後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏の薬草園の花の写真をお楽しみ下さい

2014年07月03日 | 写真

アイヌ民族の話が続きましたので、昨日、夏の薬草植物園で撮って来た花々の写真を送りいたします。
上から順にアーティチョークの花、ウイキョウの花、ラベンダー、ノカンゾウ、セイタカアワダチソウの花の5枚です。

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驚かないで下さい、北海道の地名の8割はアイヌ語、そして富士山、利根川、能登もアイヌ語です

2014年07月03日 | インポート

北海道に住んでいる人々は北海道の地名の8割ほどがアイヌ語をカタカナや漢字で表現した地名であると知っているそうです。しかし北海道以外の日本人は意外にこの事実を知っていません。札幌も稚内も石狩川もすべてアイヌ語の地名を漢字で書いたものです。

その上、驚くべきことは、富士山や利根川や能登半島もアイヌ語だそうです。

そして神佛などというときの「神」もアイヌ語から来ているそうです。

このことは明治時代に、東京帝国大学の教授であったバジル・ホール・チェンバレン教授によって明らかにされたのです。彼は英・アイヌ・和語辞書を作った学者です。

アイヌ人は縄文時代末期まで、関東地方にも広がって住んでいたのです。その後、大和朝廷に少しずつ北方へ追いやられ、江戸時代には北海道(蝦夷地)にだけになりました。しかしその一方で、多くのアイヌ人は混血して東北地方にも住み着いていました。

ですから本州の関東以北にはアイヌ語の地名をいくつも残っています。

話はいきなり飛びますが、アメリカの内陸部の地名、河の名前がインディアン語のものが多いのです。オハイオもそうですが、オハイオ州の河や地名の多くはインディアン語由来のものです。先住民は消えて行いきます。しかし先住民の残した地名はアメリカに沢山あります。

に「北海道の地名・駅名」についての資料をご紹介します。出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%83%BB%E9%A7%85%E5%90%8Dです。

これには北海道のアイヌ語由来の地名をカタカナや漢字で表すときの一般的な規則が分類され出ています。

=====Wikipediaの「北海道の地名・駅名」より抜粋======

北海道の地名・駅名は、概ね以下のように分類できる。

  • アイヌ語に由来するもの
    • アイヌ語に日本語(漢字)表記をあてたもの
    • アイヌ語をそのまま使用しているもの
  • 内地からの開拓・入植に際して地名が決められたもの
  • 周辺に存在した施設・自然状況、あるいは周辺の風土などから命名
  • 上記によって定められた地名・駅名に、方向や大小などの接頭語・接尾語をつけたもの

@アイヌ語に由来するもの

アイヌ語地名に日本語風の地名・駅名につけるにあたっては、以下の方法が見られた。

  1. アイヌ語に漢字の表記をあてたもの
  2. アイヌ語の音に漢字をあてずカタカナで表記しているもの(日本語を割り当てていない)

@アイヌ語に漢字表記をあてたもの

老者舞(おしゃまっぷ)
(釧路町老者舞集落入口にある標識)

漢字の当て方には、次の2通りが見られる。

  • 音訳 - アイヌ語の「音」を流用し、漢字を当て字(仮借)したもの
  • 意訳 - アイヌ語の「意味」を解釈し、似た意味の日本語を割り当てたもの
音訳したもの

音訳の例としては、「ホッキ貝の多い所」を表す「ポク・オ・イ」からとった母恋や、「川口の汚染された所」を表す「オ・トイネ・プ」からとった音威子府・音稲府(枝幸町)などがある。また、アイヌの地名をそのまま日本語地名としては冗長であったりごろが悪かったりする場合には一部短縮・省略したものもある(オペレケレケプ->帯広、ピウカ->美深))。

これらは音のみに着目した「当て字」である。漢字は表意文字であるが、あてられた漢字の意味にアイヌ語原義との直接的な関連性があるとは限らない。例えば、道内に数多く見られる「内」「別」は、それぞれアイヌ語で川を意味する「ナイ」「ペツ」に当て字されたものであり、「内側」「別れる」の意味は持たない。同じように「幌」は「大きい・広い」を意味する「ポロ」の当て字で、「幌」の字の持つ意味とは関係がない。

========以下省略します。==============

下に1912年に北海道で撮ったアイヌ民族の写真を示します。

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(上の写真の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C)

1912年にチェコのヤン・ハヴラサという旅行家が北海道のアイヌを訪ねて撮った写真が残っています。本が出版されたからです。

その本は、ヤン・ハヴラサ著、長与進訳、「アイヌの秋ー日本の先住民族を訪ねて」という本です。未来社から1988年9月に第一刷が発行され、1994年1月に第3刷が発行されています。

1912年のアイヌでは伝統的なアイヌの衣装を着て生活をしていたのです。他にも独立した民族としての最後の頃の写真が多く残っています。それらの一部は、ロマンかき立てる北海道(2)石器時代からの北海道民族の写真とアイヌの友人の思い出 に掲載されています。

その後、日本人はこの違う文化を持った他民族を消し去ったのです。

現在は2014年。丁度100年位後です。多くの日本人はアイヌが北海道に堂々と住んでいたことを忘れてしまいました。しかしたまにはアイヌ民族のことを思い出してみることも良いと信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)