後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

何故、お釈迦様はご自分のお墓や仏像を作ることを禁じたか?

2014年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

先日以来、ローマ法王のフランシスコ教皇の出された「信仰の光」という本を眺めています。読んでも理解出来ないから眺めるだけです。

しかし部分的には理解出来るところもあります。

2つありました。一つは偶像崇拝はいけないという理由です。もう一つのところは第二章の「信じなければ、あなた方は理解できない」という部分です。

考えてみるとこの二つの部分はキリスト教を文化の基盤としているヨーロッパ人の共通な認識であり、基本的な考え方です

そこで今日はこの本の18ページの13節から説明します。その節は「イスラエルの歴史は不信仰への誘惑をも示しています」という書き出しで始まっています。

こういう文章は日本人とお釈迦様に置き換えて読めば成程と完全に納得できるのです。

そうすると「日本人の歴史はお釈迦様への不信仰への誘惑をも示しています」と書き換えれば日本人なら誰でもそうですねと納得します。

そして偶像崇拝の定義とは「顔が、顔でない顔へ注意を向けることである」と書いてあります。

これを翻訳すると、「お釈迦様の本物の顔(教え)でない顔へ注意を向けることである」となります。

これ以下の文章を仏教に置き換えて翻訳いたします。

すると・・・人は、お釈迦様のへの信頼や信仰の代わりに仏像(偶像)を崇拝することを選びます。仏像とは例えば観音像とか薬師如来像などなどですね。そして人は仏像の顔を見つめることが出来ます。しかしその像は人間が作ったことも知っています。ですから仏像は自分を中心にした現実の存在になっているのです。

仏像を崇拝すると人は自分の多くの欲望の成就を祈ります。そしてお釈迦様の他にもう一つの崇拝の対象になるのです。

お釈迦様だけを大切にし、信じるという純粋な仏教への信仰心が消えてしまうのです。
ですから観音像や薬師如来像などを崇拝することは、お釈迦様へ向かう一つの道をたどるのではなく、無数の迷い道をたどることになるのです。


ですからヨーロッパ人は偶像崇拝を軽蔑します。蔑みます。軽蔑したり蔑むことをイエス様が厳禁しているのを忘れているのです。

それではヨーロッパに偶像は存在していなのでしょうか。

それが有るのです。数多くの聖人の像や絵画があります。ローソクが灯され花が供えてあります。ロシアには高価に取引される古い聖画(イコン)が沢山あります。日本と同じことです。

しかし決定的に違うことは「偶像崇拝はいけない」と知りつつ願い事を祈っているのです。

日本人は偶像崇拝はいけないと思いつついろいろな仏像を拝んでいるわけではありません。反対に観音像や薬師如来像を信仰の対象にすらしているのです。この違いが文化の違いなのです。

文化には優劣はありませんが違いは厳然として存在するのです。
イスラム教徒ではなくイスラム教が立派な高等宗教に見えるのは偶像崇拝を徹底的に排除しているからです。しかしその教徒が中近東でしている殺し合いには手の付けようがありません。

それでははカトリックの私はといえば、日本人なのでいろいろな仏像を拝むことがあります。

2つしていることがあります。仏像の保存のためにと必ずお賽銭を少しだけあげます。そして仏像を拝むときお釈迦さまの教えてくれた般若心経の一つの言葉、「色即是空、空即是色」と唱えます。

そんなことをしながらイエス様の無辺の愛を信じ、星のかなたにいる全能の神を信じています。しかし迷いの毎日です。
それにしても人間は救われない存在ですね。世界中でいつまでも戦争が絶えないのですから。

http://matome.naver.jp/odai/2139234686162856601?page=2 をご覧下さい。(続く) 

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悲劇が起き廃業してしまった星降る民宿、星山荘の思い出とその花園

2014年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

山梨県、北杜市のもと武川村に星山荘という民宿がありました。甲斐駒岳の麓の高原にあったので、夜になると星が降るように見えたものです。星山荘という名前に納得しながら飽きずに夜空を見上げていました。

韮崎の市街のある東方向は空が明るいので星が鮮明に見えません。しかし西側の甲斐駒岳の黒々とした山稜の上には、まばゆいばかりの星々がか輝いているのです。

1973年から山林の中の小屋を作り始めてからその民宿に時々泊まったものです。

そして小屋の周囲の別荘の人々と清流園という管理組合を作り、この民宿で村の人々との交流会も開いたのです。

山小屋に都会から客人を招いたときは小屋の庭でバーベキューを楽しんだ後、この民宿に泊まって頂いたのです。

3人の孫も小屋の前の小川で水遊びをし、夕食後にこの民宿に何度も泊まりました。

小屋は小さいので我々夫婦が寝るのがやっとなのです。

星山荘のご主人は短角黒毛和牛の育成の名人で、育牛コンテストで優等賞をとった人でした。何度か泊まった折には、香りの良い牛肉の美味しいスキヤキをご馳走になりました。しかし年老いてからは牛の飼育は止めていました。

この民宿の女主人は花の栽培が好きで四季折々、いつ行っても花々を咲かせています。

この楽しい思い出がいっぱいの民宿に昨年、とりかえしのつかない悲劇が起きてしまったのです。

火事で跡形も無く焼け落ちてしまったのです。お風呂などへお湯を送る大型ボイラーの漏電です。

突然の発火で気がついたときは、火の勢いが激しくてどうしようもなかったと主人が言っていました。

ご主人も奥さんもひどく落胆し、急に老け込んでしまいました。もう再建する元気もありませんと言うのです。そして焼け残った離れを少し改造して夫婦だけで住んでいます。

毎年、毎年、奥さんの栽培する花園の写真を撮りに通いました。

昨年の夏と、今年の春にも星山荘を訪ね、花園を見せて貰いました。

花園はすっかり荒れてしまって名残りの花が少しだけ咲いていました、。とても写真を撮りたくなるような姿ではありません。

出て来た奥さんが、「もう花々を育てる気力もありません」と言います。私は息子さんが元気にしていて、お孫さんもいるのだから幸せですねと慰めるのがやっとでした。

こうしてあの星降る星山荘が消えてしまったのです。淋しいですね。でもこれがこの世の定めと諦めています。

下に2008年7月20日午前10時前後に家内が撮った花の写真をお送りいたします。ギボシ、キキョウ、ノウゼンカズラ、タイマツソウ、ヒマワリなどの写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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