後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

イスラム諸国は日本を尊敬している・・・しかし日本人は中東に関心が無い!

2014年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの2013年10月5日に以下のような題目の記事を掲載しました。

イスラム諸国は日本の友好国!・・・おまり大きな声では言えない事実

この記事の中でイスラム諸国の人々が日本人を尊敬している理由を以下のように3つ説明しました。

(1)ヨーロッパのキリスト教の国々は11世紀、12世紀に十字軍を中近東に送り込み、現在のベイルート、ヨルダン、シリア、イスラエル、などなどの土地に数多くの十字軍国家を作り、残虐な統治をし続けたのです。

その説明は2013年10月4日の記事、日本人には理解しにくい11世紀、12世紀の十字軍・・・十字軍が築いた中近東の城 で致しました。

日本ははるか遠方に存在する国だったので勿論、十字軍は送れませんでした。この件に関して、日本は完全無罪です。

(2)日本は仏教国なので一神教のキリスト教とイスラム教との間の戦争には完全に中立的な存在なのです。

(3)イギリスの18世紀の産業革命以後に、圧倒的な武力を持つようになったヨーロッパ諸国とロシアが、中近東のイスラム諸国を保護国や植民地にしました。

その憎いロシアを日本は日露戦争で敗ったのです。ロシアに権益を奪われていたイランをはじめイスラム諸国が拍手喝采をしたのです。

そして第二次世界大戦では日本は勇敢にもアメリア、イギリスに立ち向かい、大きな損害を与えたのです。

日本は敗けましたがこの大戦争のお蔭で、インド、パキスタン、エジプト、イラン、イラク、ヨルダン、サウジアラビアなどなどの諸国が独立国家になれたのです。

当然のことながら、これらの国々は日本へ深く感謝しています。

以上のように書いた後で、最近、宮田 律著の「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」という本の存在を知りました。内容に間違いが無いかと思い、失礼ながら宮田律さんのことをいろいろ調べて見ました。そうしたらイスラム社会を学問的に研究している真面目な学者だということが分かりました。静岡大学の准教授もしています。多くの研究発表もし、本も数々出版しています。

そこで「イスラムの人は何故日本人を尊敬するのか?」という本の内容を知りたくなりました。

そうしたら岡井盛夫さんという方がネットでその要約を紹介しているのを見つけました。http://homepage3.nifty.com/morrio/back1/islam/miyataislam.html を是非ご覧下さい。

そのほんの一部だけを抜粋した以下に示します。

前の部分を省略して・・・・

「イスラム世界と日露戦争」
      (1)19世紀以降、イスラム世界はヨーロッパの帝国主義に侵食された。栄華を誇ったオスマン帝国も、イギリス、フランス、ロシア諸国に進出され、帝国は弱体化した。帝国の支配下にあったアラブ地域は、イギリス、フランスの帝国主義勢力に分割支配された。
       ところが、中東でヨーロッパ支配が強化される一方で、アジアでは、小国日本がロシアとの戦争で勝利した。イスラム世界から、一斉に称賛の声が上がった。日本は、ヨーロッパ帝国主義に抵抗する国々にとって希望の光となった。
      (2)トルコのイスタンブールには、「乃木通り」や「東郷通り」がある。トルコは、オスマン帝国の中心であった。そのオスマン帝国の弱体化の一因は、北から進出してきたロシアであった。オスマン帝国は、露土戦争(1877-78)で惨敗した。オスマン帝国は長年ロシア帝国主義の進出に苦しめられたから、トルコ人はロシアに怨念を抱いている。そのロシアに、日本が勝利した(日露戦争)ことで、日本を称賛する感情が沸騰した。トルコ人は、日本人に対し、強い親愛の情を持った。
      (3)日露戦争の影響で、トルコでは、「トーゴー」「ノギ」「ジャポン」という名前を子どもにつける人まで現れた。
      (4)ムスタファー・カーミメル(1874-1908)は、エジプトの民族主義者である。彼は著書『昇る太陽』の中で、「日本の歴史こそ、東洋の諸国に最も有益な教訓を与えてくれるものと信じる」、と書いている。
      (5)エジプトの詩人・ハーフェズ・イブラホヒーム(1872-1932)は、日露戦争の従軍看護婦のことを称賛し、「日本の乙女」(長文の詩)を発表した。
      (6)ロンドン亡命を終えてスエズ運河を通過中の孫文は、「おなたは日本人か」と尋ねられた。「中国人だ」と答えると、「中国は日本に近い。日本がロシアに勝ったことを我が事のように喜んでいると、日本人に伝えてくれ」、と頼まれた。
      (7)タタール人のアブデュルレシト・イブラヒム(1852-1944)は、『ジャポンヤ』(日本旅行記)の中で、「日本人は改宗すれば、完璧なムスリムになれる」、と記述している。

・・・・・中略・・・・・・

「イスラムの人の、日本人へのプラトニックラブ」

イスラム世界には、遊牧民の伝統がある。ラクダ、ラバを使ったキャラバンの移動の歴史である。例えばイラン人は、人懐っこく、気さくで、外来の者に親切、他人を思いやり面倒見がよい。なぜなら、酷暑の気候に暮らしていくためには、お互いが助け合って、よそから来た者をもてなす。それが砂漠の民の生活習慣であるから。彼らは見知らぬ人に向かって「今晩うちに来て食事をしないか」、と声をかける。
      (1)1945年、イスラムの人は、原爆被災者への同情を示した。その後、日本の経済復興は著しく、高性能の家電製品や自動車が彼らから高く評価されている。イスラムの人にとって、日本人は「頭のよい民族」であり、ビジネスマンの礼儀に敬意を示し、倫理道徳の高さ、マナーの良さを尊敬している。イスラムの善は誠実、禁欲、慈悲である。彼らは「日本人はムスリムでもないのにイスラムの教えを実現している」、と考えている。
      (2)日本人はシスティマチツクに働いている。仕事を中途半端に終わらせない。アブダビのムハンマド皇太子は「日本の教育、しつけは優れている。その手法をアブダビの教育に反映させたい」、と評価し具体化している。
      (3)エジプトも親日的国家。ジャーナリストのモハメッド・ヘイカルさんは、「日本とアラブ世界の間には、プラトニックラブとも言うべき感情がある」、と語った。
      (4)イランの新年は、「ノールーズ」という。都会に出たイラン人は一斉に里帰り、家族の結びつきを大事にする。衣服を買ったり大掃除をしたりする。(何か昔の日本に似ている)
(5)イランは、かってアケメネス朝、ササン朝などの古代文明が栄えた。文明の中心であつた。古代には、日本、中国、イランに至るまで文化の交流があった。
      (6)イラク戦争の際、自衛隊は「人道復興支援」のためイラク南部の都市サマーワを中心に活動して2006年7月に撤収した。現地誌「サマーワ新聞」は、自衛隊員のことを「高い倫理を保持した人々」と形容した。他国の人々のことを尊重し、他国民家庭や職業に敬意を払う立派な文明を伝統をもっている」、と絶賛した
(7)1984年のロサンゼルス・オリンピック、柔道無差別級の決勝で、エジプトのモハメド・ラシゥラン選手は山下泰裕選手と対戦した。山下選手は、右足に肉離れを起こしていたが、ラシゥラン選手はその右足を攻めることはなかった。優勝は山下選手であったが、ラシゥラン選手は「國際フェアープレイ」を受賞した。

・・・・以下省略します。是非、http://homepage3.nifty.com/morrio/back1/islam/miyataislam.html をご覧下さい。

それはさておき、

下に16件のイランの世界文化遺産のなかから3件を選んで、その文化遺産の写真をお送りします。

日本人がもっとイスラム教の国々と交流を深めるように祈っています。それが世界の平和共存に大きな貢献をすると信じています。

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上はペルセポリスの遺跡です。ダレイオス1世が建設に着手したのは紀元前520年と言われています。

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上はイランのエスファハーンにあるイマーム広場です。

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上はタブリーズの歴史的バザール施設 です。

上の3枚の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3です。


「緑陰」というテーマで写真を撮りに行きました

2014年07月29日 | 写真

場所は多摩市の都立桜ヶ丘公園で、ウグイスとホトトギスがしきりに鳴いていました。

乾いた風が木々の下を吹き抜けていました。

ご覧頂いて少し涼しい気分になって下されば嬉しく思います。

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イスラム過激派による戦争の原因(1)中東で現在何が起きているか?

2014年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

中東のイスラエル、シリア、イラク、アフガニスタンで戦争という悪魔が活躍している。ウクライナも同じだ。人間の人格が破壊され、惨劇が日常の光景になっている。悪魔が独り笑っている。その戦争は19世紀や20世紀に起きた近代国家同士の戦争とは全く違う性格の戦争なのだ。その原因は日本人の理解を越えている。

このような書き出しで、連載記事、「イスラム過激派による戦争の原因」を始めたいと思います。

中東のイスラム過激派による内戦にはいろいろ複雑な原因が重なっていると考えられます。

しかし3つの大きな原因を私は取り上げてみました。

一つは冷戦終結後、アメリカが中東地域を侵略したことです。

二つ目は中東地域の貧困と格差を抱えた後進性にあります。

そして三つ目に政治的統治はイスラム教に従って行うべきという教義が原因になっていることです。宗教と政治の完全合体が重要な教義になっているのです。

このように考えて連載記事は以下のように続く予定です。

(1)中東で現在何が起きているか?

(2)内戦の原因としての冷戦後のアメリカの中東への軍事介入

(3)内戦の原因としてのイスラム諸国の貧困と格差社会

(4)内戦の原因としてのイスラム教の教義と他宗教との矛盾

(5)内戦終結に日本が出来ること、出来ないこと

さて中東では現在何が起きているのでしょうか?

まず、ユダヤ教のイスラエルとイスラム教のパレスチナ自治区のガザ地域への熾烈な攻撃です。最新鋭の戦闘機を投入し、戦車部隊が歩兵を従えてガザ地域を蹂躙しているのです。西側の地中海からは艦砲射撃もしています。無人機での攻撃のしています。死者は一般市民も含めて1034人以上になったと報道されています。

この戦争の不思議なことはイスラエルは同じパレスチナ自治区のもう一つの地域のヨルダン川西岸地域は攻撃していないのです。ガザ地域だけ攻撃している理由はその地域をハマスというイスラム過激派が支配しているからです。すなわちイスラム過激派とイスラエルという国家の戦争なのです。

アサド独裁政権の続くシリアでは派閥の違うイスラム過激派がアサド政権の軍隊と終わりの無い凄惨な戦争を続けているのです。アメリカはどの過激派集団を支援すべか迷っています。

イラクでも同様でスンニ派の現在の政権を支援しています。しかし同じスンニ派のイランがその政権へ戦闘機や武器を送り支援しています。イランと敵対しているアメリカは戸惑ってしまって強力な支援策が取れません。

そしてイラク内陸部では武装過激派が広大な土地と油田を占領し、「イスラム国」の独立を宣言しました。そこでは完全にイスラム教に従った統治が行われています。

曾てのイランのホメイニ革命と同じような統治を目指しています。

そしてもっと混迷を深めているのがクルド人によるクルド自治区の独立です。

このような混迷を極める内戦という戦争が中東を覆っているのです。日本人の理解を越えるカオスです。

このようなもつれた混戦を整理整頓して明確に理解するために私は3つの原因を取りあげてみました。もちろん私はイスラム社会を専門に研究していない素人なので間違いも多いと存じますが、皆様の考えを深めるキッカケになれば幸いです。

下に参考資料として、イスラム原理主義とイスラム過激派武装集団の説明を添付しておきました。そして写真はイスラエルのガザ地域への攻撃で破棄されたガザの街々の写真です・写真の出典は各種新聞社のネット版からお借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

 後藤和弘(藤山杜人)

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====参考資料:イスラム原理主義とイスラム過激派武装集団の説明======

イスラム原理主義:

イスラム原理主義とは、シャリーア(イスラーム法)に基づいて統治されるイスラーム国家・イスラーム社会の建設と運営を目ざす政治活動や諸運動のうち、アメリカ合衆国の国民・報道・議会・政府などが、アメリカ合衆国に敵対する存在であると見なした国・政府・政党・団体に対して、敵対や侮蔑の感情をこめて使用する言葉であるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%8E%9F%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

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イスラム過激派:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%81%8E%E6%BF%80%E6%B4%BE

イスラーム過激派は、伝統的にはイスラームの理想とする国家・社会のあり方を政治的・社会的に実現しようとする運動であるイスラーム主義の中から生まれ、現代社会の中でイスラーム的な理想の実現にとって障害となっているものを暴力によって排除しようとする人々ことである。エジプトのムスリム同胞団の理論家であったサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)の「イスラム教国の世俗化・西洋化・共産化を志向する指導者が統治し腐敗と圧制が蔓延する現世は、イスラム教成立以前のジャーヒリーヤ(無明時代)と同じであり、武力(暴力)を用いてでもジハードにより真のイスラム国家の建設を目指さなければならない」とするクトゥブ主義(Qutbism)がイスラーム過激派の行動の原点となっている。

西側の多くの国家からテロ組織に指定されている主要なもの

アルカーイダ: 多国的

ユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線: 多国的

トルコ・ヒズボラ(クルド・ヒズボラ):(Turkish Hezbollah) トルコ

大東方イスラム砲撃戦線:(Great Eastern Islamic Raiders' Front)  トルコ

アンサール・アル・イスラム:(Ansar al-Islam) イラク

アンサール・アル・スンナ: イラク

イラク・イスラム軍: イラク

イラクの聖戦アルカーイダ組織: イラク

マフディー軍: イラク

アル・アクサ殉教者旅団:(Al-Aqsa Martyrs' Brigades) パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)

ハマース: パレスチナ(ガザ地区)

イスラーム聖戦: パレスチナ・シリア

ファタハ・イスラム: レバノン

ヒズボラ: レバノン

アラビア半島のアルカーイダ: イエメン

エジプト・イスラム・ジハード団: エジプト

イスラム集団: エジプト

イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ機構: アルジェリア

武装イスラム集団: アルジェリア

モロッコ・イスラミック・コンバタント・グループ:(Moroccan Islamic Combatant Group)  モロッコ

アル・シャバブ:(Al-Shabaab)  ソマリア

ボコ・ハラム: ナイジェリア

ジャイシュ=エ=ムハンマド: パキスタン(カシミール)

ラシュカレトイバ: パキスタン(カシミール)

ハラカト=ウル=ムジャヒディーン:(Harkat-ul-Mujahideen) パキスタン

パキスタン・ターリバーン運動: パキスタン

インディアン・ムジャヒディーン: インド

インド学生イスラム運動:(Students Islamic Movement of India) インド

ジャマアト=ウル=ムジャヒディーン:(Jamaat-ul-Mujahideen) バングラデシュ

ヘズブ・エ・イスラミ・グルブッディーン: アフガニスタン

ターリバーン: アフガニスタン

ウズベキスタン・イスラム運動: ウズベキスタン 

東トルキスタンイスラム運動: 中国(新疆ウイグル自治区)

ジェマ・イスラミア: インドネシア

ラスカー・ジハード: インドネシア

アブ・サヤフ: フィリピン

モロ・イスラム解放戦線: フィリピン

パタニ連合解放組織: タイ

カフカース首長国: ロシア