後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

都立薬用植物園の昨日の花々です

2014年07月24日 | 写真

昨日、薬草植物園で撮ってきた写真の続編です。お楽しみ下さい。

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上の写真はフウチョウソウ科のクレメオです。セイヨウフウチョウソウとも言います。

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上はキク科のオオアワダチソウです。

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上はコガネバネで、根が漢方薬になり、消炎、解熱、下痢止めなどに効果があります。オウゴン湯にします。

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上はウリ科のトウガンです。種が鎮咳、排膿に効果があります。

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上はチョウセンアサガオです。麻酔薬になります。華岡青洲が江戸時代に麻酔薬に使ったことが有名です。キチガイナスビとも言います。


お薦めの夏の旅(3)はるかな上高地への旅

2014年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、梓川と大正池が夢幻のような盆地を作っているのです。

とにかく自家用車禁止ですから下の沢渡の大駐車場に車を置いてバスでしか行けない所です。夏でも標高が高く乾いた涼しい風が吹いています。夏に行くと上高地の良さが一段と深く分かるのです。

しかし夏は混みあいます。混雑を避けるには8月のお盆休みとその前後は行かない方が良いと思います。

上高地は昔、神垣内と書いたり、神河内と呼んでいたそうです。とにかく神々しい景観なのです。日本のどこにでもある谷川の風景とは全く違う神秘的で、そしてロマンチックな景観なのです。

以前は梓川沿いのバス道も無く、神河内に入るには北アルプスの高い山の上の徳合峠を越えて、この別世界へ降り立ったのです。苦しい山越えの後で見たこの夢幻的な景観に人々は桃源郷を連想したのです。極楽浄土を連想したのです。

明治の始めころ、イギリス人のウエストン卿も徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。そのときの感動を記した彼の著作を読むと私の胸も躍ります。

ウェストンは感動のあまり何度も徳合峠を越えて神河内へ足を運びました。人柄が良く山案内人に信頼されたと言います。このウェストンこそが上高地の魅力を日本人へ教えたのです。現在、彼のレリーフが静かに梓川を見降ろしています。

私は23歳の夏に、JR大糸線の穂高駅から中房温泉に泊り槍、穂高へと縦走しました。もう55年も前のことです。

中房温泉から燕岳を乗り越えて、大天井岳、西岳と尾根道を縦走し、槍の肩の小屋に一泊です。次の日は南岳へ尾根道を縦走してます。南岳からは最大の難所の大キレットを慎重に渡り北穂小屋に泊りました。そして最後に穂高からカラ沢を下り、梓川沿いに上高地に降り立ったのです。

そこには想像も出来ない神々しく感動的な光景が広がっていたのです。

清流の梓川。白い川瀬には茂る柳の木。白樺林。立ち枯れの木のある大正池。河童橋にのしかかるように聳えている明神岳。それを回り込むように蛇行する梓川。

すべてが夢心地のような風景です。

一度でも行ったことのある人とっては終生忘れられられない思い出の景観です。そして行ったことのない人々にとっては憧れの地なのです。

私の忘れられない上高地は、北アルプスを縦走して、疲れ果てた末に神河内に降り立った時に見た、その光景なのです。それが心に焼付いている私の上高地なのです。

その後仕事が忙しくなって何十年も行きませんでした。

しかし70歳で引退してからは8年間、毎年のように出かけています。冬以外の良い季節に家内と一緒に行くのです。

今年の5月12日も行きました。あいにく小雨模様の上高地はまだ冬景色でした。上高地の帝国ホテルでランチを摂り、田代橋から中の瀬を通り河童橋の見えるところまで散策して来ました。

若い頃感動した曾遊の地を何度も訪問して楽しめるのは老境の幸せです。仕事を70歳で一切止めた後の人生はまた格別に幸福なものです。これこそ年を取ってみないと絶対に分からない幸せです。

写真のはじめの2枚は今年の5月12日の写真です。穂高連峰を背にした上高地帝国ホテルの写真と田代橋から見た穂高連峰の写真です。

3番目の写真と4番目の写真は2011年7月2日に撮った田代池と大正池の写真です。

5番目と6番目の写真は2012年10月28日に撮った田代橋から上流の方の紅葉の写真と、中の瀬から見た六百山の麓のカラマツ林の紅葉の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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