松本は特急に乗ると東京から2時間くらいで行ける便利なところです。しかし山々にかこまれ別天地です。
そこを起点にして上高地、乗鞍岳、黒部ダム、信濃3湖、白馬た栂池、そして戸隠や野尻湖へも行ける観光地の中心なのです。そしてすぐ北側には美ケ原高原もあります。
ですから松本市内のホテルに一泊して松本城を見てから、いろいろな観光地に旅するコースをお薦めしたいのです。 そこで以下に松本城についてご紹介したいと思います。
戦国時代に築城され国宝としてされている城は、姫路城、彦根城、犬山城、そしてこの松本城の4つだけです。1504年に作られました。松本平の信濃府中(井川)に居をかまえていた、信濃守護家、小笠原氏が松本城を築城しました。当時は深志城と呼ばれていました。
その後、武田信玄の攻略に会い、武田家の越後、上杉謙信との抗争の拠点の一つとなります。
豊臣秀吉の全国統一とともに秀吉一派の居城となり、大阪冬の陣以後の江戸時代は、徳川家のものとなり松本藩として松平家や水野家が城主になったのです。
信長、秀吉、家康の勢力の盛衰にともなって奥州、関東、越後、信濃の諸城の主がめまぐるしく変ったのです。
短期間で城主が交代する歴史は人の世の儚さです。
明治維新後の政府は旧勢力の象徴であった全国の城を解体したり競売にかけました。
松本城も明治5年に競売にかけられ、解体されそうになる。しかし地元の有力者、市川量造氏などにより買い戻され、解体の難を避けることが出来た。
ところが深志の沼地に建てられていた天主が明治30年代に傾きはじめたのです。それを修理したのが旧制松本中学校の校長、小林有也氏などによる天主保存会でした。明治36年からの大修理で天主閣が再び垂直に聳えるようになったのです。
昭和5年に国の史跡、昭和11年に国宝に指定されました。昭和25年から30年の5年間の昭和の大修理が行われ、現在の雄姿になったのです。
松本城は、北アルプスの連山、塩尻峠、美ケ原高原などに囲まれた広大な盆地の中心にあり、遠方に住んでいる人々からも天主閣が見えます。
特に明治維新以後、松本平に住んでいた人々の努力で保存されてきた歴史には深い感概をおぼえます。
下に、明治30年代の傾いた天守閣の写真を転載します。(写真の出典:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%9F%8E Wikipedia、松本城より)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
This castle, named as Matsumoto Castle, has been built in 1504 AD
and one of the four castles of Japanese National Treasure. When the modern revolution was occured in 1867 in Japan., this castle was in danger of destory. However, the citizen of Matsumoto town have bought this castle from the new central government. Since then, this castle was well maintained by the people of Matsumoto City, located in cetral Japan.The top 3 pictures were taken on August 5th., 2008.