後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日中戦争で死んだ中国人はとても1000万人とは考えられないと言う意見をご紹介いたします

2014年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム

篠塚 克利 様が昨日教えてくれた資料が、「増加する犠牲者数( 脱・洗脳史講座 )」http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/kagai/kagai-tokei.html です。

下にそのほんの一部の抜粋をご紹介します。

・・・・・1946(昭和21)年、東京裁判に提出された中華民国政府 の公式数字は、「 軍人死者132万、行方不明者13万、負傷者176万、合計321万人 」でした。この数は同政府の何 応鈞・陸軍総司令(軍政部長)が出したもので、詳細な数字を記しますと戦死者131万9958人、戦傷者176万1335人となっています。
   下の写真は1945(昭和20)年9月20日、南京における日本軍の投降式のもので、左が何 応鈞総司令、右側が支那派遣軍総参謀・小林 浅三郎です。
   その後の1978(昭和53)年9月9日、台湾は終戦33周年記念式典において、何 応鈞が上記の軍人死傷者数に加えて、民間人死者578万人 とする数字を追加演説をしたとのことです。
    (注) 何応鈞演説の民間人死者578万人ですが、578万人は民間人だけではなく軍民の死傷者合計とする資料(何応鈞著、『歳寒松柏集』、1980年)が秦教授の別論文の中に見えます。こちらが正しければ民間人の死傷者は257万人となります。多分、こちらの数字が何応鈞のものとして正しいのではと思うのですが、確認はとれていません。

   一方、1989(平成1)年、中華人民共和国は抗戦期間中(1937.7~1945.8)の中国軍民の死傷者を 「2168万人」と公表、盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館にもこの数字が掲げられました。内訳は、死者932万5千人、負傷者947万人、敵に捕まり連れ去られた行方不明289万人、総計2168万5千人。この数字には満州および台湾省の分は除かれているとのことでした。

   わが国の歴史教科書執筆者たちは早速、この数に飛びつきました。日本書籍の中学校歴史教科書は1996(平成8)年版で「死者1,320万人」とし、2002年3月まで使用していましたが、2002年4月(平成13年検定版)からなんと「死者2.180万人」 になりました。中国発表の2.160万人より20万人多いという徹底したサービスぶりです。・・・・以下省略。

ここで私が重視する点は中国の盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館に中国軍民の死傷者を 「2168万人」と公表してあることです。真実はそれより非常に少ないのでしょうが、中国人は皆この数字を信じます。

それを日本人が間違っていると言えば感情的になり日本人を憎みます。日本側にも根拠のある統計が存在していないのですから感情的な水掛け論になってしまうのです。
それを乗り越える知恵は何でしょうか?この問いを私は皆様に問いかけているのです。正解はなかなか見つかりません。しかしその知恵を探すのが賢い外交です。相手と一緒に探すのです。一緒に探せるような友好関係を作らねば正確な数字が出て来ませんね。
 
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戦争の悲惨さを忘れないようにしよう(2)特攻隊として5845人の日本人が死んだ悲劇とその精神的遺産

2014年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム

私はこの記事で3つのことを書きたいのです。

(1)特攻機の悲劇は二度と起こしてはいけないということをまず書きたいのです。しかし特攻隊で死んでいった5845人は日本人の精神的遺産として戦後の復興と経済成長を支えたのです。私自身もいつも彼等の気持ちを考えて戦後の復興に頑張りました。

(2)特攻隊で死んだ人と、その出撃を支援して戦死した人の数をご紹介します。そして予科練の跡地にある「雄翔館」の訪問記を添えておきます。

(3)沖縄戦で出撃し特攻機の数とその戦果をご紹介します。

以上の(1)の日本民族の精神的遺産についてはいずれまた詳しく書きます。

しかし自分の国の国土を守り、家族を守り、故郷の平安を祈りながら突っ込んで行った彼等の崇高な気持ちには感動します。日本民族なら彼等の死を無駄にはしないと思うのが当然ではないでしょうか。そのことは別に書きたいと考えています。

それでは上の(2)から始めます。

(2)特攻隊で死んだ人と、その出撃を支援して戦死した人の数

下の写真は「雄翔館」の隣にある予科練生の像です。

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2008年10月現在確認されている特攻隊員戦死者数は

海軍
  • 海軍航空特攻隊員:2,531名
  • 特殊潜航艇(甲標的・海竜)隊員:440名
  • 回天特攻隊員:104名
  • 震洋特攻隊員:1,081名
  • 合計:4,156名
陸軍
  • 陸軍航空特攻隊員:1,417名
  • 丹羽戦車特攻隊員:9名
  • 陸軍海上挺身隊員(マルレ):263名
  • 合計:1,689名

この他に第二艦隊戦没者、回天を搭載して出撃し未帰還となった母艦潜水艦搭乗員、移動中の乗船海没などにより地上戦に参加した戦没者等の特攻作戦関連戦没者が

  • 第二艦隊戦没者:3,751名
  • 回天部隊関連戦没者:1,083名
  • 震洋部隊関連戦没者:1,446名
  • 陸軍航空関連戦没者:177名
  • 海上挺身隊関連戦没者:1,573名
  • 空挺部隊関連戦没者:100名
  • その他(終戦時自決・神州不滅特攻隊、大分702空等)戦没者:34名
  • 合計:8,164名

以上合計14,009名を数える。(Wikipediaの特別攻撃隊より引用しました)

2008年10月2日に霞ヶ浦西岸の陸上自衛隊武器学校敷地内にある予科練特攻隊戦死者の写真や関係資料の展示館、「雄翔館」へお参りして来ました。

特攻機とともに突っ込んで行った若者の写真と遺書が数多く展示してあります。皆の顔が悲しそうに見えます。悲壮な雰囲気です。

当時72歳だった私から見ると皆子供のように見えます。こんな人々を死に追いやった日本民族の歴史の悲劇を忘れないようにしたいと思いました。

忘れたいという気持ちもありますが。霞ヶ浦へヨットへ行く折に、時々湖畔にある予科練の跡地の「雄翔館」を訪れます。

葉山マリーナで知り合った元予科練生だったヨットマンの田村さんの話によると、彼も含めて幹事役が予科練の生存者や関係者からお金を集めて作ったそうです。

ところで、「雄翔館」の展示の仕方にいつも不満を感じます。上の引用資料のように特攻隊は海軍の神風特攻隊だけではありません。

それなのに「雄翔館」には海軍の特攻隊のことしか書いていません。陸軍特攻隊のことには一切説明が有りません。

若い人々がここを訪れて特攻隊の戦死者は2531名だけと誤解する可能性が大きいと思います。

このような展示館でも陸軍と海軍が対立しお互いに相手の特攻隊は無視しています。

旧軍隊の伝統が現在の自衛隊も墨守しているようです。

展示館は入場無料で、武器学校の正門の衛兵の側に車を乗りつけ、案内を乞うと構内の駐車場を親切に教えてくれます。

九州の知覧にある特攻隊記念館も見ましたが、旧軍の特攻隊の全体像が簡単に理解できるような展示にはなっていません。

館内は撮影禁止です。上の写真は「雄翔館」の隣にある庭園の予科練生の像です。今朝供えたような生花がありました。

アクセスなどの詳細は「雄翔館」で検索して下さい。

(3)沖縄戦で出撃し特攻機の数とその戦果

以下の統計と関連写真の出典は、http://www.geocities.jp/torikai007/1945/okinawa-kamikaze.html です。

沖縄戦の特攻隊に関する統計:

沖縄戦において、日本軍は、航空機約1,900機(海軍1,000機、陸軍900機)とその搭乗員約3000名(海軍2,000名、陸軍1,000名)を特攻作戦に出動させた。
沖縄特攻の戦果は、艦船の撃沈26隻,損傷164隻で,米海軍の人的損失損害は、1945年4月から6月末で,沖縄方面の全作戦を含めて死者4,907名、負傷者4,824名に達した。

特攻による米国商船の被害一覧でも,フィリピン戦と沖縄戦の特攻で撃沈できた米国の商船は6隻で,撃沈を含め損傷を受けた商船は合計23隻である。

日本軍の特攻は、空母,戦艦はもちろん,巡洋艦すら1隻も撃沈していない。特攻機が撃沈したのは,駆逐艦12隻,護衛駆逐艦1隻,高速輸送艦(駆逐艦改造)など3隻が主要軍艦であり,その他は戦車揚陸艦,掃海艇,輸送船であった。特攻機の命中率の低さと命中したときの威力不足のために,特攻の効果は大きくはなかった。 特攻の威力を見ると,艦艇1隻に1機の特攻機が命中するだけでは撃沈できることは少なく,たとえ複数の特攻機が命中しても撃沈できない場合も珍しくはない。特攻機の命中がどれほどあったのかは,不明瞭であるが,仮に撃沈した艦船に2機が命中率,損傷した艦船に1機が命中あるいは至近突入とすると撃沈した艦艇に56機命中,損傷させた艦艇に164機命中となる。そこで,日本の特攻機は沖縄戦に1900機が突入して合計216機命中したことになる。つまり,沖縄戦での特攻機の命中率は11%である。

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上は九州の知覧などの特攻基地を飛び立つ戦闘機を見送る人々の様子です見送る女学生は櫻の花の枝を振っています。

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上は疾風特攻機;特攻機と出撃するときは,200リットルの増加タンクと250キロ爆弾を両翼に1つずつ装備した。

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上は1945年5月11日、沖縄沖で特攻機の突入で燃え上がる米軍空母バンカーヒルです。

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上は5月14日、特攻機の攻撃を受ける米軍空母エンタープライズ

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上は3月18日に特攻機の攻撃を受けた空母フランクリン。死者 724名,負傷 265名という最大級の損害を被った。

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上は特攻機の突入で損傷した米軍空母Sangamonの飛行甲板の様子。

=======参考資料=========

欧州戦線のアメリカ軍死者数
陸軍           141088 77.2%
空軍(陸軍航空隊)    36461  69.9%
海軍+沿岸警備隊     6039   16.1%
合計           183588 63%

太平洋戦線のアメリカ軍死者数
陸軍           41592  22.8%
空軍(陸軍航空隊)    15694  30.1%
海軍+沿岸警備隊     31485  83.9%
海兵隊          19733  100%
合計           108504 37%

どちらの地域か不明    66
総合計          292131