シャネル社の創業は1909年でありルイ・ヴィトン社は1854年です。どちらもパリでの店が隆盛をきわめ、フランス文化のしゃれた華麗さが魅力になっています。
ただ華麗なだけでなく、少し病的な雰囲気も混じっていて単なる美しい工芸の世界から芸術の世界へにつながる深い美しさを出しています。
このブランドは、工業製品であるロールス・ロイス車のブランドとは異なる意味を持っています。異なるブランド力を持っています。
シャネルとルイ・ヴィトンはフランス文化を背景にして商品のイメージを高め、世界中の女性の心を掴んでいるのです。
ロールス・ロイスはあくまでも車の高品質性と信頼性を保証するブランドなのです。しかしシャネルやルイ・ヴィトンは高品質性とか信頼性のような実質性とは無縁の商品なのです。
と言えば言い過ぎで、高品質性と高級イメージの両方が重要な商品なのです。
下にシャネルとルイ・ヴィトンの公式HPからの写真を一枚ずつ示します。
上のようなHPを見ると「イメージ商品」という私の主張がお分かりと思います。
シャネルは帽子のデザインから出発して現在はしゃれた婦人服、香水、化粧品、装身具などなど女性向けのあらゆる商品を売っています。
それらの品質は上のファッションショーとは直接関係ありません。しかし華麗なファッションショーの写真を先に出して、あとで商品の紹介をするのは、「まずあなたも華麗になります」というメッセージなのです。イメージが先行しているのです。
そして下はルイ・ヴィトンのHPの写真です。
この写真のルイ・ヴィトンではいきなりハンドバッグや旅行鞄の写真を出しません。美しいイタリア車のそばにたたずむ女性にハンドバッグをさりげなく持たせています。
ルイ・ヴィトンという会社は車は製造していません。美しいイタリア車のイメージを借りてハンドバッグの美しさを引き立ているのです。
「このハンドバッグを持つと写真の女性のように美人になります」というメッセージを送っているのです。
このようなイメージ商品は現代文化を多彩にし、そして楽しくしてくれいます。
ですからこそ私は大切にすべき文化の一分野と尊敬しています。
それにしても販売価格が高すぎると思います。高ければ高いほど売れるそうです。
購入する女性の虚栄心が少し関係しているようで、もしそうならあまり感心出来ません。
それはさておき、美しい夢を売っている商品です。世界の経済が発展すれば、ますます隆盛する一分野と考えられます。
下にココ・シャネルの写真と香水のシャネル五番の写真を示します。
そしてその下にはルイ・ヴィトンのハンドバッグと靴の写真を示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申しあげます。
後藤和弘(藤山杜人)
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===シャネルの起業、ルイヴィトンの起業などについて========
ココ・シャネル(1883年 - 1971年)の活躍:
前の部分は省略します・・・・その後、歌手を目指しヴィシーでオーディションを受けるも、落選ばかりであったために芸能界への道はあきらめた。この頃交際していた将校であるエティエンヌ・バルサンに伴われてパリ郊外へ移り、友人達の社交場となった彼の牧場で過ごす。退屈しのぎで制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの援助により、1909年、マルゼルブ大通り160番地で、帽子のアトリエを開業する。
1910年に、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で帽子専門店を開店。このときバルサンと別れ、同じ輪の中にいた、一生涯愛する人物となるイギリス人青年実業家アーサー・カペルとの交際を始める。カンボン通りの店の開設資金はカペルの助力によるものである。
1913年に、ドーヴィルに二号店を開店。翌年に第一次世界大戦が開戦。1915年、ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープン。翌年コレクションを発表し大成功を収める。ジャージー素材を取り入れたドレスが話題となる。1918年に、第一次世界大戦が終戦。・・・以下の続きは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%AB にあります。
ルイ・ヴィトン(1821年 - 1892年)の起業と死後の隆盛:
前の部分は省略します・・・・ルイ・ヴィトンが評価されるようになったのは、創始者であるルイが亡くなった後のことである。ヴィトン社はまず「グリ・トリアノン・キャンバス」(Gris Trianon) というトランク工場として創始された。このトランクは灰色のキャンバス地で覆われており、とても軽量なものであった。1854年、ルイはエミリー (Emilie Clemence Pariaux) と結婚、同年、世界初となる旅行用鞄の専門店をパリに創業。3年後の1857年には息子のジョルジュ (Georges Vuitton) が生まれた。
1859年、アニエール=シュル=セーヌに最初のアトリエを構える。
1860年、ヴィトン社は需要に押されて規模を拡大した。1867年、万国博覧会で銅メダルを獲得。これにより世界的な評判を得、1869年にはエジプト総督のイスマーイール・パシャが、1877年にはロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世)がそれぞれ、1セットのトランクを発注した。また、当時世界的に力を持っていたスペイン国王アルフォンソ12世からもトランクの注文を受けるなど、主にスラブ、ラテン系王侯族に重用された。
トランクの上から布地を貼るというルイの技法は賢明であったが、容易にコピー商品が出回ることとなり、1872年、ルイは別の布地を使うようになった。この布地は、「Striped Canvas」として知られているベージュと赤の2色で色づけされた布地である。しかし、これもすぐにコピー商品が出回ることとなった。・・・・・
以下の続きは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%B3 にあります。