来ると思います。

下にこの記事の挿絵代わりに北海道のトラピスト修道院の写真を示します。

修道院は東南アジアに普及している小乗仏教の僧院と比較すると似ています。

こんなことを考えると宗教の違いによる対立や戦争が如何にバカバカしいものかが実感できます。ですからこそ狂信がいけないのです。絶対に狂信的になってはいけないのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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下の写真は2年前に訪れた北海道のトラピスト修道院の写真です。

詳しくは、北海道の生活の厳しさと雄大な自然(1)トラピスト修道院の自給自足の厳しさ をクリックしてご覧ください。

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上は修道院の牧草地から見降ろした津軽海峡です。

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正面入り口までは、坂を登って一般の人も行けます。小さなレンガ造りの建物が開放されていて修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。

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修道院の高い塀に沿って裏の方へ回ると古い木造の牛舎が数個あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。