後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山林の中の小屋への日帰りのささやかな旅

2014年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 

今日は日帰りで山林の中の小屋へ行ってきました。

小屋の下の方の別荘地には、何時も素晴らしい花々を咲かせている一軒の別荘があります。何時ものように老婦人に声をかけて写真を撮らせて頂きました。

それから、月見草の咲いている最後の水田を通り過ぎて山林の道に入ります。

そしてほの暗い林の中の小屋に着きます。
庭の小川は十年一日のように相変わらず清らかな水音をたてて流れていました。
涼しい小屋の中で家内とオニギリを食べて、少し昼寝をしてから帰路につきました。
帰りがけに、山林の中に独りで何十年も暮らしている木内さんの山荘に寄りました。今日は15Kmを自転車を漕いでスーパーまで食料品を買いに行ったそうです。顔色も良く元気そうでした。

帰りの中央高速は空いていてトントンと車が走りました。
下に順々に、花の素晴らしいある別荘の花園、悪路の入り口の最後の水田、山林の中の小路、小屋の庭を流れる小川の写真を合計4枚お送りきたします。

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霞ケ浦の夏の風物詩・・・風をつかむ白帆の風景

2014年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

霞ケ浦の夏の風物詩は風をはらんだ白い帆が揺れ動く風景です。

遠方には筑波山が碧く横たわっています。霞ヶ浦の水面が白く波立っています。

白い帆は洋式のヨットの帆と、江戸時代からの和船の帆の2種類があります。

小型ヨットはディンギーと呼ばれています。これほど繊細につくられた舟は有りません。もっぱらレース用に使われています。

風に対して登るか、追風を受けて下るか、2つの走法しかありませんが、その中間のいろいろな角度でも、最高の速度が出るように設計されています。そして横流れを防ぐためにセンターボードを船底から水中へ出します。追い風のときはこのボードを引揚げてスピードを出します。

風上に登るときは2枚の帆でジグザグに走ります。

風下におりるときは風船のように見える丸い帆を舟の前に上げて3枚の帆を用いて全速で走ります。

下の2枚の写真はどこかの大学のヨット部の2艇で、三角コースのレースの練習をしている風景です。

自分もこんな経験を江ノ島や葉山で少ししたことを思い出しながら写真を撮りました。

もう一つの和船は漁船です。

幅の広い大きな網を船の横に入れ、船の長さいっぱいの巨大な白帆で網をゆっくり引いて行きます。数キロメートルも引いて行きます。

7、8月はワカサギを取っていますが、10月になると透明な白魚をとります。

霞ヶ浦に江戸時代からあった伝統的な漁法だそうです。東風の吹く日は毎日毎日、大きな白帆が沖に見えます。

ワカサギは佃煮にします。沖宿でも売っていますが、土浦駅ビル地下食品売り場の小魚佃煮専門店でも売っています。

白魚の生の刺身は蓮田の中の「うなぎの山中」(電話0298-28-0804)で食べることが出来ます。川海老の天麩羅や釜揚げもあります。うなぎは焼きの濃い昔風の蒲焼です。

一番目と二番目のヨットの撮影日時は2008年8月23日午後3時頃でした。三番目と四番目の和船の撮影日時は、同じく2008年8月22日午後2時頃でした。

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お薦めの夏の旅(4)国宝松本城とその近辺の観光地への旅

2014年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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これら3枚の松本城の写真の撮影日時:2008年8月5日午後3時頃でした。

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松本は特急に乗ると東京から2時間くらいで行ける便利なところです。しかし山々にかこまれ別天地です。

そこを起点にして上高地、乗鞍岳、黒部ダム、信濃3湖、白馬た栂池、そして戸隠や野尻湖へも行ける観光地の中心なのです。そしてすぐ北側には美ケ原高原もあります。

ですから松本市内のホテルに一泊して松本城を見てから、いろいろな観光地に旅するコースをお薦めしたいのです。 

そこで以下に松本城についてご紹介したいと思います。

戦国時代に築城され国宝としてされている城は、姫路城、彦根城、犬山城、そしてこの松本城の4つだけです。1504年に作られました。松本平の信濃府中(井川)に居をかまえていた、信濃守護家、小笠原氏が松本城を築城しました。当時は深志城と呼ばれていました。

その後、武田信玄の攻略に会い、武田家の越後、上杉謙信との抗争の拠点の一つとなります。

豊臣秀吉の全国統一とともに秀吉一派の居城となり、大阪冬の陣以後の江戸時代は、徳川家のものとなり松本藩として松平家や水野家が城主になったのです。

信長、秀吉、家康の勢力の盛衰にともなって奥州、関東、越後、信濃の諸城の主がめまぐるしく変ったのです

短期間で城主が交代する歴史は人の世の儚さです。

明治維新後の政府は旧勢力の象徴であった全国の城を解体したり競売にかけました。

松本城も明治5年に競売にかけられ、解体されそうになる。しかし地元の有力者、市川量造氏などにより買い戻され、解体の難を避けることが出来た。

ところが深志の沼地に建てられていた天主が明治30年代に傾きはじめたのです。それを修理したのが旧制松本中学校の校長、小林有也氏などによる天主保存会でした。明治36年からの大修理で天主閣が再び垂直に聳えるようになったのです。

昭和5年に国の史跡、昭和11年に国宝に指定されました。昭和25年から30年の5年間の昭和の大修理が行われ、現在の雄姿になったのです。

松本城は、北アルプスの連山、塩尻峠、美ケ原高原などに囲まれた広大な盆地の中心にあり、遠方に住んでいる人々からも天主閣が見えます。

特に明治維新以後、松本平に住んでいた人々の努力で保存されてきた歴史には深い感概をおぼえます

、明治30年代の傾いた天守閣の写真を転載します。(写真の出典:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%9F%8E Wikipedia、松本城より)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

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This castle, named as Matsumoto Castle, has been built in 1504 AD
and one of the four castles of Japanese National Treasure. When the modern revolution was occured in 1867 in Japan., this castle was in danger of  destory. However, the citizen of Matsumoto town have bought this castle from the new central government. Since then, this castle was well maintained by the people of  Matsumoto City, located in cetral Japan.The top 3 pictures were taken on August 5th., 2008.