後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国際関係を客観的に観察する努力の重要性

2014年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は客観的に考えることが苦手です。自分の利害をまず優先しがちです。

ですから安倍総理の靖国参拝がアメリカやヨーロッパ諸国で評判が悪いかが理解出来ません。しかし今朝の読売新聞11面にその説明があります。日本に長く滞在しているイギリスのタイムズ紙のパリー支局長の対談が安倍総理の思想の問題点を明快に説明しているのです。

欧米諸国は靖国参拝だけだったら黙認します。しかし日本の総理大臣と、その政権の中枢の人々が太平戦争は侵略ではなかった。アジア解放のための戦争だったと主張しているのです。欧米人はそういう考えは受け入れられないと警戒しているのです。

戦後の歴代の総理大臣は、誰一人も太平洋戦争を侵略でなく解放のための正しい戦争だったと主張しなかったのです。

安倍総理もあからさまには言いませんが、アメリカ政府の反対を無視して靖国参拝をしたので、侵略では無かったという思想の持ち主だと判断されたのです。

日本人の一部は安倍総理の思想に賛成です。

しかし欧米人は、「太平洋戦争は侵略戦争だ」と現在でも認識しているのです。どちらの認識が正しいのか間違っているのかは問題ではありません。

国際関係を客観的に観察すると、欧米人は太平洋戦争は侵略戦争だったと信じている現実を理解しなければなりません。それが国際関係の客観的見方なのです。

歴史の解釈の仕方を議論しても虚しいのです。問題はこの欧米の考え方に日本の政権が賢く対応し、日本の国益を守ることが一番重要なのです。

最近の日本をとりまく国際関係は日韓、日中の関係から飛び火して日本と欧米との関係までに広がっているのです。困った問題です。

国際関係を客観的に見るもう一つの例を書いてみます。

それはクリミア半島をロシアが武力の助けを借りて占領した事件に関する報道姿勢です。武力を使ったロシアを非難すべきですが、「泥棒にも三分の理」というようにその半島を盗ってしまう理由があるはずです。

はっきり言えばクリミア半島の歴史とロシアとの関係を客観的に報道していないのです。もともとそこに住んでいたイスラム教のタタール人のことも書いていません。

もうすこし深い歴史的考察にもとづいた報道こそが国際関係の客観的報道と言えるではないでしょうか。末尾にそこにあるヤルタの町の写と参考資料を付けておきます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

Yalta

===参考資料====================

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6より。

ジェノヴァ時代とタタール人

13世紀になり、ジェノヴァ人は、クリミア半島の沿岸にある競争相手ヴェネツィアの植民地を破壊したり、占領したりしており、自らは、イェウパトーリア(ユーパトリア)、チェンバロ、スグダイア、カッファ(フェオドシア)などに植民地を建設し、活発な商業活動を行った。

一方、タタール人は、13世紀の初期に半島の北部と中央部に留まった。ジョチ・ウルスがティムール帝国によって滅亡させられた後、チンギス・ハーンの子孫であり、ハージー・ギレイをハーンとするクリミア・ハン国(1441年 - 1783年)が成立した。彼は最初クリミア一帯を統治していたが、15世紀初頭にはバフチサライも領土に含めた。しかし、立場はオスマン帝国の属国の王として、1478年から帝国の滅亡する1777年まで統治した。

ロシア時代

オスマン帝国が露土戦争(1768年 - 1774年)にてロシア帝国に敗れると、クリミア・ハン国はロシアに従属するようになり、その後1783年、クリミア半島全域がロシア帝国に併合された。

クリミア戦争(1853年から1856年)の舞台となり、激戦地セヴァストーポリで行なわれたセヴァストポリの戦い(1854年10月17日 - 1855年9月11日)はよく知られている。

ソ連時代

第二次世界大戦では、ソビエト連邦の大祖国戦争((独ソ戦)における激戦の舞台となった。セヴァストーポリでは、侵攻して来たドイツ軍との間にセヴァストポリの戦い(1941年12月17日 - 1942年7月4日)が起きた。

1944年、タタール族の人々(クリミア・タタール人)は対独協力を恐れたヨシフ・スターリン政権によって強制的に中央アジアに移住させられ(クリミア・タタール人追放)、クリミア半島はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一部として統治された。

ヤルタ会談(1945年2月4日~2月11日)。 以下省略。