後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教の尊敬すべき狂信的なアーミッシュ派をご紹介します

2014年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なのでキリスト教のお話をもう一つお送りいたします。

その一派を私は深く尊敬していますが、真似は出来ません。自動車や電気のような近代文明を一切拒否して馬車とランプで生活している狂信的なアーミッシュという一派です。

アメリカに沢山その村落があります。アメリカ社会の奥の深さは我々日本人の想像を越えるものがあります。

私は1989年と90年にオハイオ州立大学で働いていたことがあります。単身赴任でしたので、週末になるとオハイオ州の農村地帯をよくドライブして楽しみました。

その折りに近代文明を拒否して原始的な生活をしているこのアーミッシュの村落を偶然見つけたのです。帰宅していろいろ調べてみました。そしてアメリカ人の同僚に聞きましたところ、是非訪問して一泊してみなさいと言われました。

アメリカの東部や中西部には自動車、電気、ガス、水道を拒否して、中世のヨーロッパの農村生活を現在でも続けているアーミッシュという人々が住む村が散在しているのです。

ルターの宗教改革で生まれた純粋原始キリスト教の一派で絶対平和主義の信仰を守っている人々だそうです。

そこでオハイオ州の北部にあるアーミッシュ村を1990年に訪問し、一泊しました。

その時の旅行記は、外国体験のいろいろ(12)にあります。クリックすると開きます。ブログ:http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp  の2007年11月24日に掲載した記事です。

今日は彼らの生活ぶりの写真だけを下にお送りします。

特に3枚目の室内の写真を注意深くご覧下さい。部屋には電燈が無く、薪ストーブが中央にあるだけです。

衣類も壁にぶら下がっているだけで、何枚もクローゼットに並べて吊るして仕舞うほど沢山持っていません。下着は箱に仕舞い、農作業と礼服を共用する服を毎日着ています。

農作業にはトラクターは一切使いません。4枚目と5枚目の写真のように馬車と人力だけで刈り取りを行います。

彼らはアメリカの義務教育を受ける義務はありません。税金も収める必要もありません。しかし徴兵には従うのでアメリカ人としての国籍を持っています。徴兵に応ずるときは徴兵期間を延長して平和的な看護兵や後方勤務に着きます。

そんな人々を抱え込んでいるのがアメリカ社会なのです。

この様な人種の多様性がアメリカ社会の強さの原因になっていると良く言われています。

下の写真をお楽しみ下さい。

写真の出典;http://en.wikipedia.org/wiki/Amish と http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=%EF%BC%A1%EF%BD%8D%EF%BD%89%EF%BD%93%EF%BD%88&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=x21sTdiDCoXovQPLhoHYBA&ved=0CDQQsAQ

Photo

Photo_2

Photo_3

Amish2_1115783c11

Amad0851_21

Pennsylvaniaamish111


ロマンかき立てる北海道(6)函館のカトリック元町教会とトラピスト修道院

2014年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なので函館の古いカトリック教会やトラピスト修道院をご紹介したいと思います。

2012年6月17日、18日、19日、20日と、函館郊外の湯の川温泉に3連泊し、車で丁寧に回りながら撮った写真もご紹介いたします。

まず函館のカトリック元町教会をご紹介いたします。1859年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。

このカトリック元町教会は、以後、3度の火事にあいます。

現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。

この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。

明治維新の起きる前の江戸時代です。キリシタン禁教は厳しく、明治政府になってから7年間もキリシタン禁教が続けられたのです。

ですから教会が出来ても隠れキリシタンは訪れることは出来ませんでした。

そんな古い時代に函館のカトリック教会が造られたのです。

下に外観と内部の写真を示します。

H_0281

H_029_211

 函館観光に行ったら是非、このカトリック元町教会の内部の中央祭壇と内壁に飾ってある14個の木造彫刻をご覧下さい。イタリーのチロル地方の作品です。

ついでにロシア正教のハリスト函館教会の写真を示します。

K_0271

1858年、日露修好通商条約が出来るとロシア領事、ゴシュケヴィチがすぐに函館に着任します。

彼は領事館の付属聖堂としてロシア正教の教会堂を作ります。そして1861年には領事館付き司祭としてニコライ神父をよびます。このニコライは後に東京の神田にニコライ堂を建て、ロシア正教を基礎にして日本正教会を作ったのです。

彼は日露戦争が起きても、日本に踏みとどまって日本人信者の為につくしたのです。亡くなった時には明治天皇から花輪が贈られ、上野の谷中の墓地の土になったのです。

函館に行ったら是非外人墓地もご覧下さい。函館の東南の小高い岬にあります。故郷を遠く離れ異郷に眠る人々の冥福を祈ると何故かロマンチックな気分になります。皆 海に向かって建てられています。下のその写真を示します。家内も何か考えながら佇んでいます。

K_0471

さて函館の西の松前の方向に車を30Kmほど走らせると淋しい丘の上にトラピスト修道院があります。はるかに見下ろすと津軽海峡が碧く光っています。

この寒冷の地に戒律が厳しい自給自足の修道院を作った人がいたのです。フランスの戒律の厳しいことで有名な厳律シトー派の流れを汲むトラピスト派の数人の修道士が1896年、明治29年にやって来たのです。

石ころの多い熊笹の原野や深い森を切り開いて乳牛の放牧場を作り、レンガ造りの建物を建設したのです。

場所は函館の西の渡島当別駅のそばです。不便な所なので観光客の少ない深閑とした林の中に修道院本館と大きな牛舎が高い塀の中に見えます。

その外は一面に牧草が生えた放牧場です。今回は車だったので、4日間に4回も訪問しました。修道院と周囲の景観が素晴らしかったのです。そして日頃のいい加減な信仰を反省しながら周囲を散策したのです。

この修道院はローマ法王傘下のカトリック組織の一部ですが、戒律が厳しい事で有名です。修道士は一生の間、修道院敷地から出ません。早朝から夜まで、祈りと牧畜の労働だけで過ごします。生産される乳製品の一部を外部へ売り、衣服や光熱費をねん出します。

その製品はトラピスト・バターやトラピスト・クッキーとして現在でこそ有名ですが、昔は苦しい生活が続いたそうです。現在の修道士は外国人も居ますが、殆ど日本人男性です。修道院の見学は女性禁止で、男子のみ往復ハガキで申請すれば可能です。下に写真を示します。

K_0561

上は修道院の入口からはるか丘の上にある修道院を眺めた写真です。

K_0671

正面入り口までは坂を登って一般の人も行けます。小さなレンガ造りの建物が開放されていて内壁に修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。

K_0931

修道院の高い塀に沿って裏の方へ回ると古い木造の牛舎が数個あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。上の写真がその古い牛舎の様子を示しています。

函館は江戸時代の末頃、幕府によって開港された港の一つです。街には古いロシア領事館やイギリス領事館が残っていて昔のヨーロッパの雰囲気がそこはかとなく残っています。その感じは神戸や横浜の一角と同じようです。

その江戸時代も終わり明治政府になってから榎本武揚や土方歳三がやって来て政府軍と激しい戦いをしたのです。そんな北海道独立の夢の跡をたずねるのも良いものです。全ては歴史の彼方に消えて行きます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)