後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本は数多くのアメリカ兵捕虜を殺し、ドイツはほとんど殺さなかったという事実

2014年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

第二次世界大戦中に日本軍へ投降したアメリカ軍人の正確な数字は分かりませんが、下の表では25600人という数字もあり、32620人という数字もあります。

その捕虜の41%か38%は死亡してしまい、故国へは帰りれませんでした。

一方、ドイツ軍へ投降した93941人のうち死亡したのは1.1%だけでした。

これを単純に比較して日本人は捕虜にたいして残酷な取り扱いをしたと言う気持ちはありません。捕虜を受け取った戦線の過酷な状況の相違も原因になっている事は容易に想像出来ます。

しかし捕虜達のその後の運命は大きく違っていたのです。

ソ連に侵攻したドイツ軍は2000万人のロシア人を殺しています。ドイツと日本とどちらが残酷だったかという問題には意味がありません。

一方、現在の日本人は、アメリカ軍人の他にも多数のイギリス人・オーストラリア・インド人とオランダ人も捕虜として過酷に取り扱った事をあまり知りません。

ただ、以下の表をご覧になって、静かに戦争の残酷性を深く考えてみたいと思います。

20世紀は戦争の世紀でした。

21世紀こそ地球上から一切の戦争が無くなるようにと祈ります。お祈りします。

そして今日一日平穏に過ごせますように。

===出典:「我が家のホームページ」(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM)===

日本軍に捕えられた捕虜等

  国籍別の死亡率
           アメリカ人    イギリス人、オーストラリア人、      オランダ人
                           英国系インド人

  捕 虜 合 計    25,600人     130,000人         37,000人  
  捕 虜 死 亡    10,650人      8,100人          8,500人  
  死 亡 率     41.6%       6.2%             23%  

  強制労働者(オランダ領インドシナ、現インドネシア)
  労 務 者     300,000人  
  労務者死亡     230,000人  
  死 亡 率      76.6%  


  第二次大戦中にナチス(ドイツ軍)または日本軍に捕えられたアメリカ人の行方

  米軍人の捕虜  
                   ナチス  %                        日本軍  % 

  米軍人捕虜人数      93,941人  ---               36,260人  ---

  死亡した捕虜        1,121人   1.1%               13,851人   38.2%
  

  抑留されたアメリカ民間人
                ナチス  %                           日本軍  %
  抑留された民間人数     4,746人  ---                13,996人   ---
  死亡した人数         168人 3.5%                  1,536人 11%
  

               出所: AXPOW Association, March 15, 2000

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上の記事は暗い話だったので挿絵代わりに花の写真を3枚添付いたします。

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上は ユキノシタ科のノリウツギの花でです。 サビタやノリノキとも呼ばれます。

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上はシュウカイドウ科のベゴニア・ドレゲイの花です。

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上はコチョウランです。


戦争の悲惨さを忘れないようにしよう(5)海外の114万柱の遺骨が還らぬ悲劇

2014年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

日本は豊かになった。経済的に繁栄したと人々は満足しています。

しかし太平洋戦争の為に海外で亡くなった240万人の犠牲者のうちまだ113万5千人の遺骨が日本へ帰って来ていません。

最近は若いボランティアも参加して、遺骨を探す努力をしています。しかしその努力は遅々として進んでいません。

父や夫や息子や家族を戦争で失った遺族にとっては太平洋戦争は終わっていないのです。

113万5千柱の遺骨が還らぬ限り太平洋戦争は終わっていないのです。

最近、あるブログで還らぬ父の遺骨に関する文章を読みました。

その文章をもとにして書き変えた一文を以下にお送りします。

今日は粛々として、慰める言葉もありません。言葉の無力を感じるだけです。

=======「平和とは」====================

20世紀は科学技術が大きく進歩したので大戦争が起きたものと思います。・・・武器が急に進歩して、使ってみたくなります。自分の国が勝つと思いこみます。そして大きな戦争が始まります。

私はその戦争の犠牲者だと思っています。

海軍で戦死した父へ、国から人が来てお線香も上げて貰っていません。

遺骨も還って来ません。 とてもと、とても不満です。

そしていくら靖国神社で追悼式典が開催されていても、ひとかけらの遺骨も無い父の魂は其処には無いのです。

どんなに立派な追悼の辞を読み上げていただいても他所事に思えるのです。

そんな哀しい心を引きずって生きているから、癒しは自然の中の花々や鳥さんたちを眺める事で得られます。その写真を撮りながら自分を慰めています。

平和ってなんでしょう。どうしたら世界中が平和になるのでしょう!

小さな島の奪い合いって醜いですね。

人間って哀しい生き物ですね。
ツバメが沢山の卵を孵して立派に子育てをして旅立っていきました。

世界中の人間一人一人がもっと上手に子育てをして世の中へ送り出し、

争いの無い世界を取り戻して欲しいですね。

===以下の統計表の出典は、「我が家のホームページ」(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM)です。===

 地域別 戦没者概数・遺骨送還概数・残存遺骨概数
                       (平成23年8月12日現在)

             戦没者概数   遺骨送還概数   残存遺骨概数
 沖     縄    186,500    186,520       -
 中 国 本 土    465,700    438,470     27,230 
 中 国 東 北 部    245,400     39,180      206,220
 (ノモンハンを含む)
 樺 太、千 島 等     24,400     1,720       22,680  
 ロシア(旧ソ連)     54,400     20,660       33,740
 (モンゴル含む)
 硫  黄  島     21,900     9,540        12,360 
 中 部 太 平 洋    247,000     72,670      174,330 
 フ ィ リ ピ ン       518,000      148,520       369,480 
 タ イ、マレーシア等     21,000     20,200      800 
 ミ ャ ン マ ー    137,000      91,390        45,610
 イ  ン  ド     30,000       19,940         10,060 
 北 ボ ル ネ オ     12,000     6,910         5,090 
 インドネシア      31,400      11,030        20,370 
 西 イ リ ア ン     53,000        32,950       20,050
 東部ニューギニア    127,600     50,310     77,290 
 ビスマーク・ソロモン諸島    118,700    56,470       62,230  
 その他の地域*     107,800     58,800      49,000

  (*=韓国、北朝鮮、台湾、ベトナム、
  カンボジア、ラオス他)

           2,400,000      1,265,000        1,135,000

  ※沖縄戦没者概数については、沖縄県資料によると188,100となっており、
   遺骨送還概数には沖縄県民による収骨数が含まれる。

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 戦没者の遺骨帰還について
 先の大戦における戦没者数は310万人であり、このうち海外における戦没者は約240万人であり、これらの海
外戦没者の遺骨は、軍人等が持ち帰ったもの以外は、海外の戦域に残されたままとなっていた。
  サンフランシスコ平和条約の発効した昭和27年以来、国は、海外の戦没者の遺骨帰還を実施している。


 海外の戦没者の遺骨帰還の現状については以下のとおり。  

(平成23年8月12日現在)
   海外戦没者概数                    約240万人
    遺骨帰還概数                     約127万柱
  未帰還遺骨概数                    約113万柱
   うち 海没遺骨                   約30万柱
      相手国の事情(注)により御帰還が困難な遺骨   約23万柱
      御帰還が可能な遺骨(推計)          約61万柱
   (注)国交がない(北朝鮮)、対日感情に配慮する必要がある(中国)など
  (参考)国の遺骨帰還事業による御帰還遺骨数      約33万柱


  《厚生労働省ホームページ 報道発表資料 2011年8月 戦没者慰霊事業のお知らせ から》

以下にパラオ諸島に残る日本軍の遺跡の写真を示します。出典は、以下のブログです。

 

コージの小部屋 スペシャルhttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/8209/Peleliu.htm

パラオ共和国ペリリュー島は、知る人ぞ知る大東亜戦争末期に於ける日本軍玉砕の島です。ペリリュー島は14000人余の日本兵が玉砕した島です。

日本軍が南洋で建設した一番大きな飛行場があった島だったのでアメリカ軍が一番始めに攻略した島です。アメリカ軍がペリリュー島を取れば、サイパン、グアム、硫黄島、と攻め上げる一番重要な場所だったのです。

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下は現在の平和なペリリュー島の風景です。

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