後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「酒は大七」の看板が減ってきて淋しい時代になりました

2014年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、東北本線で仙台に帰る途中、福島県に入ると左の山並みの上に「酒は大七」という大きな看板がかかっていました。その看板を見るたびに、「ああ、故郷へ帰ってきた」という感慨に打たれたものです。その看板は宮城県に入っても遥か山の上の方に幾つかあfりました。

福島県二本松にある「大七酒造」という江戸時代からの酒蔵の看板です。

東北新幹線が出来ても看板は昔のように山並みの上に幾つかあり、故郷が私を歓迎しているような気分になったものです。

それが数日前に東北新幹線で古川まで往復しましたが、「酒は大七」の看板がめっきり減っているのです。半分、朽ちているのもあります。「大七酒造」が廃業したようで寂しいかぎりです。

今日、調べてみましたら、現在の十代目の当主が看板の保守を怠っているようです。酒蔵は相変わらずの隆盛です。有名な銘酒もいろいろ出荷しているようです。

会社には経営方針があり他人がとやかく言うべきではありまぜん。しかし東北へ帰るために東北新幹線や東北自動車道を通る人々のために、「酒は大七」の看板を昔のように保守管理し戴きたいと願っています。

下にその看板の写真を示します。

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写真の出典は、 http://www.interq.or.jp/blue/ae86kai/its-about!/profile2/eirinn.htm です。

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写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/suzukisyoukai/e/b66137fb2b41df0efd8c95d33d5cfc19 です。

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写真の出典は、http://morizou128.web.fc2.com/station/tohokuline.html  です。

====参考資料:http://www.daishichi.com/gaiyou/tosyu.html より========

初代 太田三郎兵衛好重<1721年(享保6)生 1776年(安永5)没 享年56歳>

太田三良右衛門栄親

一代目妻

初代 太田三郎兵衛好重<1721年(享保6)生 1776年(安永5)没 享年56歳>
 太田三郎兵衛好重の子、三良右衛門は、本家がより大きく栄えたのを機に、1752年(宝暦2年)に32歳で現在の地に分家独立しました。当時の酒銘は「大山」。

     初代の肖像画は、黒の羽織、薄墨色の着物をまとった、全体に質素な印象です。傍らに脇差しと扇子とがあり、帯刀を許されていたことを示しています。鋭い眼差し、意志的で精悍な表情に創業者ならではの気迫が感じられます。手にしている黒い数珠が特徴的で、信仰篤き人であったことが伺えます。
     この肖像画の上には、善性寺十九代住職による賛が書いてあります。

 

十代目 太田英晴<現当主>
太田英晴

昭和35年生。
              東京大学法学部卒。
              国税庁醸造試験所で研修後、大七酒造に入社。
              専務取締役、取締役副社長を経て、平成9年8月より現職。
              (社)日本青年会議所酒類部会 第40代部会長(1999年度)


諏訪湖の水陸両用観光バスのご案内

2014年07月18日 | うんちく・小ネタ

日本にある湖の大部分は火山のカルデラに水が溜まったカルデラ湖です。

琵琶湖と霞ヶ浦はカルデラ湖ではありません。それは知っていましたが諏訪湖もカルデラ湖ではないという話を聞きました。

「日本のカルデラ湖」を検索したら、なるほど諏訪湖もカルデラ湖でないのです。

ついでに諏訪湖を検索したら面白そうな水陸両用観光バスの情報がありました。

これから始まる夏の楽しみになると思い以下に写真をお送りいたします。

下の写真の出典は、  http://blog.goo.ne.jp/nobosan_domo/e/0aa5cd88ea7fec4d3324f6014093c8f3 です。

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上の写真のように陸上では背の高いバスです。

諏訪湖に設置してあるコンクリート製のスロープを下りて水に浮かべば後ろについているスクリューが回ってモーターボートのように巡航しす。

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上の写真の出典は、 http://www.suwakanko.jp/note/c_note.cgi?page=97&mode=moveです。

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上の写真の出典は、  http://blog.goo.ne.jp/nobosan_domo/e/0aa5cd88ea7fec4d3324f6014093c8f3 です。

この観光バスに乗った方の 動画は沢山あります。

http://videolike.org/video/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%B9%96%E6%B0%B4%E9%99%B8%E4%B8%A1%E7%94%A8%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC をご覧下さい。


宮城県、鬼首高原にて想う(3)この高原で起きた戦いを思う

2014年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

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上の写真のようなオニコウベ高原をホテルのテラスから3日間眺めていました。

いろいろなことを想う3日間ですが、今日はこの地で起きた戦乱のことを書いてみます。

古来このカルデラ 盆地には縄文人が住んでいたと想像出来ます。狩猟や野草や木の実の採集には最適な場所のように見えます。そして盆地を囲む外輪山が敵の襲来を防ぎ平和な別天 地だったのでしょう。この地に武勇を誇っていたのが「大武丸」だったのです。それが802年の頃の征夷大将軍坂上田村麻呂の侵入で殺されてしまったのです。

大武丸は鬼と呼ばれていたので鬼切部という地名になり、後の世に鬼首となったのです。その後しばらくは縄文文化の人々が平和に暮らしていました。

しかし1083年になり後三年の役が始まるとこの地はまた戦乱に巻き込まれたのです。

当時、陸奥国に強大な勢力を張っていた安倍氏一族と、平安朝廷から派遣されていた陸奥国守の藤原登任(ふじわらなりとう)とが対立し、大規模な戦争になったのです。

勝敗を決めた主戦場はこの鬼切部(現鬼首)でした。凄惨な戦いの後、藤原登任の政府軍が多くの死者を出して敗れたのです。

こんな歴史を思いながら現在の中近東の内戦へと想いが馳せたのです。

イラクの内戦、シリアの内戦、ウクライナ東部の内戦、そしてイスラエルとパレスチナ自治国家のガザ地区の間の血みどろの内戦を悲しい気持ちで考えていました。

人間は何故戦争をするのでしょうか。領土欲、統治欲、物欲、そして他人を虐げようとする欲などが永遠に続くのでしょう。

それにしても泊まったホテル・オニコウベは平和そのものです。その上、このホテルは全ての家具調度をヨーロッパのアルプス地方から直接輸入したのです。日本にもそんな景気の良い時代があったのです。感慨無量です。下にその家具調度の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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===前九年の役と後三年の役================

九世紀初め(802年)征夷大将軍坂上田村麻呂が胆沢城(水沢市)志波城(盛岡市?)を造営し、鎮守府(古代蝦夷征伐のための官府)を多賀城(多賀城市)から胆沢城に移すに及んで北上川中流域の征夷開拓がすすみ、「奥六郡」(岩手、紫波、稗貫、胆沢、江刺、和賀)が建置された。

11世紀、東北地方には出羽国に清原氏、陸奥国に安倍氏という強大な豪族が勢力を誇っていた。しかし陸奥国の安倍氏は陸奥国司と対立し、1062年(康平5年)に前九年の役と呼ばれる12年間の戦いの末に滅び去った。この時、戦役の最終局面で参戦して国司側戦勝の原動力となったのが、清原氏の清原武則である。

その後、1083年(永保3年)に後三年の役が始まるまでの東北地方の政治状況ははっきりしないが、清原氏の当主の座は前九年の役当時の清原光頼から弟の武則の系統に遷り、武則を経て武則の息子の武貞、さらにその嫡子の真衡へと継承されていた。

武貞は前九年の役が終わった後、安倍氏一門の有力豪族であった藤原経清(敗戦後に処刑)の妻を自らの妻としていた。この女性は前九年の役で戦死した安倍氏の当主、安倍頼時の娘であり、経清との間に生まれた息子がいた。

安倍氏は忠頼(ただより)、忠良(ただよし)、頼良(よりよし 後に頼時に改める)の三代数十年にわたって奥六郡を有するまでに成長した。更に勢力を増し衣川(平泉附近)を越えて南進するに及んで陸奥守藤原登任(ふじわらなりとう)は断固阻止せんとし、出羽秋田城介平重成(たいらのしげなり)に援助を求めながら共に鬼切部(現鬼首)で戦ったが、この政府軍「敗績し、死者甚だ多し」という。

http://www4.kcn.ne.jp/~yukiharu/sakanouenotamuramaro.htm と、

 http://www.yokotekamakura.com/kanezawa/battle/battle2.htm より。