後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

桜花の華やかさと儚さ・・・そして今日は灰の水曜日

2012年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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春に絢爛と咲く桜は、数日で花吹雪となって一斉に散ってしまいます。その散りぎわの見事さから武士道の精神として昔から大切にされてきました。日本人の心のよりどころです。

どんなに華やかなものでも時が来れば必ず滅びるという無常の世界を教えているようです。お釈迦様の色即是空の教え通りです。物慾に執着する愚かさを教えて下さったのです。生きている者は必ず滅びるのです。祇園精舎の鐘の音がいつも日本人の心の底で鳴り響いているのです。それが日本人の基底低音なのかも知れません。

それはそれとして、桜の木は土から生まれ、桜花は散って土に返ります。枝や幹も年老れば枯れて、地に落ちて土に帰ります。

草食動物は土から生まれた草や葉や果実を食べて育ちます。肉食動物は草食動物を食べて育ちます。従って肉食動物も間接的には土から生まれて、土に還るのです。

ですから地球上のすべての生物は土から生まれて、土に帰るのです。

その事を忘れないようにするのがカトリックの「灰の水曜日」です。カトリックの重要な儀式で、今年は今日です。毎年、この日から復活祭の四旬節が始まります。

今日の夜に教会でその儀式があります。神父様から祭壇の前に進み出た信者へ一人、一人の頭に灰をかけて貰います。しっかりかける神父さん、ほんの少しかける神父さん、額に付ける神父さんもいます。

この世に富を積み、豪華な家に住み、享楽的な生活をしても、全ては土に返ってしまうのです。それよりは神のことを考えるほうが良いという意味もあるのでしょう。

不思議です。お釈迦様の教えとカトリックの教えが同じようなのです。

私が「灰の水曜日」の儀式を始めて経験したのは1969年の冬でした。シュツットガルトの暗い、寒い石造りの教会で神父さんに頭に灰をつけて貰いました。冷たく堅い石の床に膝まづき祈ったことでした。

ヨーロッパの教会には暖房が無いことが分かりました。当然、冷房もありません。シュツットガルトの教会の寒さが神秘的な儀式を一層印象深いものにしました。忘れられない灰の水曜日でした。

今日は皆様も一瞬で良いから「人間は土から生まれ、土に返る」と感じるようにとお祈り致します。気持ちが晴れ晴れするかも知れません。後藤和弘(藤山杜人)

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福寿草がやっと咲きました

2012年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今年は寒さが続き、梅の開花が2週間遅いようです。蕾もまだ固くて、咲くのはまだ先のことのようです。

福寿草がやっと咲出しました。先週、神代植物公園で撮った写真です。

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上の三枚は屋外で撮りましたが、一歩温室に入るとそこには下の写真のように緑豊かな光景がありました。

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早く春が来るようにとお祈りしています。(終り)


最近の国際情勢はやわかり1,2,3

2012年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

以下は国際関係を日本の新聞だけを読んで考えている一老人の大雑把な理解です。国際関係の専門家でない一素人の早わかりを纏めたものですから間違っているところが多くあると思います。どうぞ誤りをご指摘下さい。

(1)1990年頃の米ソ冷戦構造の崩壊によるアメリカの新しい敵。

突然、ソ連が崩壊し、1945年以来、45年間ほど続いた冷戦構造が終焉しました。アメリカの勝利に終わったのです。強大な軍備を有するアメリカが新しい敵国として考えだしたのがイスラム諸国でした。イスラム諸国を友好国と敵対国に分けて争うことにしたのです。そんな折の2001年9月11日にアメリカの国防省の建物とニューヨーク貿易センタービルに旅客機が突っ込んだのです。ビン・ラーデン一派の攻撃でした。

イスラム過激テロリストの掃討という名目で、アメリカは大規模な戦争を始めたのです。アフガン戦争とイラク戦争です。両国を占領し、親米的な政府を作りました。その上、昨年はパキスタンに隠れていたビン・ラーデンを殺害し、復讐を遂げたのです。

残ったイスラム圏の敵対国はイランとシリアです。

冷戦に負けたロシアと中国はこの2国を陰で支援し、アメリカの制裁政策の効果を少なくしています。

これを複雑にしているのが好戦的なイスラエルです。いきなりイランを空爆しようとしているのです。アメリカ政府の幹部がイスラエルを訪問して直接攻撃を思いとどめています。以上が最近の大雑把な国際情勢ではないかと思います。

(2)イランの艦艇が地中海へ回り、シリアを支援し始めた。

下の写真は昨年、スエズ運河を通行中のイラン海軍の駆逐艦です。

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そして下の写真は演習をするアメリカ海軍の様子です。

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このイランの敵対的な行動はアメリカを刺激しています。アメリカの経済制裁政策で日本のイランからの原油輸入を4割削減することになりました。幸いアメリカは日本の事情を理解し、原油輸入全面禁止を強要しませんでした。NATO加盟の欧米諸国は完全に輸入禁止です。

さてイラン情勢は日本へどのような影響を与えるでしょうか?

最悪の事態はホルムズ海峡をイラン海軍が封鎖することです。そうすれば日本の原油輸入の大部分が止まってしまうのです。日本はイランだけでなくペルシャ湾の西側のイスラム諸国から多量の原油を買い、ホルムズ海峡を通過して日本まで運んでいるのです。

もう一つの影響は海上自衛隊のアラビア海への派遣の要請が来る可能性があることです。日本の海上自衛隊が直接攻撃に参加はしないと思いますがアメリカ海軍への補給支援をすることになるでしょう。この可能性は、次の項目のアフリカへのPKO派遣とも関係があるかもしれません。

(3)南スーダンへの陸上自衛隊の派遣。

南スーダンは内戦で多くの難民が溢れています。国連がPKO部隊を派遣して内戦を防止し、難民の生活支援をしています。

最近、日本の120名の陸上部隊が、灼熱の南スーダンに着任し、冷房の無いテント生活を始めました。第二次派遣は330人と言います。

南スーダンの水道工事などの土木工事などを行って難民の生活支援を進める予定です。

さてアフリカには過去の内戦によって生じた難民が各地にいます。国連は人道的な立場からPKO派遣をして平和を維持しようとしています。今後も自衛隊の派遣は続くと思います。我々は過酷な生活を強いられるアフリカでの自衛隊の活動をもっと支援すべきではないでしょうか?昨年の東日本大震災での自衛隊の献身的な働きを忘れるべきではないと思います。エアコン付きのテントくらいは持参するように世論が出ることを期待しています。気温が50度と報道されています。

下に南スーダンの難民の様子と陸上自衛隊の実情を示す写真を送ります。

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それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


今日も武蔵野の雑木林をさまよい歩いて来ました

2012年02月20日 | 写真

若い頃、国木田独歩の「武蔵野」という本を読みました。

明治時代にロシア文学が翻訳され、ロシア大地に広がる白樺や広葉樹の林の美しさが日本へ紹介されました。それに触発された国木田独歩が東京の西に広がる武蔵野を何度も、何度もさまよい歩いて、その四季折々の雑木林の美しさを書いたのです。

仙台で生まれ育った私にとっては、武蔵野の雑木林は憧れの的になってしまったのです。

しかし、実際にそれをゆっくり見たのは26歳になって、武蔵野の一隅に住みつくようになってからです。

それ以来、春夏秋冬、時間さえあると車を駆って武蔵野の雑木林の中にわけ入ります。車を林の入り口に置いて、1時間、2時間とさまよい歩くのです。

国木田独歩の武蔵野の本を思い出しながら歩き回ります。そしてロシアの大地に広がる白樺林やその他の広葉樹の林のたたずまいを想像しながら散策します。

北海道で見た白樺林やクヌギ林を思い出します。そして札幌の北海道大学の植物園にあるハルニレの大木の林も思い出します。北海道大学の農学部のそばのポプラ並木も思い出します。その並木も老化で枝が急に落ちるので先年から立ち入り禁止になったようです。

そんな事を取りとめも無く考えながら、今日も武蔵野の雑木林の中を独りさまよい歩いて来ました。場所は八王子市の小宮公園です。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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孤独な老人の毎日の幸せ・・・若い人々にはその幸せが想像出来ない!

2012年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

人間というものは、その年齢になったみないと判らないことが沢山あるものです。

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例えば夫婦になって、新婚、中年、そして老年と一緒に時を過ごしてみないと男女の関係の深さが本当に判りません。途中で離婚した人から反対意見が出そうですが、まあ、そういう事にして置きましょう。

自分も充分に老人の年齢を重ねていると、その毎日が幸せなことに吃驚しています。若い時や中年時代より幸せな感じがヒシヒシとするのです。その心理状態を説明しても若い人には理解して貰えません。「朝、目が覚めると、生きていることに感動し、幸福感に包まれるのです」「夜床に入り眠りにつく前に今日一日無事に過ごせたことを感謝します」と書いても若い人は笑い飛ばしてしまいます。若者にとっては、それが何故幸せなのか理解出来ません。老人になるとその幸せが実感出来るのです。毎日、実感するのです。

老人になると人生の厭な事は綺麗に忘れ、楽しかった思い出だけになるから幸せなのです。この境地は若い人には分かりません。

現役の間に、気楽に仕事をしていは、首になって、お金を貰えなくなるのが普通です。仕事の現実は厳しいものです。しかし引退してしまえば、そんな苦労は雲散霧消です。

もうう一つ重要なことは仕事の上でお世話になったり、師として指導してくれた恩人たちが皆旅立ってしまいます。

別れは悲しいものです。思いかけない温情を頂いたことに感謝しています。いくら感謝しても感謝しきれません。

しかしそのような人々の優しさや助けが、自分にとってはそこはかとない束縛だったのです。重荷だったのです。そのような方々がみな旅立ってしまった後は、温情だけが思い出として残ります。束縛から解き放たれるのです。そして全ての恩人があの世で優しく待っていてくれるのです。

子供を育てる苦労もとうの昔に卒業しました。

数え上げればキリがないので止めます。結論は「多くの老人は幸せだ」という事です。もちろん例外もありますが。

私は時々、山林の中の小屋に行き、近所を散歩します。すると老人が一人で住んで居る小屋が7軒もあります。何時も会うわけではありませんが、時々はそのような孤独な老人に会います。例外なく幸せそうにしています。家族は都会にいても独りで暮らしている人もいます。老境の幸せを楽しんでいるのです。したにその家の写真を2つだけ例として示します。

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・この上下2つの小屋の西側は崖になっていて、川が流れています。そして、その向こうに白く雪に覆われた甲斐駒岳の秀峰が見えるのです。

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・そして私は下のような小屋の窓から小さな庭をボンヤリ眺めているだけで幸せなのです。そんな状態は若い時には想像も出来ませんでした。バーベキューをしたりビールを飲んだりする時こそが幸福な時だとばかり信じていたのです。

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それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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桜花のように見える樹木に凍りついた雪の光景

2012年02月19日 | 写真

昨日の朝、東京の西に雪が降りました。気温が低かったのでその雪片が樹木の枝に凍りつきました。朝日にきらきら輝いています。中央高速道路の高尾山から相模湖にかけてだけ見えた美しい光景でした。山が満開の桜花に覆われたようにも見えました。車の上から家内が撮った写真ですが、お楽しみ下さい。

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キリスト教が資本主義を生んだという学説の間違い・・・経済活動と宗教は無関係

2012年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

産業革命が起き、大量生産技術が生まれ、資本主義の発達した場所が偶然にもキリスト教のプロテスタント宗派の強い国々でした。

従って、プロテスタント宗派と資本主義と間には強い因果関係があると思いがちです。そしてそれを論証しようとする学説があります。あるいはキリスト教が世界を征服する手段として資本主義を推進しているという興味本位な俗説もあります。

簡単に言えばプロテスタント宗派が資本主義を生み、発展させたという学説です。

しかしそのような学説は大きな限界があり、間違いの場合が多いのです。同じ場所で同時に起きた2つの現象を因果関係で結ぶほど危険な学説はありません。

雨の降っている所で、偶然地震が起きたとします。その時、地震が起きた原因は雨ですという学説の間違いと同じです。

イエス様は産業を起こせ。資本主義が大切だ。と教えたでしょうか?逆です。この世に富を積むよりも天国に積めと教えました。税金をローマへ支払うべきかと聞いた人々へは、「カエサルのものはカエサルへ返せ」と言います。要するに金銭に関心が無かったようです。彼が教えた祈りは、「日々の食べものを今日もお与え下さい。・・・」という内容です。毎日の食べ物さえあれば良いと言うのです。

技術革新を起こして富国強兵に努力せよとは教えませんでした。

私はキリスト教の洗礼を受けました。すると産業革命や資本主義の発展は人間の金銭慾が一番大きな原因になっているという理解にいたります。経済活動の中で、宗教の無力さも理解できます。

一般にキリスト教は近代工業技術とは無縁なのです。その実例がプロテスタント宗派の一つのアーミッシュという一派です。全ての近代技術を拒否して、原始的な中世のままの生活を続けているのです。

これは極端な一派ですが、本当のキリストの教え通りの生活なのかも知れないのです。欧米世界ではそのような暗黙の意識が流れているので、アーミッシュ宗派のことに関心があります。日本人は関心があまりありません。しかしキリスト教のいろいろな側面を知るためにもアーミッシュ宗派の理解が欠かせないのです。

そこで以下に彼らの生活をご紹介したいと思います。

アーミッシュとは、ペンシルバニア州、オハオ州などの中西部に散在しているキリスト教の一派。禁欲的な質素な生活を守り、職業は農牧業のみ。電気・ガス・水道、自動車、耕運機、電信電話など近代文明の産物は一切使用しない。義務教育はないし税金もない。

あるのは合衆国の徴兵のみ。それも看護などの後方勤務に限る。アメリカの市民権は認められ、白人ではあるが、異質の文化を守り、孤立した村として散在している。1989年にオハイオ州コロンバス市に住んでいた時、訪問し一泊して来た。車で二時間の所にある。

@「現存する中世の村人たち」ーーアーミッシュ村の風景ーー

アーミッシュの村に入ると、「路上で黒塗り箱型の馬車が近付いたら徐行すべし」という意味の絵看板が増えてくる。周りは一面の実り豊かな麦畑。その間に牛馬がのんびり草を食む牧場が散在し、素朴な木造一階建ての農家が栃の大樹の木陰に見え隠れしている。

看板通り、黒塗りの箱形馬車が近付いて来る。慌ててブレーキをかけ、徐行しながらすれ違う。手を挙げて挨拶をすると、黒いシルクハットをかぶり、襟の小さな黒い背広を着た老人が目を上げないで、手をわずかに振って挨拶を返す。

麦畑では刈り取った麦束を馬車に積み上げている。農夫はさすがに上着を脱ぎ、黒いチョッキ姿で汗を流しながら一心に働いている。

アーミッシュに車で観光に行った場合のマナーを大学の同僚が教えてくれた。

「御土産店、喫茶店、民宿の前以外の道端に絶対車を停めないこと。馬車が見えたら急いで減速し徐行せよ。必ず挨拶をすること。しかし相手の目を見たりしない。もちろん話し掛けてはいけない。女性は黒い長い服を着ているが、車と馬車がすれ違う時、前から覗き込んではいけない。アーミッシュ専用のスーパーマッケットがあり、黒い馬車がたくさん止まっているが、スーパー店内へ入ってはいけない。ソーッと遠方から眺めるだけにすること」「御土産店では村への入場料のつもりで多めにチーズやヨーグルトを買って上げなさい」

 

夜は木造2階建ての民宿に泊まる。部屋にはローソクしかないが、外の方が明るい。窓から見ると、満天の星空。星明りで外が明るい。「夕食ですよ」と呼びに来る。食堂には電気がついている。新鮮なホーレン草のサラダと鶏肉のソテーのみだが、自然栽培なので実に美味しい。もちろんビールや酒類は一切ない。

布に包んだ温かい焼きたてのパンが籠に入って出てくる。そばに座ってくれている女主人にいろいろ聞いた。電気は来ている。冷蔵庫、洗濯機、井戸水汲み上げポンプ、食堂と調理場の電燈に限って電気を使っているそうである。アーミッシュの人の職業は農牧業しか許されていないので、民宿やスーパーマーケット、御土産店などの経営者は普通のアメリカ人である。

ローソクの炎の揺れる暗い部屋へ引き揚げ、星明りの窓の外をもう一度見てベッドへ潜り込む。アーミッシュの村は静けさに満ち、時がゆっくり流れている。

その生活ぶりの写真をお送りします。特に3枚目の室内の写真を注意深くご覧下さい。部屋には電燈が無く、薪ストーブが中央にあるだけです。衣類も壁にぶら下がっているだけで、何枚もクローゼットに並べて吊るして仕舞うほど沢山持っていません。下着は箱に仕舞い、農作業と礼服を常に共用する服を毎日着ています。農作業にはトラクターは一切使いませんので、4枚目の写真のように馬車と人力だけで刈り取りを行います。

上の3枚の写真の出典;http://en.wikipedia.org/wiki/Amish

4枚目の写真の出典http://en.wikipedia.org/wiki/Amish

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今日は冬の山林の中を歩いて来ました

2012年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

山梨県、北杜市の甲斐駒岳の山麓にある小屋に行き、周囲の山林を歩いて来ました。

気温は零度で北風の強い日でしたが、太陽が暖かく射しています。

空気が新鮮で、清浄でした。山林の中は梢を吹きわたる風の音だけです。誰も居ません。久しぶりに悠然とした気分を楽しんで来ました。

家を朝8時に出発し、小屋へは10時30分に着きました。137Kmの行程です。すぐに薪ストーブを焚き、お昼まで家内と一緒に今日の新聞をゆっくり読みました。

お茶を淹れ、簡単な昼食を済ませました。その後、山林の中をひたすら歩きまわりました。途中に鬼家雅夫さんの山荘に寄り、少し立ち話をしました。クリンソウの芽が出ている陽だまりは春の気配さえしていました。

山林はすっかり落葉して、陽射しが明るく射し込んでいます。今日は、何時もいる猿も居ません。鹿も見えません。風の音だけです。そんな山林を歩くだけで心が楽しくなります。幸せ一杯の時間が流れます。若い時には味わえなかった楽しみです。

早めの帰宅で、4時30分に家に着きました。

下に写真をお送り致します。山林を散歩なさっていると想像しながら、お楽しみ下さい。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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・小屋の東側の坂道を登るとこのような牧草地です。以前は28頭の乳牛がいましたが、牧場主が老境を楽しむために止めてしまいました。大変お世話になったので、現在でも、その新築した豪華な家に時々挨拶に寄ります。

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・牧草地の西側は密生した雑木林でしたが、昨年、伐採が完了して、こんなに広々した空き地になりました。後ろの山並みの奥に地蔵岳が少し見えます。

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・30年以上の友人の鬼家雅夫さんの山荘に寄りました。上の写真はその山荘から本道へ出る道です。山道に来ると何故か家内が駆け出して、先を行きます。

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・今日は晴天で、気持ちが良かったので鬼家さんの山荘の西側に広がる雑木林をつき抜けて、甲斐駒岳の写真を撮りに崖の上まで行きました。残念ながら甲斐駒も八ヶ岳も雪雲に覆われて居ました。上の写真は小屋へ帰る登り坂です。車が1台やっと通れる幅の道です。両側は太い松林になっています。夏には松蝉がうるさい程鳴いています。しかしこの松林も間もなく伐採される予定です。

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・松林を過ぎるとこのように明るい雑木林の中の道になります。はるか前方を家内が走っています。もう小屋まですぐです。

小屋で一休みして、車で帰って来ました。ゆっくりとした時間の流れを楽しんだ老境の一日でした。(終り)


米国で大歓迎を受ける中国次期国家主席、習近平を注目すべし

2012年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

数日間にわたって訪米している中国国家副主席の習近平氏が大歓迎を受けています。

中国は国民総生産高、GDPで日本を抜いて世界2位になりました。その上、軍事的には航空母艦を建造し太平洋艦隊を強化しています。国連安保理事会ではロシアとともに拒否権を使ってアメリカの国際政策を幾つも無効にしています。

今や中国はアメリカに対抗する強大な国家になってしまったのです。

その中国の次期国家主席にこの秋に就任予定の習近平氏がアメリカを訪問したのです。

オバマ大統領は1時間半に及ぶ会談をしています。クリントン長官やバネッタ国防長官とも会談しました。

米中共同で軍事演習をすることや、多量のアメリカ産大豆の中国への輸入に合意しました。

しかし習近平氏は台湾の独立は絶対に認めません。チベット領有は当然だという姿勢です。従来の中国共産党の路線をそのまま守る決心をしています。

今回の習近平氏の訪米ではアメリカ側がほとんど国賓に近い歓迎行事をしました。

今まで国際的にあまり知られていない習近平氏の考え方や政治方針を探り出すには歓迎したほうが良いのです。

日本人ももっと習近平氏の方針や政治的姿勢を研究して、日中関係が尖閣列島事件の時のように、不必要にギクシャクしないようにすべきです。

習近平氏は1年半前に日本も訪問しています。そしてその折には天皇陛下を表敬訪問をしました。その頃から私は習近平氏の言動に注目しています。

マスコミ報道に出ている情報によると彼は考え深い人です。カッとならないで冷静に考えるタイプの人間のようです。笑顔が良く、身長も高く、いかにも中国大陸の大人の雰囲気を持っています。河北省の地方共産党組織から中央に抜擢されたのですから行政能力や政治的バランス感覚も充分だろうと想像できます。

尚、彼の奥さんは昨日その紹介記事を掲載しました中国の国民的人気歌手の 麗媛です。記事は次期国家主席予定の習近平氏の奥さんは国民的人気歌手ですです。下に訪米中の習近平氏の写真をお送りします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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次期国家主席予定の習近平氏の奥さんは国民的人気歌手です

2012年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の秋に、胡錦濤国家主席のあとを継ぐと確実視されている習近平副主席の奥さんは中国では有名な人気歌手、 麗媛さんなのです。彼女は1962年生まれの50歳で階級は少将です。

習近平氏が見染めて、結婚したそうです。

親類が台湾に住んでいたので、両親は文化大革命の時迫害され辛い思いをしたそうです。共産党歌舞団に入り、出世しました。魅力的な唄い方で人々の人気を集めているそうです。

今回の習近平氏の訪米では同行しませんでした。同行するとマスコミが奥さんの方に集まり、夫の習近平氏の影が薄くなるから一緒に訪米しなかったという噂があるそうです。冗談半分の噂でしょうが、以下に写真をお送りいたします。

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去年の浜離宮の菜の花畑です

2012年02月17日 | 写真

何時までも寒波が続いています。去年の今頃は梅が咲き、菜の花畑が一面に黄色になっていたような気が致します。

そこで去年の浜離宮の菜の花畑の写真をお送りします。早く春が来るようにとお祈りします。

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雪山に独りで住むある老人の喜びと悲しみ

2012年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今年は何年ぶりかの豪雪です。雪降ろしもままならず、家に閉じ込められ、独りで暮らす老人が多いという報道があります。そのような老人は毎日、どのような気持ちでいるのでしょうか?

家の中だけに閉じ込められるのは極端な場合ですが、道の雪が深くて買い物に行けない老人は沢山います。今日は一例を示しながら、独り暮らしの老人の本当の気持ちを書いてみます。山梨県、北杜市の山林の中で暮らす友人の生活の様子です。

その友人の山荘は下の写真の雪道を1.5kmほど登った山林の中にあります。

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彼は昨年から車の運転は止めて、自転車や徒歩で買い物に行きます。しかし雪道は寒いので冬になってからは買物に行きません。

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山荘に入口です。この分岐点から更に雑木林の中を分け入ります。シカやサルやイノシシの駆け回る雑木林です。

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2階に大きなガラス戸のついたサンルームがあります。橋の右下が母屋で薪スーブが暖かい居間兼寝室があります。部屋数が多くて、テレビ室、仏間、3階のコンピューター室、台所、風呂場、トイレルームなどがあります。

上の写真の左の2階には夏用の大きな寝室と1階には薪の貯蔵スペースと広い作業場があります。

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山荘の東は低くなっていて、写真の橋の下に清流が流れています。その向こうには下のような風景が広がったいます。

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さて如何でしょうか?あなたはこのように暗くて、寒くて、寂しい場所に独りで暮らしてゆけますか?何十日も人と会いません。聞こえるのは雑木の梢を吹く風の音だけです。屋根の雪が時々落ちる音だけです。全てのものが氷りつく厳寒の山林の中です。

ここに何十年も独り暮らしをしている友人はもう老人です。少し病気なので病院へも行かなければなりません。しかし越冬中はその病院へも行けません。

さぞ苦しくて寂しい生活ではないかと思います。

しかし彼は事もなげにいつも山の暮らしの楽しさを言います。寒さで水道管が凍るる様子やお酒が氷結することを自慢げに話します。

そして石油を節約すために暖房は薪ストーブだけにしていると楽しそうに話します。買いものをしなくても備蓄の食料が沢山あります。その備蓄の様子を楽しげに見せてくれます。成程、3回くらい越冬出来そうに多量です。栄養のバランスも考えているようです。

この独り暮らしの友人の喜びは越冬生活そのものの中にあるのです。雪の日が続いた後には必ず太陽の輝く日が来ます。そんな日は2階のサンルームに行って明るい陽光をいつまでも楽しみます。夕方になり寒くなったら薪を一晩分だけ居間へ運び込みます。夜は薪の燃える香りと音を楽しみます。

彼に何か悲しみはありませんかと聞きます。困っている事はありませんかと聞きます。人間である以上、必ず辛いことや悲しいことがある筈です。しかし何も無いと言います。言いつつ田舎暮らしにあこがれて移住したが後悔していますと言います。病院へ通ったり買物に行ったりが大変になって来たので後悔していますと言います。それでも彼はその不便さに慣れてきている様子です。

結論を書けば、「老人の独り暮らしは結構楽しい」のです。この結論で終りにしますが、その先のいろいろな問題はあなたご自身でお考え下さい。

写真は、鬼家雅夫さんのブログ:http://sizen068.blog95.fc2.com/ からお借りしました。山荘の暮らしの詳細はこのブログにあります。是非、ご覧下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


才能があるために不幸になる人々の多さ・・・危険な人生

2012年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

あなたには何か才能がありますか?こう聞かれると困る人が多いと思います。無いと答えるのも口惜いし、あると言える程の才能も無いし、心が迷うのが普通です。

才能と言っても、いろいろな種類の才能があります。多くの知識を暗記出来る才能。生活に必要な食べ物や道具を上手に作り出せる才能。秀逸した料理の才能。経済活動に優れていて金儲けが得意な才能。音楽を上手に演奏する才能。感動的な絵画を描ける才能。いろいろなスポーツに優れているという才能。他人との会話が上手で好感を与える才能。数学が得意で数式を言葉のように使える才能。科学的な研究能力に優れているという才能。その他いろいろあります。

今日のテーマは「才能があるために不幸になる」という事です。これをもう少し正確に言うと「中途半端な才能を持っていると不幸になる」と言い変えるべきです。

「中途半端な」という言葉の意味(定義は)は、「誰が見ても抜群であるという状態では無い」という意味です。才能を生かして、始めから簡単に生計を立てて行けるのなら、それは中途半端な才能では無く、本物の才能なのです。

ところが人間には慾がありますから自分の持っている「中途半端な才能」を本物で、抜群の才能と間違うのです。その結果、いくら努力しても生計が稼げなくて、落ち込んでしまい不幸になるのです。自分だけでなく回りの家族も不幸にしてしまいます。

それ位なら中途半端な才能はスッパリと諦めて会社に就職して、月給を頂く人生を選んだほうが幸せになれます。

何故、こんなテーマで書いているのでしょうか?それは最近、2度、府中の森プロムナードコンサートというクラシックの音楽会へ行ったからです。入場料はワンコインで500円です。そして考え込んでしまったのです。これで彼らの生計は成り立って行くのでしょうか?

音楽会の様子は、上野由恵さんのフルートとユン・イサン(尹伊桑)氏とムンクの叫び と、パイプオルガンと声楽を聞いてきました にあります。下に写真を示します。

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フルート奏者、ピアニスト、オルガン奏者、オペラ歌手2人の5人の創りだす音楽を聴きながら、感動しながら考えていました。

彼等は皆、東京藝術大学を卒業して、ヨーロッパで何年間も本格的な修業をしています。本物の才能があるのです。しかし彼らの生計は決して楽ではなさそうです。贅沢な生活ではなさそうです。それはインターネットで彼らのことをいろいろ調べるとそこはかとなく分かるものです。入場料500円は例外ですが、高額の報酬があるような演奏会に招かれるのは稀に違いありません。

それに比べるとテレビで活躍しているお笑いタレントやおしゃべりだけのタレントの収入を想像してみると、どうもクラシックをしている人々は不遇過ぎるような気がします。

話はそれましたが、「中途半端な才能の故に不幸になる」という主題に戻します。

東京藝大を卒業してもソロ演奏者として成功しなかった人が沢山居るのです。上に紹介した5人のように華々しい活動をする事も出来ず、学校の音楽教師になったり、音楽塾を開いて生涯を過ごします。あるいは音楽を諦めて一介のサラリーマンとして生涯をすごす人もいるでしょう。

さらに少しの才能を信じて、いろいろな芸術系の学校を受け、受験に失敗する人が何万人と居るのです。なまじ中途半端な才能があったために親の欲目で不幸な受験をするのです。

受験に失敗して、そのことを一生心の悲しみとして背負って、不幸な人生を送る人も居ます。

ここまで書けば、私がこの記事で書きたい結論がお分かりになると存じます。

そうです。「自分の才能の限界を知り、それを常に意識していれば不幸にはならない!」と言いたいののです。そのことを強く、何度も自分の心に言い聞かせる事があなたが不幸に落ちることからを救ってくれるのです。限界を知る。限界を信じる。努力はするが他人は怨まない。全ては自分に才能が無いためなのです。

何故、このように断言できるのでしょうか?自分が過去に科学研究をしていた時に不幸な感じを何度もしました。今、振り返って思うと、自分の中途半端な才能を過大に評価したときに不幸になっていたのです。老境に入って過去の不幸が自分の才能の過大評価によってもたらされてと明快に判ったのです。老いなければ理解の出来なかった自分の愚かさにやっと気が付いたのです。

蛇足ながら、上の写真に写っている5人のクラシック音楽家は不幸でしょうか?幸せでしょうか?私は「みんな幸せだ」と断言できました。彼らは演奏の合間に、少しずつ話をします。曲目の簡単な説明やヨーロッパでの修業時代に感じたことなどを話します。自分の才能の話はしませんが、彼らはみんなそれぞれ自分の限界をわきまえているのです。立派です。好感が持てます。

もっと感動することがあります。誰でも府中の小さな藝術劇場でクラシックを演奏する人は、はじめにひどく緊張しています。「このような地方で自分の音楽が受け入れてくれるのだろうか?」と心配します。始めの1曲はお互いの挨拶のような感じです。拍手があると演奏家は安心して、2曲目を精魂込めて演奏します。万雷の拍手です。やっと演奏家の顔が喜びで輝きます。安心して、肩から力がとれて自由闊達な演奏になります。初めに万雷の拍手を貰った時の演奏家の幸せそうな様子を見るとそれが幸福な人生なのだと私も納得します。

全く蛇足ですが、「中途半端な才能を持っても、心の持ちかたで幸せな人生を送ることが出来る」と結論できます。賢明な皆様にはとうにご存知の当たり前のことを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


公園を散歩しながら考えた・・・何故、日本にはクリスチャンが少ないか?

2012年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は曇りながら気温が10度にも上がり、温かいので清瀬市の金山緑地公園を散歩してきました。

歩きながら考えるともなく考えていました。日本人ほど教養としてキリスト教をよく勉強している国民はいないと思います。キリスト教の歴史から宗教改革の事など詳しく知っています。いろいろな宗派の違いも知っています。特にマルチン・ルターの宗教改革などについては学校で習います。旧教の堕落や免罪符の売買についても習います。そして日本中に実に数多くのミッション・スクールがあり、キリスト教のことを更に詳しく習います。ミッションスクールでは礼拝やミサへ生徒を参加させます。

しかし卒業するまでに洗礼を受ける生徒はあまりいないそうです。

何故、ミッションスクールへ通学していながら洗礼を受けないのでしょうか?洗礼を受けないのが悪いと非難しているのではなく、不思議に思っているだけです。

散歩しながら理由を2つ思いつきました。

一番大きな理由は、日本人は慎み深く、遠慮深いからと思います。自分は人間として立派でないからとても洗礼を受ける資格が無いと思うのです。そして先生が洗礼を勧めても遠慮してしまうのです。この性向は日本人の美徳です。神の前に立てば、自分はそんなに立派でない人間だと考えるのです。その考えは慎み深い考え方です。

神様はガッカリなどしません。そのように考える人々を大切にしてくれます。愛してくれます。

もう一つの理由は洗礼を受けると万事について窮屈な人生を送らなければいけないと思うからです。誰でも窮屈な人生より、自由な人生が好きなのです。窮屈な人生は不幸です。

キリスト教の洗礼を受けると先祖代々のお墓もお参りに行けない。親類の集まる法事にも出席出来ない。神社の境内では遊んではいけない。などと狭量なことを考える日本人がいるようです。

それでは無理して洗礼など受ける気になれません。

しかし先祖代々の墓を大切にし、親類同士の付き合いを大切にすることは日本人の美徳なのです。美徳は大いに発展させるべきです。そうしても神様は怒りません。神様の抱擁力は無限大なのです。

私の祖父は曹洞宗のお寺の住職でした。孫の私もそのお寺の本堂で祖父と一緒にお経を唱えました。それは幼い頃の楽しい思い出です。

中年になってカトリックの洗礼を受けました。しかし従来通り、お墓参りもしますし、仏式のお葬式にも参列します。人間としての義理を大切にするのが日本人の美徳なのです。

このブログは、神父様もキリスト教の信者も読んでくれています。しかし私のお寺との付き合いを止めなさいと注意を受けたことは一回もありません。

洗礼を受けると人間はますます自由になります。魂の自由を感じることが出来るのです。この世のいろいろな事への執着から少しだけ自由になれます。少しだけですが、その違いは驚くほど大きいものです。

清瀬市の金山緑地公園を散歩しながらこんなとりめもない事を考えていました。私の考えは間違っているかも知れません。

下にもう少し写真をお送りいたします。それにしても今年は春が遅いですね。

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