後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

鳴子温泉街の店先に咲いていた花々

2014年07月17日 | 写真

お客が少なくなって淋しくなってしまった鳴子温泉街の店先に咲いていた花々の写真です。
かつては土産店がずらりと並んでいて、湯上りのお客さんたちが下駄をカラコロ鳴らして歩いていたものです。
その温泉街通りも廃業した店が多く、人影もなく、
初夏の風だけが吹き抜けています。

しかしまだ開いている店々の前には美しい花の鉢が飾ってあるります。声をかけても誰も居ないので写真だけ撮らせてもらいました。下に示します。

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宮城県、鬼首高原にて想う(2)栄枯盛衰の激しさに涙す

2014年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

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今回のホテル・オニコウベの滞在は2泊なので中一日はバスで30分くらいの所にある鳴子温泉へ散策に行きました。

昭和11年に仙台で生まれ、昭和35年仙台を出るまでの24年間、何度も泊まった鳴子の横屋温泉旅館を訪ねてみるのが散策の目的でした。

上の写真の道の突き当りに大きかった横屋があった筈です。

それが無いのです。跡地には吟の庄という高層の宿になっています。

昔は5種類の泉質の違う湯船の並んでいたお風呂場は、平らにコンクリートで埋められ駐車場になっています。すっかり様変わりしています。

横屋の前の通りを下駄を履いてカラコロと歩いたものです。両親や叔母と一緒に沢山あったお土産屋さんの店を丁寧に見て回ったのを思い出します。

そして新婚の時一度だけ家内と両親とで泊まったことがありました。広い遊戯場の卓球台があり、家内とピンポンと遊んだものです。

昔は鳴子温泉といえば県内一の賑やか温泉地でした。社員旅行といえば必ずのように鳴子に行ったものです。

それがすっかり寂れてしまい倒産した旅館の跡地が下の写真のように広々とした芝生になっています。

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近年の日本人の遊び方が変わってしまい、以前のように温泉には行かなくなったのです。

東京近辺の熱海や湯河原や箱根の強羅や湯本も昔の勢いがありません。

栄枯盛衰は世の習いとは云え、その激しさにしばし涙しました。旧懐の情が胸に溢れます。

何故か悲しい想いでホテルに帰り、夕日を見ながらビールを飲みました。

ビールを飲みながら鳴子温泉は人々が住んでいてまだ良いほうだと思いはじめました。そして全国に廃村になったり、無人島になってしまったところが沢山あることに気がついたのです。

栄枯盛衰をもっともっと激しくすると廃村や無人島になるのです。そこには子供達の声が溢れていた小学校があったのです。水田や畑作で働いていた両親が居たのです。それが夢幻のように消えてしまったのです。

廃村になった村に生まれ育った人々の故郷が消えて無くなってしまったのです。無人島になった島に生まれて育った人々の故郷も消えてしまったのです。

そんな場所を昨年の8月に調べたことがありました。

一例は五島列島の野首教会のある野崎島です。10年ほど前に過疎化の末に無人島になり教会だけが淋しく残りました。

下が、その野首教会で、この写真の出典は、  http://www.ojika.net/town/news/201007200927.htmlです。

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なお最近、長崎県教会群を世界遺産にしようと、政府により暫定認定されました。上の写真の野首教会もその中に含まれています。

それでは全国に過疎化の故に無人島になった島々は幾つほどあるのでしょうか?

検索して調べてみましたら、HEYANEKO(浅原 昭生;Asahara Akio) さんのHPを発見しました。

下の参考資料にそのURLを示しておきます。全国に驚くほど数多くの廃村があるのです。驚くほど多くの島々が無人島になってしまったのです。

今回の宮城県、鬼首高原への旅ではすっかり様変わりしてしまった鳴子温泉を散策していろいろなことを思い出しました。

そしてその想いが、全国の過疎化による廃村や無人島化のことを思い出させてくれたのです。

この世は悲しさに溢れているとしみじみ想ます。困ったものです。

まあ、それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料:「無人島化した離島一覧表」===========

これは驚くべきHPです。日本全国に過疎のために消えてしまった廃村の完璧な調査が体系的に報告してあるのです。そのURLは、http://heyaneko.web.fc2.com/0mujintou.htmlです。是非、ご覧下さい。