後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

靖国神社は政教分離の原則に反するが重要な仕事をした

2014年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

政治と宗教の分離の原則は欧米の近代国家の基礎です。

ですから政教分離が徹底していない靖国神社の存在は、日本が欧米流の近代国家でない部分をその文化の中に少し抱えていることを示しています。

しかし私は、日本の文化の一部としても、祀られることを希望しない人は祀らないことを完全に実行して貰いたいと思います。

靖国神社の存在は日本人の宗教観や、神道が天皇家の宗教であることとも関係していて問題は複雑で深いので。いたずらに声高かに論争しても決着が着く筈がありません。

ですから靖国神社のことはブログに書かないほうが良いといいます。

書くと右翼や軍国主義者と誤解されがちです。

また過去に靖国神社は戦争に協力したと書けば心穏やかでない人々が多いのです。

左翼系の社会学者は日本固有の宗教文化を簡単に無視して靖国神社を非難して、その存在を許しません。しかし世の中はそんな簡単にはいきません。

例えば靖国神社のなした一つの重要な役割を以下に書いてみたいと思います。

それは靖国神社は復員軍人の心の痛手を癒してくれたのです。

幸いにも命ながらえて地獄の戦場から帰還した軍人や兵士の心のケアをする役割を果たしたのです。意図したことではなかったのですが、その役割を担ったのです。

復員軍人の多くは、死んでしまった戦友の遺骨や遺品を持たず帰って来た人が多かったのです。作戦の失敗で多くの部下を失った人も帰ってきたのです。殺すか殺されるの戦場で残虐行為をした人もいました。自分の身代りになって、戦友がBC級戦犯として処刑された人もいたのです。死んでも捕虜になるなという戦陣訓に反して捕虜になって帰ってきた軍人もいました。

復員してきた軍人や兵士の多くは、平和な時代には想像もつかない心の病を背負っていたのです。復員軍人の多くは心の痛手を背負って帰って来たのです。

そういう軍人のある一群の人々は亡くなった戦友の家々を訪ね、その写真や遺品を集めたのです。そしてそれを靖国神社の就遊館へ持って行って保管し、展示するように頼んだのです。

そうすれば亡くなった戦友の慰めになると信じていたのです。そしてそうすれば自分の心の痛手も癒されるのです。

それらを受けとった神主姿の就遊館の人々は静かに、「御苦労さまでした。神様の写真として遺品と一緒に展示させて頂きます」と言ったに違いありません。

戦後、戦死した軍人や兵士の遺品と写真を受け取って、大切に保管してくれるところは就遊館だけだったのです。

下の写真のように犠牲者の姿を命(みこと)として掲示してる額の前で、遺族のような高齢な夫人を神主がしきりに慰めている場面を私は偶然見たのです。

心に傷を負った復員者や遺族を癒してくれたのは就遊館の人々だけだったのです。

当時はカウンセラーという人は存在していませんでした。

就遊館の人々はカウンセリングはしません。遺品や写真を持って来た復員軍人の話を静かに聞くだけです。しかし聞くことがカウンセリングになったのです。

これが私が言いたい靖国神社の一つの重要な役割なのです。

戦後、厚生省の役人はそれをしませんでした。戦死者の情報は集めましたが遺品は受け取らないのです。

靖国神社は軍人の心の傷を治す努力をした訳ではありません。しかしその役割を果たしたのです。靖国神社の悪口を言う人々にこのことを静かに考えて頂きたいと思います。靖国神社の全てが悪ではないのです。良い部分もあるのです。

この事は私をヨットに何度も乗せてくれた元特攻隊だった田村さんから聞いたことです。

彼は予科練特攻隊戦死者の写真や関係資料を集め、その展示館、「雄翔館」を茨城県の霞ヶ浦に作った人でした。

同期の予科練性が特攻で死んで行き、田村さんだけが残ったのです。その心の傷は予科練の跡地に、「雄翔館」を作ることで癒されたのです。

(田村さんのことは、人間が好きだから旅をする(2)悲しそうな特攻隊員の顔を忘れない 2008年10月24日掲載記事で説明しています。)

現在、靖国神社には下の写真のような展示があります。写真は私が2012年8月に撮ったものです。

この写真をご覧頂きたいと思いお送りするしだいです。現在でも年老いた遺族が神主に案内されて自分の夫や親族の写真を探しに来るそうです。

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上の左から二番目の写真に女の子が写っています。艦載機の機銃掃射で国民学校の校庭で死んだ児童だったそうです。

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今日は靖国神社が戦後に果たした重要な一つの役割を書きました。

それてにしても、私は政治と宗教の分離の原則をもっともっと徹底して貰いたいと思っています。それと祀られることを希望しない人は祀らないことも実行して貰いたいと思います。

しかし問題は複雑で深いので。いたずらに声高かに論争すべき問題ではないのです。

毎年夏になると終戦記念日がめぐって来ます。夏には静かに戦争にまつわるいろいろな事を考えてみたいと思います。(終り) 


あなたは朝日の輝きや月の光を見て幸せに感じますか?(1)エジプトの太陽神について

2014年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
山の家で寒い冬の夜なかなか眠れずに朝を迎え、ようやく太陽が弱々しく光り出した時の喜びを私は何<wbr></wbr>度も経験しました。そして月見草が咲き乱れる秋の夜に満月の光が<wbr></wbr>煌々と射している光景を数回見たことがあります。生きていた幸福<wbr></wbr>感が体に満ちて来ました。
この様に光は人間を幸せにさせるものです。

Face Book ではこの欄に「今何している?」書いてあります。
私は今はこの文章を書いていますが、今朝は早く起きてローマ教皇<wbr></wbr>フランシスコさんが出した回勅、「信仰の光」の序文を読んでいま<wbr></wbr>した。

回勅などという日本語は誰も使いません。しかしその意味は、ロー<wbr></wbr>マ教皇が全世界の司教あてに出す公文書のことです。
その公文書を日本では翻訳して一般人向けに売っているのですから<wbr></wbr>日本社会の自由さに感謝します。それにしても難解きわまりない本<wbr></wbr>です。神学の素養の無い人は理解しに
くいと思います。

しかし今朝はその序文が少し理解出来たので分かりやすく簡単な日<wbr></wbr>本語へ翻訳してみたいと思います。

まず序文の要約を一行で書いてみます。
冒頭に書いた朝日の光や月の光は一時的に人々を幸せにしますが、<wbr></wbr>永遠に幸福にさせる光は神とイエスの愛を信じることで見ることが<wbr></wbr>出来る「信仰の光」なのです。

この序文を読むと、本の題目が何故「信仰の光」となっているかが<wbr></wbr>納得出来るのです。
しかしこの光は神とイエスの愛を信じることが出来ない人々には見<wbr></wbr>えない光なのです。
ここで大部分の日本人は「そんな光は関係ない。読む必要なんか無<wbr></wbr>い。大体私は無宗教なのです。」と言ってこれ以上読むのを止める<wbr></wbr>でしょう。当然です。

ところがこの本には西洋文化の基本的な考え方が書いてあるのです<wbr></wbr>。宗教書として読むのではなく、エジプト文化から連綿と続く西洋<wbr></wbr>文化の基底的な考えかたが書いてあるのです。

西洋人の本音、そして彼等の喜びや悲しみを少しでも深く理解した<wbr></wbr>いと思う日本人、いや多くのアジア人のとっては大変重要な助けに<wbr></wbr>なる本のようです。

例えば序文の始めにエジプトの太陽神信仰についてこのように書い<wbr></wbr>てあります。
「・・・光を切望した異教世界(私の注釈:エジプトやその他の地<wbr></wbr>域)では、太陽神、すなわち「不滅の太陽」への崇拝が発展しまし<wbr></wbr>た。人々は日の出とともに太陽に祈願をささげました。しかし、太<wbr></wbr>陽が毎日新たに昇るとはいえ、それがすべての人の人生の上に光を<wbr></wbr>輝かせるとは考えられません。実際、太陽は現実の全体を照らしは<wbr></wbr>しません。その輝きは死の闇までは届きません。・・・」と書いて<wbr></wbr>あります。

そして死の闇まで届く光は神とイエスを信じると見える信仰の光な<wbr></wbr>のですと続きます。

この部分は西洋人の原始宗教への考え方を明快に示しています。
日本人は神社で家内安全、商売繁盛と祈願します。ヨーロッパ人は<wbr></wbr>エジプトの宗教を考えてそれは自然な幸福追求の祈りとして受け入<wbr></wbr>れます。彼等もそのような現世の願いはマリア様にしています。人<wbr></wbr>間として当然です。

しかしそのような原始宗教の神々の発する光はすべての人の人生の<wbr></wbr>上に光を輝かせるとは考えていないのです。

これがキリスト教と原始宗教の相違だとヨーロッパ人が考えている<wbr></wbr>のです。
そして日本人が尊敬し崇拝しているお釈迦様については一切言及し<wbr></wbr>ていないのです。

彼等の文化にはお釈迦様は存在していません。理解も出来ないので<wbr></wbr>す。勿論少数の ヨーロッパ人には仏教徒もいますし、仏教を専門にする宗教学者も<wbr></wbr>います。
しかし彼らは非常に特殊な人々と理解したほうが現実的な理解です<wbr></wbr>。

この様にこの「信仰の光」という本にはヨーロッパ文化の基底をな<wbr></wbr>す考え方が書いてあり大変興味深い本なのです。
今回はここまでとします。(続く)
少し心の休まるようにささやかな花の写真を一枚お送りします。Img_7059

戦争の悲惨さを忘れないようにしよう(4)64万人の日本兵のシベリア抑留と240万人のドイツ兵の抑留の

2014年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の新聞や雑誌は日本人のシベリア抑留だけを書き立てますが、ドイツ兵もシベリアへ抑留され、奴隷のように使われたのです。

ソ連の捕虜になったドイツ兵の総数は約350万人だったのです。

ベルリン陥落後、すぐに返された捕虜以外の約240万人はソ連へ連行され過酷な強制労働をさせられたのです。

そしてその約40%に当たる100万人が死亡したのです。ソ連の各地で強制労働をさせられ、その多数はシベリアへ抑留され、日本兵より過酷な取扱いをされたのです。

一方、日本兵は64万人がシベリアへ抑留されそ、の約10%の6万人ほどが死亡しました。

ソ連によって抑留されたドイツ兵、240万人のうち何人がシベリア送りになったかは分かりません。しかしドイツ兵の取り扱いは日本兵のそれより一段と凄惨だったのです。シベリアでドイツ兵に会った日本兵がそのことを帰国後語っています。

下に第二次世界大戦後にソ連へ連行され、強制労働をさせられた捕虜の数が国別に示してあります。

この表をよくご覧ください。驚くなかれ、ドイツ以外の枢軸国の多くの捕虜もソ連へ連行されたのです。

ハンガリー51万人。  ルーマニア19万人。  オーストリー16万人。

チェコスロバキア7万人。  ポーランド6万人。  イタリア5万人。

フランス2万人余。    ユーゴスラビア2万人余。

などなど合計417万人もの捕虜を連行し、強制労働をさせたのです。

これは戦時捕虜に関する国際法を完全に無視した行為です。ソ連という国がどんなに非道な国家だったかを証明しています。

ソ連解体後、ロシアがソ連の後継者になったのです。ロシアはこの417万人の外国捕虜の抑留に対して謝罪し、正当な損害補償を支払うべきではないでしょうか?

ソ連が417万人の捕虜へ何年間も強制労働をさせた事は重大な人道に反する罪です。絶対に許されるべきではありません。

しかし国連はこの問題は取上げません。所詮、戦争というものはそういうものだと思っているのでしょうか?

これこそ絶対に忘れるべきではない戦争の悲劇です。そして虚しさを感じます。

今日はソ連へ連行され、ロシアの極寒の荒野の土となってしまった日本人の冥福を祈ります。そして抑留中に亡くなった全ての人の冥福をお祈りします。

=出典:「我が家のホームページ」(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM)===

ソ連に抑留された軍事捕虜の国別内訳
                                  (1941年6月~45年9月)
 ド  イ  ツ 2,389,560   日     本  639,635  

ハ ン ガ リ ー  513,767     ル ー マ ニ ア  187,370  

オーストリア   156,682    チェコスロバキア   69,977

 ポ ー ラ ン ド   60,280    イ タ リ ア   48,957  

フ ラ ン ス    23,136       ユーゴスラビア   21,822  

モ ル ダ ビ ア    14,129     中     国   12,928

 ユ  ダ  ヤ   10,173     朝     鮮   7,785  

オ ラ ン ダ   4,785       モ ン ゴ ル   3,608  

フィンランド    2,377      ベ ル ギ ー   2,010
ルクセンブルグ   1,652    オランダ・ダッチ    457  

ス ペ イ ン    452         ジ プ シ ー    393  

ノ ル ウ ェ ー    101      スウェーデン      72
                                

                    24ヶ国合計 4,172,042人

 〈『軍事歴史雑誌』(1990年9月号)〉
 《『シベリア抑留-いま問われるもの-』(堀江則雄 2001 東洋書店)から》

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下はシベリア抑留へ送られる日本兵の写真と亡くなった人の荒れた墓地の様子です。

写真の出典はシベリア抑留画像集からです。

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