後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

現代の縄文人、八幡暁の世界・・・カヤックでの太平洋の旅

2012年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、掲載した、八丈島へ丸木舟で渡った縄文時代の人々という記事で八丈島から御蔵島、そして三宅島、鎌倉へとカヤックで渡った八幡暁さんをご紹介しました。

八丈島に縄文人が渡って行って数多くの石器や縄文土器を遺しています。その縄文人は何処から八丈島へ行ったのでしょうか?

丸木舟で本州から八丈島へ渡れるものでしょうか?疑問に思っていました。その私の疑問を解消してくれたのが八幡暁さんのカヤックによる単独航海でした。

その後、彼のホームページを見ました。なんと西太平洋をカヤックで縦断する旅を何年間も続けています。危険な冒険の独り旅です。

何故、彼はそんな危険な冒険に挑戦しているのでしょうか?

そこでメールを送り、GPSや衛星電話を使っているか聞いてみました。海図や天気図を使っているか聞いてみました。

彼の答えで何故太平洋の一人旅をしているか分かりました。

縄文時代に存在していない道具はなるべく使わないで外洋を渡ることにしているようです。遠方の天気は波と潮流を見て判断します。近くの天気は空の雲の動きで判断します。1日の航海距離は50kmくらいと無理はしません。島々に上陸し、素潜りで魚貝をとって自給生活を続けます。縄文時代にはアクアラングなど無かったのです。

彼は西太平洋の島々へ古代の人間がどのようにして渡って行ったか自分で証明したかったようです。古代の人間の知恵と体力を再現したかったようです。

しかし彼の冒険は学問的な研究ではありません。まなじりを決した悲壮な冒険旅行でもありません。楽しい海旅なのです。泊った場所の人々との愉快な交流を重ねています。各地で歓迎もされています。

怖いのは日本の海上保安庁の巡視艇です。遭難すると巡視艇が救援しなければなりません。そこで巡視艇は彼を指導するのです。衛星電話を使い、GPSの位置確認の結果を報告しなさいと強制するのです。日本の領海をでると縄文時代のように自由な海が広がっているのです。誰も衛星電話を使いなさいと強制しません。

しかし台風で荒れ狂う海の怖さは凄いものです。名も無い島で何日も台風が過ぎるのを待ちます。荒れる海の恐さは体験した人でなければ分からないのです。たまたま私はヨットで荒れる海を体験した事があるので、その恐怖が少し分かります。

そんな時は写真なんか撮る余裕なんかありません。八幡さんのHPに荒れた海の写真が殆ど無いのはそのせいと思います。

以下に南太平洋での楽しそうな写真をお送りします。是非、皆様も八幡暁さんの

~偉大なる海人達を訪ねて 一万キロの人力航海~

http://www.churanesia.jp/gsp/ をご覧下さい。縄文時代の人々が海を渡るときの様子が想像出来ます。古代の旅のロマンです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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上の図で赤線がすでに航海した部分で、緑がこれから航海する予定のところです。

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欧米の政治や資本主義はキリスト教とは全く関係が無いのです!

2012年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

欧米の政治や資本主義経済体制を理解する為にはキリスト教を深く理解しなければならないという主張がしばしば言われます。

しかし人間の政治的な権力慾や金銭慾は、人間が宗教を求める心よりも強い、根源的な欲望なのです。

政治体制は多神教だったギリシャの政治体制を真似た民主主義的体制です。

資本主義はイギリスの産業革命以後、急速に発展してきた一つの経済活動に関する考えかたです。

いずれもキリスト教とは無関係なのです。

それなのに「キリスト教が欧米の社会を作った。だから日本人はキリスト教をもっと詳細に知らなければいけない」と説教する人が多いのです。

しかしこの言い方は雑過ぎます。間違っていると言って過言ではありません。

ヨーロッパではキリスト教徒同士が1000万人、2000万人と殺し合った第一次世界大戦と第二次世界大戦が起きました。「汝の敵を愛しなさい」とか「人を殺してはいけない」と教えたイエス様の教えに対して違反したのです。その上、ロシア正教の国では神を否定し、教会を爆破した共産革命さえ起きたのです。キリスト教に対する反逆です。

ですからキリスト教をいくら詳細に知っても欧米人の行動は理解出来ません。彼等と良い国際関係を結ぶためにはキリスト教よりも武力や経済力のバランスを精密に考えた方が良いのです。キリスト教をいくら詳細に勉強しても、国際関係に関係ないのです。

それではキリスト教を知ると何か良いことがあるのでしょうか?

沢山あります。欧米人がイエス様に背いた時の心の痛みや悲しみが分かるのです。彼らの苦悩が分かるのです。

その上、彼らが芸術を観賞している時の彼等の感じ方が理解出来るのです。彼等はイエス様や神様や天使達のことを連想しながら観賞している時が多いのです。

赤十字に代表される博愛精神の内容が少し理解できるのです。

戦争で彼等は何故捕虜を虐待しないかが分かるのです。シベリア抑留はロシアが共産党独裁でなくロシア正教だったら起きなかったかも知れません。

このように考えるとキリスト教を理解すると欧米人を人間として受け入れる事が出来るのです。彼等の心の悲しみや苦悩が分かれば親しみを感じます。

それは我々がお釈迦様の教えに反したことをして苦しんだり悲しむのと非常に似ているのです。人間としての共通な性格を知ることが出来るのです。

このように外国の宗教を知ることが大変重要なのです。個人の心のあり方にとって大変重要なのです。

次回は中国人の仏教と道教について考えて行きたいと思います。

少し込みいった話でしたので下に宮城県の栗駒岳の麓にある一迫ユリ園の写真をお送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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ジャンさんの美しいイラスト集をご紹介いたします

2012年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

ネットの上で知り合って、勇気づけられるようなコメントをたくさん下さる方が居ます。

しかし、忙しくなってネット世界から消える方々も居ます。

そんな方々のお一人にジャンさん(あるいはジャン^ . ゞさんとも言います)という方がいらっしゃいます。

先日久しぶりにコメントを下さいまして、最近のイラスト作品を一点お送り下さいました。その最新作と、このブログでご紹介した5点の作品とを一挙に以下にご紹介いたします。

お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。

イラストはいろいろな事情で止められたそうでが、今までのイラストは、Ritz.Fantasy   Art museum:https://picasaweb.google.com/111763188755796635581/ に纏めて公開されています。それも合わせてお楽しみ下さい。

なお、彼女の略歴をご紹介いたします。  三越百貨店商品開発嘱託デザイナー、小学館、 学習研究社、集英社等、エディトリアルデザイン、三越系列の清水、竹中建設で建築の壁画、NHK,TVのお昼のプレゼントのコメント担当等...をなさって来ました。
現在は福祉団体役員で、いろいろとお忙しいので、イラストの活動はしてません。 家族はご主人と御嬢様がいらっしゃるそうです。

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八丈島へ丸木舟で渡った縄文時代の人々

2012年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

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2009年の1月の末頃に八丈島を訪問しました。島の歴史民俗資料館で地域歴史専門家の細谷昇司氏と知り合い、いろいろな事を教えて頂きました。

細谷さんの説明を聞きながら資料館を各室を順に見て行きました。

ある部屋に、約6000年前の縄文時代に島のあちこちに住んでいた人々の遺骨や石器・土器が展示してあります。

石斧の石は海岸にあるような石ですが、土器に使われた粘土は火山で出来たばかりの島には有る筈がありません。従って縄文人は土器を持って太平洋を渡って本州から来たのです。

しかし本当に丸木舟しか無い時代に縄文人は三宅島から御蔵島、そして八丈島へと渡って来れたのでしょうか?

江戸時代に幕府所有の大型帆船でも八丈島へわたるのに1ケ月以上も海上をさまよったのです。三宅島から大島へ逆走したり難破しそうになったりしたのです。

疑問に思っていましたら、細谷昇司氏がある実験のことを教えてくれました。

2008年5月に八丈島から御蔵島までの80kmを八幡さんという青年が単身でシーカヤックで渡ったそうで す。縄文時代に丸木舟で太平洋を渡れるか否かという実験です。

080530bouken1 八丈島にある南海タイムスという新聞の2008年5月30日の記事にその実験の成功が書いてあります。

上の写真と以下の文章はその南海タイムスから転載いたしました。

沖縄県石垣市、八幡暁さん(33)が28日早朝4時に神奈川県の鎌倉へ向けて八丈島の永郷海岸をシーカヤックで出発した。八幡さんは最初の寄港地・御蔵島までの約80キロを、20時間で動力を使わず2本の腕で漕ぎ渡る。
黒潮の影響を受ける八丈島・三宅島間は潮流が速く、これまでにシーカヤックでの航海例がないルートだ。

八幡さんはオーストラリアから日本までの総距離80009000キロをシーカヤックで漕ぎきる計画を2002年から実行中だ。「このアジア回りは世界で一番島が多く、世界のカヤッカーが航海していないルート」という。これまでにオーストラリアとニューギニアの半分を縦断。昨年は、フィリピンと台湾の間にあるバシー海峡の横断に成功している。
「シーカヤックはサーフィンと同じで、大きな波を受け流したり、乗っかったりする技術がなければ、波に転がされてしまう。海で気象現象を予測し、起こってしまうリスクを回避するのも楽しみのうち。だから航海は単独無伴走」という。

八丈島は絶海の孤島と言いますが御蔵島から肉眼で見えるそうです。縄文時代人は洋上で島が見えれば丸木舟で渡って行ったのです。天気の安定する季節を選んで、丸木舟を現在のシーカヤックのように漕いで行ったのでしょう。小さな帆も上げて多少は風の助けを使ったとも想像できます。

操船の難しい大型帆船より自分の両手で漕ぐ丸木舟(カヌー)の方が確実に外洋を渡れたのでしょう。その時、八幡さんの言う、「シーカヤックはサーフィンと同じで、大きな波を受け流したり、乗っかったりする技術がなければ、波に転がされてしまう。」という技術が重要になるのでしょう。

尚、細谷昇司さんは「ながれ」というハンドルネームでブログ:http://blog.goo.ne.jp/zuninrunin/ を書いています。(終わり)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

なお、八幡 暁さんの外洋横断の過去の記録は、http://www.churanesia.jp/gsp/ に御座います

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温室の中のランの花の写真をお楽しみ下さい

2012年02月12日 | 写真

今日の午後は青空のもとで狭山公園の広い芝生とその上にある雑木林の小道を散歩したり走ったりして来ました。貯水池の水も青々としていました。カメラを忘れてしまったので、その清々しい風景をお伝え出来ません。

その代わりに先週行った神代植物公園の温室の中のランの花々の写真をお送りいたします。尚、最後の写真は温室の前に立っている巨大なカリオンです。鐘の音も音楽的に良く出来ています。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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大津波に襲われた山浦医院と人々とのきずな

2012年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの1月23日の記事で山浦さんのことをご紹介しました。その記事は、明治維新後の翻訳文化の根本的な間違い・・・山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳ーを絶賛する!です。

その山浦さんの病院は大船渡市にあり、あの大津波に襲われました。1階は泥水と瓦礫の山で、2階だけがかろうじて浸水しませんでした。大浦さんも奥様も逃げ遅れて病院にいましたが無事でした。

大津波の後の大浦さんの活動の様子を、NHK教育テレビが昨日の午後1時から2時まで放映しました。(昨年5月に放映したものの再放送です)ご覧にならなかった方々のためにその画面を私のカメラで写しました。以下に示します。上に示した「明治維新後の翻訳文化の・・・・・」という記事をクリックしてお読み頂いた後に下の写真をご覧頂ければ大変嬉しく思います。

さて以下に、私は何を書くべきでしょうか?くどくど書くのは止めます。

津波を生き残った山浦さんの決心だけをまず書きます。

山浦さんは、「津波に襲われて、家も財産もなくなってしまった全ての人々の苦しみは、この俺が引き受けた!」というような意味のことを語っています。勿論、こんなに詳しく喋っていません。「津波に襲われて・・・」は私が勝手に書いた文章です。

山浦さんは、「ようがす。俺がひぎうげだ」と言うような短い一行です。

「俺が引き受けた」という言葉の意味は深長です。イエス様が俺を使って引き受けてくれるという意味なのかも知れません。

山浦さんは泥だらけの1階を急いで清掃にし、部屋の間仕切りを取りはらって、大きな部屋にして避難してきた患者や近所の人々をみんな受け入れたのです。そして泥水に浸かった薬棚から汚れていなかった薬を探し出し、早速、奥さんとともに診察活動を始めたのです。足りないものは製薬会社から取り寄せ、無償であげました。

近所の電気屋さんがジーゼル発電機を探して来て設置してくれました。水道屋さんは簡易水道をつけてくれました。

急造した大きな部屋に避難した患者や近所の人が、また立派だったのです。お互いに助け合い、山浦さんを勇気づけ、支援したのです。山浦さんはテレビでその患者さん達を誉めたたえています。感謝しています。

私が見ると、山浦さんも人々を大切にしたのです。自分の親のように親切にしてあげたのです。それこそ豊かで温かい人間同士のきずななのです。

このテレビではっきり分かったのですが、彼はカトリックの信者です。しかし私は確信します。彼は患者に絶対にキリスト教の宣伝はしなかったと確信しています。その代わり、患者を大切にし、患者へ気仙地方の方言で話しかけ、尽くしたのです。

大津波の後、大部屋へ収容された人は絵に描いてあります。その絵は下の写真に写っています。彼の手の上にあります。ぼんやりしていますが50人前後の人が見えます。

しかしこの中にカトリックの信者は1人か2人しかいなかったと私は想像しています。カトリック大船渡教会のミサの写真を見ると数人の信者しか参列していません。その事から想像すると山浦さんの患者にはカトリック信者がほとんどいなかったと言っても大きな間違いがありません。

山浦さん仏教徒だろうが無宗教の人だろうが分け隔てなく大切にしたのです。診察と治療に尽くしたのです。

これこそが本物のクリスチャンなのです。

今日はミサの間、山浦さんの活動をイエス様が助けて下さるようにお祈りしました。神様が助けて下さるようにお祈りしました。精霊が助けて下さるようにお祈りしました。(終り)

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・手の上にある絵は彼が描いた大部屋に避難している患者の様子です。彼はテレビにこの患者達の態度が立派だったと褒め称えたのです。そして感謝するのです。

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上の左の写真はケセン語の訳された福音書です。大船渡市にあるイー・ピックス出版という会社から出版され、前のローマ法王、ヨハネ・パウロII世に拝謁し、献本しました。右の写真は診察中の山浦さんです。

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・左の写真は高台にあるカトリック大船渡教会です。津波はこの高台の足元の街を完全に流し去ったのです。右はミサの風景です。数人の信者の前で山浦さんが福音書をケセン語で朗読しています。ケセン語は流れるように、美しい響きを持っていることが分かりました。

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上の写真は山浦さんの住んで居た大船渡市の惨状を示しています。桜が咲いていますから大津波の30日位後に撮った写真と想像できます。瓦礫の山はまだ手つかずの状態です。

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・大津波の直後の山浦さんの病院の周囲の様子です。

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上の右の写真は高台にあるカトリック大船渡教会の麓の街は完全に瓦礫の原になったことを示しています。

大津波から間もなく1年がたとうとしています。東北地方の復興は遅々として進んでいません。東北地方の復興を根気よく支援し続けるようにとお祈り申し上げます。(終り)


パイプオルガンと声楽を聞いてきました

2012年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

東京都下の府中市にある府中の森芸術劇場・ウイーンホールで毎月開催される「プロムナードコンサート」を聴いてきました。

今日の演目は永見亜矢子さんのパイプオルガン、増田のり子さんのソプラノ、そして土屋広次郎さんのバリトンでした。

皆さん東京芸術大学を優秀な成績で卒業し、本場のイタリー、フランス、ドイツ、オーストリーなどの数年以上滞在し、クラシック音楽の修業を終えた方々です。日本の第一人者としてオルガン独奏や歌劇のソリストとして大活躍している3人です。

オルガンと言えばバッハの「プレリュードとフーガハ長調」です。それを最初に演奏し、その後は声楽で、ジョルダーニの「いとしい女性よ」と続きました。

パイプオルガンのソロとソプラノのソロ、そしてバリトンのソロと交互に演奏され、聴衆の感動を次第に盛り上げて行きます。メリー・ウイドウ・ワルツの二重唱、そして最後は世界的ヒットになった「タイム・ト・セイ・グッバイ」をソプラノとバリトンにオルガンの力強い合奏がついたフィナーレでした。盛大な拍手が続き、3人が嬉しそう挨拶をしていました。

下の写真の左から土屋広次郎さん、永見亜矢子さん、増田のり子さんです。

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なお詳しくは下記のHPに情報があります。

土屋広次郎:

http://u-t-o.jp/store.htmlhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%BA%83%E6%AC%A1%E9%83%8E 

増田のり子:http://www.to-on.com/concertmanagement/artists/post_29/

永見亜矢子:

http://spysee.jp/%E6%B0%B8%E8%A6%8B%E4%BA%9C%E7%9F%A2%E5%AD%90/1165062/


橋爪大三郎・大澤真幸、共著「ふしぎなキリスト教」を批判する

2012年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

この本は2011年5月20日に出版された「講談社現代新書」です。中央公論新社の「新書大賞2012」を受賞した349ページの本です。例によって読書好き家内が買って、面白いからと言って渡してくれた本です。

読んでみて、さっぱり面白くありません。

社会学者が「キリスト教がヨーロッパ社会を作った」という荒っぽい仮定を立てます。よく聞く凡庸な仮定です。

だから日本人はキリスト教のことをもっと詳しく知らなければいけませんと言います。

大澤さんが「まえがき」で書いています。キリスト教のことを「わかっていない度合い」でランキングをつければ日本がトップになると主張しています。

そしてキリスト教の歴史的な変化を、ああでもない、こうでもないと詳しく教えてくれます。一言で言えば、「キリスト教の変化の過程を社会学的に詳細に説明した本」なのです。

要するに従来から沢山ある「教養としてのキリスト教」の社会学版なのです。

私、個人は最近このブログで紹介した山浦さんのケセン語訳「イエスの言葉」の方を圧倒的に面白く感じました。この本には山浦さんの独創的な発想が沢山書いてあります。

大澤さんと橋爪さんの本には何処が自分達の独創的な説なのか、何処が西洋の学者の説なのか明快に書いていません。その反対に西洋の国々の社会の変遷の歴史とキリスト教の教義や教会組織の変化を詳細に対話形式で描いています。その点では大変優れた本です。

この類の本を読んで面白く感じる人と退屈に感じる人を分けると以下のようになります。

(1)キリスト教の教義と教会組織が国々と時代によってどのように変化してきたか詳細に知りたい人にとっては面白く読める本です。

対話形式で書いてあり、分かり易く、論旨は明快です。とくにギリシャ正教、ロシア正教、(そして日本正教)にかんする記述はキリスト教徒の私にとっても大変有り難い説明でした。

この本を読んで感動する人は知識を広げることに生きがいを感じる人々です。(家内がその例ですが)。

(2)退屈に感じる人は著者の新しい、独創的な考えが沢山書いてあると想像して読み進めて行く人々です。知識は最低限にしてもらいたい人々です。

「まえがき」で大澤さんが日本人はキリスト教のことを一番分かっていないと断言しています。しかし「分かっていない」という言葉の意味を定義していません。

知識として理解しているなら日本人はアジアで一番です。洗礼を受けた人の数は最低です。知識として分かるということを「洗礼者の数」と混同しているのです。

大澤さんと橋爪さんは、何故日本人はキリスト教をよく知っているのに洗礼を受けないのかという問題を無視しています。この問題を社会学的に書いてくださればもっと面白い本になったのです。

金儲けがしたい。戦争をして多民族を征服したい。この欲望は根源的な動機です。その色々なあらわれ方によって政治体制や社会体制が出来上がって行くのが自然です。宗教の影響も少しはあります。それを過大評価してプロテスタント的信仰をが「資本主義」の基盤になっていると強調しています。それでは共産主義の中国で、何故驚異的な経済成長が続いているのでしょうか?その事実は無視しています。

プロテスタント的信仰が「資本主義」の基盤になっているという理論は真実の半分も説明していません。しかしその論理の組み方が面白いのです。学問的に面白いのです。独創的だから多くの学者もその説を引用するのです。

さてこの本が何故、中央公論新社の「新書大賞2012」を受賞したのでしょうか?審査員の過半数が多くの知識が書いてある本は良い本と信じているからです。そしてその詳細を極める知識を整理し、体系的に分かりやすく書いてある本は良い本だと信じています。独創的な見解や説明が書いていなくても知識の多い方が偉いのです。日本の学問の風景を映し出しているのです。大学受験で知識の暗記を重視するのと同じ文化なのです。それで幸せを感じる人々は絶賛する本です。

その観点からみると優れた本です。内容の濃い本です。しかし私は尊敬できない本です。

それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

なにか込み入った内容の書評でしたので、頭を休めて頂くために先日撮ってきた佐島港ののどかな風景をお送りいたします。

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時・空写真館をご紹介いたします

2012年02月10日 | うんちく・小ネタ

趣味人倶楽部というSNSのDirectorヒロというお名前の友人が、 写真館~久保博文http://www.toki-sora.com/

 という感動的な写真集を公開なさっています。

全国の美しい風景や、動物、植物などの鮮明な写真が分類、整理され公開されています。

構図のとりかたが良く、色調も水彩画風に爽やかです。

自分が写真を撮る時の良いお手本になるので、四季折々、何度も見ています。随分前にもこの「時・空写真館」のことはご紹介致しましたが、時がたったので再度ご紹介いたします。

そしてDirectorヒロさんは、「謎の小説家 ・未来狂 冗談の部屋http://www.geocities.jp/jiyoudan3_55/index.html という歴史研究書や小説集のブログも精力的に書いていらっしゃいます。

我々が学校で習う日本の歴史は、明治時代の天皇制から見て都合の良い歴史なのです。万世一系の天皇制に少しでも疑問を持たせるような記述は全て削除されています。そのような観点から論理的につじつまの合わない事件や記述を取り上げて、検証し、別の解釈を提示しています。

提示された諸説が全て正しいという証明は困難ですが、少なくと正しい可能性は大きいのです。

そして歴史というものがどんなに権力者によって歪曲されてきたかという事実を説明しています。

日本という国をもっと、もっと住み良い国、幸福度の高い国にするためにはこのような歴史観が非常に重要になると思います。

是非、謎の小説家 ・未来狂 冗談の部屋もご覧下さい。

下に北海道の美瑛の丘の雪景色の写真を示します。「時・空写真館」から転載させて頂きました。(終わり)

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矛盾と偽善にいろどられた欧米人と上手に付き合う方法(2)共産主義はキリスト教への最大の反逆

2012年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

19世紀のカール・マルクスによって考えだされた共産主義は神を否定し、キリスト教へ反逆しました。1900年以上の欧米のキリストと教の歴史の中でこのような全面的な反逆は皆無でした。宗教改革や宗派同士の戦争はいくつもありましたが、キリスト教を完全に否定し、革命を起こし、教会を破壊すべしいう思想は皆無だったのです。

そして1917年にはロシア革命が起き、共産党独裁のもとでソビエト連邦が1991年まで74年間続いたのです。ロシアでは聖職者の処刑と、教会の爆破が起きたのです。ロシア正教はカトリックなどと同じような旧教の一派で、政治的権力へ大きな影響を与えていたのです。

Karl_marx 左の写真はカール・マルクスです。生家はドイツのモーゼル川の上流のトリアー市にあり、昔、私も見に行ったことがあります。その地方は良質のブドウ酒で有名な地方です。夜はモーゼルワインを飲みながら一緒に行ったドイツ人とマルクスのことを少しだけ話しました。マルクスの話を始めると、彼は明らかに嫌そうな顔をします。その経験以来、欧米人とマルクスの話はしないほうが良いと悟りました。

矛盾と偽善にいろどられた欧米人と上手に付き合うためには共産主義の話題は避けたほうが良いのです。

カール・マルクスの話はしないのが鉄則です。

しかし20世紀の人類の文化へ対して共産主義は甚大な影響を与えたのも事実です。

19世紀に起きた産業革命と資本主義の拡大はヨーロッパに従来なかった貧困層を生んだのです。その貧困層を救うにはキリスト教では無力だと考える人々が居たのです。

貧困層を救うためには革命を起こして、貧困な労働者や農民が政権を取り、財産の共有と富の平等な分配をすべきという共産主義が主張されたのです。貧困層を生んだ最大の原因は資本家や政治権力に癒着したキリスト教を完全に破壊するべしという思想でした。

20世紀は大戦争の時代だったのです。理由は、共産主義へ対する恐怖心がその一つとも考えられます。ドイツ、フランス、イギリス、アメリカは共産党独裁のソ連を常に恐れていました。

我々日本人は共産主義をどの様に理解すべきでしょうか?私にとって頭の痛い問題です。

それがキリスト教に入り、聖書を読み、ローマ法王傘下の教会組織に入って見ると共産主義が別の角度から見えてきました。

共産主義はキリスト教の鬼っ子だと言われる理由が分かったのです。キリスト教の教えを一々裏返しにして、悪魔的に言いかえれば共産主義の文章になるのです。「人を殺してはいけない」という教えは、「革命は銃口から始まる(有産階級はみな殺せ)」となるのです。

共産主義は中国や、ベトナムや、北朝鮮にまだ存続しています。21世紀になっても生き残っているのです。日本人にとっても、まだまだ複雑な問題が横たわっています。

さて話題を変えて、1989年のベルリンの壁の崩壊と1991年のソビエト連邦の解散は欧米人はどのような感情で迎えたのでしょうか?

アメリカとソ連との間の冷戦にアメリカが勝利をおさめたと喜んだアメリカ人もいました。しかし全世界にいる何億人のキリスト教信者はホッと胸をなで下ろしたのです。イエス様が悪魔に対して勝利をおさめたという深い安堵感です。

イエス様は当時ローマ軍に占領されていたイスラエルの独立のための革命を起こそうとはしませんでした。革命は起こしてはいけない。この世のことより神の国のことを考えなさいと人々を諭したのです。

共産主義革命が世界のあちこちで起きた20世紀は人類にとって悲劇の世紀でした。単に大戦争が起き、何千万人の人が死んだことだけではなかったのです。キリスト教文化の崩壊が起きたのです。欧米人の深い悲しみです。

そのことを理解すれば、欧米人へ少し同情を感じます。同情を感じたら、そっとしてあげましょう。話題にして議論すべき問題ではないのです。傷口に塩を塗ってはいけません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

下はロシア赤軍によって爆破されたロシア正教の教会の写真です。

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遅い春・・・福寿草と蝋梅だけが咲いていました・・・梅は蕾が固い

2012年02月09日 | 写真

今朝は抜けるような青空です。神代植物公園の梅林に1輪や2輪の花が咲いていると確信して写真を撮りに行きました。ところが全ての蕾が固く閉まっていて、1輪も咲いていません。こんなに春が遅い年は珍しいことです。

しかしやっと福寿草が1、2輪咲いているのを見つけました。

そして蝋梅も咲いています。蝋梅はもう20日前から咲いています。梅がさっぱり咲かないので蝋梅の花だけが頼りです。蝋梅の花がこんなに美しく思えたのは今年が初めてです。下に写真をお送りいたします。

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白い雲に誘われて、どんどん歩いて行きました。

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広いパンパスグラスの芝生に出ました。この広場の向こう側の籔の中を注意深く見ましたら福寿草が1、2輪咲いているのを見つけました。

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福寿草の写真を撮ってから公園の東端にある梅林めがけて歩いて行きました。

数十本の梅の木々は全然咲いて居ません。蕾も固く閉まっていて咲き始めるのは随分と先のことの様子です。梅林の傍の蝋梅だけが満開です。

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蝋梅は枝が太くて、花の写真を撮ろうとすると邪魔になります。そこでクローズアップで花を撮ってみました。

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青空も美しく撮れました。もう一枚お送り致します。

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蝋梅の名前どうり、いかにも蝋細工で作ったような花の様子がお分かりと存じます。

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帰りに噴水の池の向こう側にある温室に寄りました。例によってランとベコニアの花の写真をたくさん撮りました。その写真はいずれ後日にお送りいたします。

神代植物公園をご自身で散歩していることをご想像しながら、写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)


矛盾と偽善にいろどられた欧米人と上手に付き合う方法(1)キリスト教へ矛盾する人々

2012年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新以来、日本人は本気で欧米人と付き合い、日本の近代化に努力して来ました。西洋の政治体制や教育制度を輸入して来ました。西洋の藝術も学問も急いて輸入して来ました。

日本の歴史の上でこんなに外国と深く、広範囲に交流し、本気でその文化を吸収したことはありません。

欧米人とどのように付き合うか?それはあなた個人、個人にとっても生涯の大きな問題なのです。

「私は欧米人とは付き合って居ないから関係ない」と思わないで下さい。あなたが毎日食べる食品もブランドものの装身具も多くは欧米から輸入されています。

無意識のうちにあなたは欧米文化の中に取り囲まれ、ドップリと漬かって生きているのです。

私も「もの心」のついた頃から欧米人をどのように理解し、どのように付き合うべきか頭を悩ませて来ました。アメリカへもドイツへも留学しました。キリスト教の洗礼も受けました。しかし私の悩みは解決するどころか、ますます深くなりました。

ところが、70歳を過ぎて、全ての仕事を止めてから、急に霧が晴れるように悩みが解消したのです。私の欧米文化の理解に大転換が起きたのです。

大転換のカギは欧米文化のなかにある矛盾と偽善を大切に思い、それを明らかにする事にありました。そしてその矛盾と偽善を許してあげれば良いのです。そうすると欧米文化は明快に見えて来るのです。そうです。許すことが大転換のカギだったのです。

今日から何回かに分けて実例を用いて説明して行きたいとおもいます。

そこで今日はミレーの「落ち穂拾い」とアメリカ軍特殊部隊によるビン・ラーディンの奇襲殺害の矛盾について説明します。

結論を先に書いてしまえば、「落ち穂拾い」はキリストの教えに矛盾していませんが、ビン・ラーディンの奇襲殺害は矛盾しているのです。

矛盾しないことも矛盾することを平気でやってのけるのが欧米人です。

そんな欧米人をあなたは許せますか?

下の絵は「落ち穂拾い」の絵とイラン沖に展開している原子力空母と同型空母の写真です。ビン・ラーディンの死体はこのような空母から水葬にされたのです。

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下はアメリカ海軍とフランス海軍の原子力空母の写真です。1960年完成のエンタープライズ号とその後に出来たシャルル・ドゴール号です。

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さて、落ち穂拾いの絵は貧しい小作人が落ち穂を拾ってパンにする生活を描いたものです。富める自作農が貧しい人々を助けるために意図的に麦の落ち穂を、収穫後の麦畑に残しておくという美風を描いた絵なのです。この絵を見る西洋人は「汝の隣人を愛せ」というキリストの言葉を考えながら観賞します。この風習はヨーロッパ文化が自慢しても良い美しい風習なのです。

ところがビン・ラーディンの奇襲殺害はキリストの「敵を愛せよ。仇討はいけない。7の70倍の回数を許せ」という教えに完全に矛盾した行為なのです。

こういうことを誇らしげに実行するのが欧米人なのです。

私がビン・ラーディンの奇襲殺害のニュースを聞いたとき深い、深い悲しみに襲われました。「7の70倍の回数を許せ」という教えを蹂躙したのです。それをオバマ大統領が誇らしげに発表したのです。しかし、しばらくすると私はこれで良かったと思うようになりました。2001年9月11日に貿易センタービルで死んだ6000人余の遺族の心情を思えば、これで良かったと思いました。

これこそが今日、強調したい実例なのです。私自身が矛盾した考えを持っているのです。あなたも持っています。その事に気がつけば欧米人を身近に感じることが出来ます。深い悲しみを持ちながら彼等を眺めることが出来ます。少しだけ同情したくなります。

これが欧米文化の理解のカギなのです。私はそのように信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


日野市、黒川流水公園の湧水のある風景をお楽しみ下さい

2012年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は三日ぶりに雨が止みました。午後から車を駆って日野市の黒川流水公園へ行きました。JR中央線の豊田駅の北に広がる台地の裾に清水が豊かに湧きだしています。日野市はその辺一帯の雑木林を保全して、「黒川流水公園」としました。

台地の下なので気がつかないで通り過ぎる人が多くて、意外にあまり知られていません。隠れた良い所です。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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