先日、掲載した、八丈島へ丸木舟で渡った縄文時代の人々という記事で八丈島から御蔵島、そして三宅島、鎌倉へとカヤックで渡った八幡暁さんをご紹介しました。
八丈島に縄文人が渡って行って数多くの石器や縄文土器を遺しています。その縄文人は何処から八丈島へ行ったのでしょうか?
丸木舟で本州から八丈島へ渡れるものでしょうか?疑問に思っていました。その私の疑問を解消してくれたのが八幡暁さんのカヤックによる単独航海でした。
その後、彼のホームページを見ました。なんと西太平洋をカヤックで縦断する旅を何年間も続けています。危険な冒険の独り旅です。
何故、彼はそんな危険な冒険に挑戦しているのでしょうか?
そこでメールを送り、GPSや衛星電話を使っているか聞いてみました。海図や天気図を使っているか聞いてみました。
彼の答えで何故太平洋の一人旅をしているか分かりました。
縄文時代に存在していない道具はなるべく使わないで外洋を渡ることにしているようです。遠方の天気は波と潮流を見て判断します。近くの天気は空の雲の動きで判断します。1日の航海距離は50kmくらいと無理はしません。島々に上陸し、素潜りで魚貝をとって自給生活を続けます。縄文時代にはアクアラングなど無かったのです。
彼は西太平洋の島々へ古代の人間がどのようにして渡って行ったか自分で証明したかったようです。古代の人間の知恵と体力を再現したかったようです。
しかし彼の冒険は学問的な研究ではありません。まなじりを決した悲壮な冒険旅行でもありません。楽しい海旅なのです。泊った場所の人々との愉快な交流を重ねています。各地で歓迎もされています。
怖いのは日本の海上保安庁の巡視艇です。遭難すると巡視艇が救援しなければなりません。そこで巡視艇は彼を指導するのです。衛星電話を使い、GPSの位置確認の結果を報告しなさいと強制するのです。日本の領海をでると縄文時代のように自由な海が広がっているのです。誰も衛星電話を使いなさいと強制しません。
しかし台風で荒れ狂う海の怖さは凄いものです。名も無い島で何日も台風が過ぎるのを待ちます。荒れる海の恐さは体験した人でなければ分からないのです。たまたま私はヨットで荒れる海を体験した事があるので、その恐怖が少し分かります。
そんな時は写真なんか撮る余裕なんかありません。八幡さんのHPに荒れた海の写真が殆ど無いのはそのせいと思います。
以下に南太平洋での楽しそうな写真をお送りします。是非、皆様も八幡暁さんの
~偉大なる海人達を訪ねて 一万キロの人力航海~
http://www.churanesia.jp/gsp/ をご覧下さい。縄文時代の人々が海を渡るときの様子が想像出来ます。古代の旅のロマンです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
・上の図で赤線がすでに航海した部分で、緑がこれから航海する予定のところです。
・
・