本当のことを書くと怒る人がいます。我が意を得たり喜ぶ人がいます。
そこで本音を書いてしまいます。「ブランドをやたら尊敬する日本の文化は軽すぎる。はっきり言えば軽薄なのです」と書きたいのです。
これがこの連載の結論になりそうです。しかしこのように判断するのは日本文化の一面しか見ていない軽薄な結論になります。
ブランド指向には善意も混じっています。良い効果も沢山あります。ですからブランド趣味を否定出来ないのです。
それにしても日本にあるブランドものの食品には困ったものです。産地が違えば味が違うのは食べてみれば分かることです。産地のブランド名をつけて高価に売るのは商業の正道ではありません。
分かりやすい実例が松坂牛や神戸牛の高価さです。
おそるおそる少しだけ買って味わえば、確かにいかにも牛肉の良い香りがフンプンとして美味です。しかし同じ値段で仙台牛を買えば同じように上等です。なにもブランドにこだわる必然性がありません。
昔、アメリカに住んでいたころアメリカ人と一緒にビーフステーキを何度かたべました。彼等は骨付きの胸肉、ロース、もも肉と牛肉の部所を私に説明しますがブランドには一切関心がありません。自分が食べて味をいろいろ批評しますが、その牛がテキサスのものか南米のものかは一切話題にしません。自分が美味しいと思えばそのレストランに通うだけです。彼等はスーパーで生肉を買う時、肉を見ただけで美味か不味いか判断するのです。
日本人がイワシやサンマを買うとき魚の色合い、つや、弾力性などを見て買うのと同じです。
和牛にブランドなどあるのは日本だけではないでしょうか。
そこで今日はついでに気楽に和牛の話を書いてみます。
和牛が美味なことは本当です。現在は世界中に広がって飼育され、多くの外国人も和牛の味に感心しているという報道を見ました。
オーストラリア、カナダ、アメリカやヨーロッパでも飼育されているようです。
始めは日本の大商社が日本へ輸入するために和牛の飼育をオーストラリアの牧場へ奨励したのがキッカケで、その後、現地の人々が好んで食べるようになったようです。そして下の図面の左のように世界各国へ輸出されています。右はその和牛の肉です。(写真の出典は、http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2012/05/0530.html です。)
そして現在はフランスでも好んで食べられています。http://www.youtube.com/watch?v=-eV-NYKbak0 をご覧ください。
しかし外国では日本種の牛肉とか和牛と呼びますが、ブランド名はついていません。そこが日本と外国の違いです。
しかし和牛と言っても、純粋の和牛など市場に出回っていなのです。
三大和牛といって松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重していますが、それらは明治維新以来何度も体の大きい西洋牛と交配しています。要するに血統が正しくないのです。古来の和牛と西洋牛の雑種なのです。
本当に純粋な和牛を、「西洋種の牛の血が混じっていない日本古来の牛」 と定義すると、現在は2種類の牛だけになってしまいます。
萩市の沖合の離れ島の見島に生存している天然記念物の見島牛(みしまうし)と鹿児島県の離れ島に居る口之島牛だけです。
見島では7戸の「見島牛保存会」の農家が純粋種を守り続けています。食肉用として市場へ出荷されるのは年間12頭から13頭と言います。これこそが現在賞味されている全ての「霜降り肉」の元祖なのです。下に写真を示します。
そして下は昭和4年の見島牛のセリ売りの様子です。
(写真の出典は、http://www.mishimaushi.com/mishimaushi.htmlです)
さてこの「見島牛(みしまうし)とは」というHPを見ると、「和牛の変遷」というスライドショーが右肩についています。良く出来た説明です。
それによると和牛は中国から朝鮮へ伝わり、そして見島へ伝わったそうです。やがて見島から日本全国へ伝わったと説明されています。
すると、「見島牛(みしまうし)」は「朝鮮牛」と呼んでも間違いがありません。
しかしこれも変な話です。中国の福建州や中国の東北地方の沿岸から直接日本へ運ばれてきた牛もいた筈です。それらは「中国牛」と呼ぶべきではないでしょうか?
しかしもっと本格的に考えると日本には旧石器時代からオーロックスという野生の牛が跋扈していたのです。それこそが本当に純粋な和牛ではないでしょうか?
ですからこそ私は和牛、和牛と騒ぐ最近の食文化をいささか冷笑しているのです。
そして松坂牛や神戸牛や近江牛などをやたらに珍重している食文化を困ったものだと思っています。輸入牛でも美味しい部分を探して上手に料理をすれば良いだけのことです。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)