後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

6月の花、スイレンとタチアオイの花々

2014年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

最近は原子力発電を再開すべきか否かという重い問題について文章を書き続けました。

 

再開賛成派の根拠となる理由と反対派のいろいろな理由を並べ、読者の皆様がご自分で判断できるように描き出したつもりです。そして昨日は福井地方裁判所民事部が下した大飯原発運転差止の判決文まで詳細に示しました。裁判官たちの高尚な考えに感動もしましたが、あまりにも現実離れをした文章にいささか辟易もしています。

結論を言えば、賛成派と反対派のいろいろな理由に、あまりにも客観性が無く、賛成や反対を決める根拠としては薄弱過ぎると感じました。

こんな状態なので私は賛成とも反対とも決めかねています。しかし強いて言えば、原子力発電は好きではありません。しかしどちらかと言うと、再開に賛成しています。

多くの人々は原子力発電が好きか嫌いかという感情でどちらかを支持しているようです。

簡単に言えば多くの人々は原発が好きではありませんが、現実問題としてすぐに完全撤廃することに不安を感じているのです。

原発問題は合理的な議論でなく感情的な議論で推移しています。それは仕方のないことです。人間の限界です。

そこで今日は込み入った話はひとまず休んで過ぎゆく6月の花を二つご紹介します。スイレンとタチアオイの花です。

どちらも地味な花ですが、何とも言えない風情があります。原産地は知りませんがいかにも和風な花のように見えます。このような花を見ていると心が静かになっていやされます。

下のスイレンの花の写真は6月17日に水元公園で撮りました。その下のタチアオイの花の写真は昨日、小金井公園で撮った写真です。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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原発再稼働は日本人の人格権をおかす可能性があるので差し止めるという判決を考えよう!

2014年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

福井地方裁判所民事第2部は5月22日に大飯原発運転差止の判決を出しました。

以下にその解説記事を「まさのあつこ」さんのブログから転載します。

URLは、http://seisaku-essay.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-2d1d.htmlです。

以下をお読みになっていろいろが考えが湧いて来ると思います。

私自身は原発再稼働に賛成する確たる根拠も理解出来ませんし、逆に反対すべき明確な根拠も持てません。

日本には裁判所の民事事件の判決を無視する文化もありますから、この判決で全てが決まらないと想像できます。しかしこの判決は考えるべき新しい「人格権」の概念を提示しているので深く考えるべきと思い、以下に転載いたします。

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「大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を読む」まさのあつこ著

大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を読んだ。
http://www.news-pj.net/diary/1001

四大公害病」を書いて以来初めて、美しい判決文に接することができて心が震えた。判決に忠実に、箇条書きで要約した(「 」内は要旨のままの引用。太字は筆者。忙しい方は太字だけでもお読み下さい。)。

判決(要旨)は、

 原子力発電を「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業」と言い表して、「はじめに」で、この訴訟における裁判官としての考え方を明確に明らかにした。

○この事業に関わる組織には高度の信頼性が求められる。
人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない
○人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる。

 次に、「福島原発事故について」として、原告と認める範囲を導き出している。

○原子力委員会委員長(事故当時)が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討した。
○チェルノブイリ事故によって、ウクライナ共和国とベラルーシ共和国が、今なお広範囲にわたって避難区域を定めており、避難区域は最小限のもので足りるとする見解は疑問である。
○250キロメートルという数字が過大であると判断することはできない。

 次に、原子力発電所に求められるべき安全性については、二段階で導き出している。

(1)安全性と信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない
 大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。
 その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。

 そして、この裁判の肝はここだ。

(2)「上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。」

 つまり、「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業」は、原子炉規制法や、その基準やそれに基づく電力会社の自主判断、さらには原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否ではなく、裁判所が憲法に基づいて判断をするのであると、述べている。

 このように裁判所としての考え方をこれ以上になく、厳格に明らかにした上で、

○「原子力発電所の特性」とは「原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行く」ものだと判示。

そして、被告の主張に沿って、一つひとつ判断を加えていく。

○大飯原発には「冷却機能の維持」に欠陥がある。なぜなら「1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認している」

○大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。

○「閉じ込めるという構造」については、「核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は」「使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。」

 「以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」

一方で、被告(関西電力)の主張については

「被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

 と、経済を国民の命の上に置こうとした被告を激しく断罪している。

 そして結論、

「以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。」

福井地方裁判所民事第2部
 裁判長裁判官 樋口英明
    裁判官 石田明彦
    裁判官 三宅由子

これら3名の裁判官による判決は、国民がこの3年間に心の中で思っていた生存のための本能的な権利意識とでもいうべきものを代弁してくれたと思う。ただただ、この訴訟を提起した原告の方、弁護士の方、裁判官に感謝したい。・・・・以下省略


今日のミサ、洗礼式、そして初聖体の写真です

2014年06月22日 | 写真

現在のローマ法王のフランシスコ教皇は教会を開放しなさいと強くおっしゃっています。

どんな宗教でも儀式は秘密にしておきたいという雰囲気があります。それは信者だけの儀式にしたいという感情なのでしょう。

その気持ちも分かるので私はミサ中の写真の掲載には躊躇を感じます。しかしキリスト教になじみの少ない日本では公開した方が良いとも思えます。その方が皆様になじみを感じてもらえると思います。

そこで以下に今日のミサの写真をお送り致します。

一番上の写真はカトリック小金井教会へ時々来て、ミサを上げてくれるイエズス会の住田省吾神父さまです。イエズス会は日本へキリスト教を伝承したザビエルがイグナチヨ・ロヨラと共に約500年前に創設したカトリックの修道会です。現在、世界中でイエズス会員が活躍しています。東京の上智大学もイエズス会の運営している大学です。

二番目の写真はある信者が洗礼を受けている様子を写した写真です。デン主任司祭さまから額にビンの水を注いでもらっている様子を示しています。

カトリックの洗礼はミサの度に随時行われています。洗礼を希望し、教理を勉強するとこのように簡単な洗礼式を受け、洗礼名を貰います。今日の受洗者は一人だけでした。

三番目の写真は以前に洗礼を受けた3人の子供がディン主任司祭から、初めて聖なるパンを戴く、初聖体の儀式をしている様子です。

それはそれとして、今日のミサ中に、

皆様のご健康と平和をお祈りしてまいりました。後藤和弘(藤山杜人)

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昨日、世界遺産に決まった富岡製糸工場とカトリック富岡教会の思い出

2014年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、世界遺産に決まった群馬県の富岡製糸場は明治5年に始まりました。この製糸場は日本の殖産興業と富国強兵の引き金を引いた場所なのです。

この工場を2年前の2012年4月7日に訪問し、富岡に一泊し翌日の復活祭にカトリック富岡教会のミサに出ました。家内と一緒の小さな旅でしたが感慨の深いものでした。

そこでその思い出をたどりながら、富岡製糸工場とカトリック富岡教会の様子を書いてみたいと思います。

繭から生糸を取り出す自動機械をヨーロッパから輸入し、絹糸の大量生産を始めた工場を作ったのがフランス人のブリュナです。

そしてブリュナを含めて13人のフランス人が定住して富岡製糸場の操業を指導したのです。そこで技術を学んだ日本人の女工さんが各地に散って行き、数多くの製糸場を作ったのです。

この13人のフランス人の功績は残念ながら今日の新聞に出ていません。そこで2012年4月7日に私が複写した彼らの写真を下に示します。

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写真の後列の右から2人目の白服の男がブリュナです。ブリュナの出身地はフランスでも生糸の産地として有名だった所でした。

前列の女性は彼の妻と日本人に生糸の大量生産方法を教えたフランスの女工です。

下の写真はブリュナと妻が4年近く住んでいた工場長のの官舎です。工場に隣接してあります。明治5年に完成した木造の西洋式建物です。

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ブリュナ以外のこれらフランス人のことも忘れないようにしたいと思います。

当時、彼等は時々、赤いブドウ酒を飲んでいました。それを日本人が見て人の血を飲んでいると噂して、女工さんのなり手が集まらなかったそうです。彼等、フランス人達の苦労が偲ばれます。

世界遺産の富岡製糸場を訪問したら是非、彼等に感謝しながら、創業時の明治時代の雰囲気をご想像して頂きたいと思います。そうすると何故この工場が世界遺産に決定したかがご理解頂けると存じます。

さて翌日は2012年の復活祭です。カトリック富岡教会の復活祭のミサに出ました。

感動したことが2つありました。一つは主任司祭の猪俣一省神父様の優しさです。旅人としていきなり参加した私共を温かく迎え入れて下さいました。

もう一つはフィリッピンの人々の篤い信仰心です。60名程の参加者の半分以上はフィリッピン人や外国人でした。下に写真を示します。

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そして下がミサの様子です。

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ミサのあと別室で復活祭を祝う昼食会がありました。日本人もフィリッピンの人々も一つの家族のように楽しげにしています。私共はイースターエッグを一個ずつ頂いて早めに失礼して来ました。

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カトリックという言葉は「普遍」という意味だそうです。イエス様の教えは国境や民族の壁など問題ではありません。人間にとって普遍的な教えなのです。普遍的に重要な教えなのです。真理なのです。そんなことを実感させる復活祭のミサでした。

下に2012年4月8日に撮った写真を沢山掲載します。

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それはそれとして、今日はこれからミサに行って、

皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。後藤和弘(藤山杜人)


あなたは何故、日本の安全保障上、原発技術が必要と主張なさるのです?

2014年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、「原子力発電が無くても日本経済が成長しているこの現実」という記事をこのブログと3つのSNSに同時に投稿しました。そうしたら2つのSNSの方でいろいろなコメントを頂きました。

地球温暖化の因果関係が判明していないのだから炭酸ガスの心配は不要というご意見もあれば、原発を再稼働しないと廃炉の費用が稼げないというコメントもありました。

核燃料の処理方法も確立していないのに原発の再稼働は子孫に大きな危険負担を残すから止めるべきだと主張される方も居ます

そして原発は日本の安全保障のため非常に重要だから再稼働して原発技術の向上を期すべきだというコメントもあります。

どれもこれも理路整然としていてごもっともです。しかしどの意見が正しいのか定量的に評価する方法が無いのです。ですから正直に言えば私は原発の再稼働に賛成すべきか、反対すべきか判断がつかないのです。

多くの人々も判断がつかないとしたら、それは至極自然なことです。このような議論は水掛論と言って不毛な口論になりがちです。

不毛な状態を少しでも建設的するには感情論を避けて、それぞれの意見の内容を正確に理解し合うことが肝要だと私は考えています。

そこで以下で、「日本の安全保障上、原発技術が何故必要か?」という理由を書いてみたいと思います。

まず「日本の安全保障上」という言葉が曖昧過ぎます。具体的な言葉に置き換えるべきです。

安全保障とは以下の2つの意味があるようです。

(1)海外から石油や天然ガスの輸送が止まっても日本国内で電気が発電し続けられるという安全な状態を保証すること。

(2)隣の大国の原子力潜水艦や核兵器によって日本が本格的に攻撃されても完全に撃退し日本の安全を保障すること。そのため日本も原子力潜水艦を建造し、なおかつ隣国が保有する核兵器以上の兵器を保有する必要があるのです。

下には中国海軍の原子力潜水艦の写真とその構造の図面を示します。

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中国の原子力潜水艦の画像https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%

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上の図面と下の表の出典:http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=05-02-04-02

そして以下の表で世界各国が保有する原子力潜水艦の数を示します。

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少し技術に明るい方々は原発装置を小型化すると原子力潜水艦になると理解しています。違いは原発の発電用モーターを船のスクリューに変えただけです。

日本は昔、原子力船を保有していたのです。

さて核兵器は原子力潜水艦ほど原発技術に直結はしていません。

まず核燃料を原発よりも濃縮しなければいけません。その装置は日本にはありません。

その上、原爆を爆発させる起爆装置の製作技術が必要です。そして原爆を小型化して弾道ミサイルの弾頭に搭載する高度な技術も必要です。

しかし原子力発電技術を熟知していれば日本人技術者が核兵器を作るのは容易であると言われています。

ですから原発を保有していることは原子力潜水艦と核兵器製作の基礎技術を持つことになるのです。

あなたは日本の安全保障上、原発技術が必要と主張されますか?

もし主張されるのなら上記の理由の、(1)だけの理由でしょうか? あるいは(2)も強調されたいのでしょうか?

何故、安全保障などというあいまいな言葉を使うのですか?使うならその明確な定義をしてから使うべきです。

原発問題について曖昧な言葉として前々から心配していた「安全保障」という言葉について愚見を書いてみました。コメントを頂ければ嬉しく思います。(終わり)


三鷹市美術ギャラリーでのマリー・ローランサン展を見てきました

2014年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は家内が三鷹市美術ギャラリーでのマリー・ローランサン展へ行きたいと言うので一緒に行ってきました。

感動したことはマリーの若い時から晩年までの数多くの作品を丁寧に集め、年代順に展示してあることです。

デッサンの下手なこの画家がその色合いの独創性を生かし、試行錯誤しながら次第に画風を確立して行く様子が浮き彫りになっています。

19世紀末から第二次世界大戦終了までのパリに流れていた優美であるが何処か退廃的な雰囲気を美的に描いた絵画には独特な魅力があります。感心しました。

話は変わりますが、普通の人は自分のデッサン力の無いことに失望して絵を描くことを断念するものです。しかし彼女は死ぬまで絵を描き続けました。よほど絵を描くことが好きだったに違いありません。継続は力です。晩年になり安心して楽しめる優美で、何処か悲しげな画風と独特の色彩に到達したのです。

見ていて不愉快になる絵は一枚もありません。会場は三鷹駅南口に隣接した便利な所にあります。  明日までですが、是非お出掛けになってください。

下にポスターの写真と絵葉書の写真をお送りいたします。

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===参考:マリー・ローランサンについて==============

三鷹市美術ギャラリーの紹介文(http://mitaka.jpn.org/ticket/140412g/)です。

パリ生まれのマリー・ローランサン(1883-1956)は優雅な色彩による独自の作風で知られています。
本展では、初期の自画像から始まり独自の作風が確立してからの優雅な女性像を中心に幅広い作品69点を展示する予定です。

1907年24歳頃のマリー・ローランサン
1907年24歳頃のマリー・ローランサン
20世紀前半のパリを活動拠点としたエコール・ド・パリの多くの画家たちのなかでも、モーリス・ユトリロとマリー・ローランサンは図抜けて日本での人気が高い画家です。共に1883年のパリに婚外子として生を享け、二つの世界大戦を背景に独自の画業を展開し、ユトリロは1955年、ローランサンは翌56年、やはり共にパリに没しました。諸外国や地方から流れ着いた他の画家たちに比べ、この二人の生は分かちがたくパリという故郷に結びついたものであったと言ってよいでしょう。

当ギャラリーでは、2007年「モーリス・ユトリロ展~モンマルトルの詩情~」を開催しその画業を紹介しました。今回はもうひとりの画家、マリー・ローランサンの作品を展覧いたします。

画家ローランサンの特異な点は、今では考えづらいことですが、女であるということでした。17世紀に起源を持つパリの国立美術学校が女性の入学を認めたのは1897年です。女性画家の存在は稀でした。そんな時代のパリにあって、マリーはブラックやピカソを通してキュビスムへ傾倒し、詩人アポリネールと出会います。しかし刺激し合う関係も長くは続かず別離があり、ドイツ人男爵との結婚、直後の大戦勃発によるドイツ人としての亡命生活、ニコル・グルーとの出会い、終戦と離婚、そして再びのパリです。時代はまたしても暗雲漂う方向に傾きますが、マリーの明るく優美な色彩と形態は、それらをも包み込むようにしなやかな女性性を確立してゆきます。20世紀のパリに生きたひとりの女の生涯がここにあります。


原子力発電が無くても日本経済が成長しているこの現実

2014年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
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上の写真は水素爆発した直後の福島の4つの原発工場の建屋の様子です。
この程度の建屋の破壊はすぐに復旧できます。しかし放射能に汚染された炉心冷却水が毎日400トンほど出来てしまう状態が2011年から続いているのです。その 汚染水を貯蔵するタンク群が工場の敷地いっぱいに並んでいてもうこれ以上の貯蔵が困難になって来ました。
そして昨年の秋から日本にある50基ほどの全ての原発が定期点検のために運転を停止ししています。
ところが日本の経済成長は相変わらず続いているのです。
そしてこの盛夏の電力を充分まかなうために各電力会社は火力発電所を整備して準備をしています。
2011年3月11日の東日本大震災以来の福島原発の多量の汚染水の問題を見ている多くの人々は、「原発が日本にとって必要が無いのではないか」という疑問にとらわれています。
福島の事故以来、原発賛成派の人々は次の2つの理由で賛成していました。
(1)原発が無いと日本の経済成長が止まり、マイナスになって行く。そして夏には電力不足で大停電が起きる。
(2)原発の代わりに火力発電を増加すると炭酸ガスの放出量が増大し地球温暖化がますます加速される。
上記の(1)については皆さんご存知の通り、心配ないことが明確になりました。
さて(2)の問題は依然として残っています。
そこでその炭酸ガスの処理方法を調べてみました。
ある方法を見つけました。外国でも実証実験が行われているようですが、まだ実用段階になっていない技術です。
この方法は技術的には困難な要素が無いように見えます。問題はコストだけです。
使用済み核燃料の処理のコストと比較出来るようになれば急速に普及する技術のように考えられます。
有望そうな技術なので以下にご紹介いたします。

火力発電の欠点は大量の炭酸ガスを放出する事だけです。

そこで発電所の煙突から炭酸ガスが放出されないようにする技術が「二酸化炭素回収・貯留技術(CCS技術)」と呼ばれる方法です。

以下に図面と簡単な説明文をご紹介致します。

出典は、http://www.jpower.co.jp/bs/karyoku/sekitan/sekitan_q03.htmlです。

燃料が燃えるときCO2が出ることは避けられません。そこで発生するCO2そのものを回収し封じ込める「二酸化炭素回収・貯留技術(CCS4)」の開発が進められています。

CCSは発電時に発生したCO2を回収し地中へ閉じ込める方法で、国内外の機関が研究を進めています。将来、世界のCO2排出量の約100年分に相当する2t-CO2を世界全体で貯留できる可能性があるといわれています。

CCS法を開発している日本の会社もあります。日本CCS調査株式会社ですhttp://www.japanccs.com/whats/whats.html)をご覧下さい。

CCSとはCarbon dioxide Capture and Storageの略であり、二酸化炭素(CO)の回収・貯留を意味します。 

人類は、豊かな生活を築くために、数千万年以上にわたって地中深くに溜まっていた化石燃料を取り出して利用してきました。化石燃料を利用する際にはこれを燃やし、そのときにCOが発生します。その結果大気中のCOが増加し地球温暖化を招いています。CCSは、工場や発電所で発生するCOを捕えて、地中貯留に適した場所まで運び、貯留する技術であり、早期大規模削減を可能にする重要な温暖化対策と期待されています。 

以下の図面の技術が完成するまでにはまだ年月がかかります。

ですから原発を少し再稼働しながら、このCO2 処理技術を完成して行けば良いのです。

原発に絶対反対とか絶対推進すべしと声高く叫ぶよりも地道に代替え技術を完成する努力が一番重要ではないでしょうか?原発を政争の道具にしないで、それに代わる安全な技術を研究することが一番重要です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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梅雨の無い北海道の花畑の写真をお楽しみ下さい

2014年06月20日 | 写真

北海道には梅雨が無いといいます。6月に行ったこともありましたが、成程青い雄大な空が広がっていました。残雪を輝かせている大雪山連峰を背景に広大な花畑が見える風景には感動しました。

そんなことを思い出しながらインターネットの北海道の花の画像集から5枚の写真をお借りして以下にお送り致します。どうぞ花畑の写真をお楽しみ下さい。

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上の写真の出典は、https://ganref.jp/common/special/landscape/です。

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上の写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/ezomomonga3/folder/730829.htmlです。

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上の画像の出典は、http://k-kabegami.com/biei/17.htmlです。

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上の画像の出典は、http://www.amagaeru.com/go/jigsaw/jig/line/b/1000/71_390.htmlです。

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上の大雪山の上の花畑の写真の出典は、http://kioto-syokai.at.webry.info/201207/article_26.htmlです。


Facebook に加入すると面白い・・・その楽しみ方いろいろ

2014年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

私はこのブログの他にFacebookという SNSにも加入して、ブログと同じ記事を写真と共に掲載しています。

するとこのブログとFacebookの読者層が違うのか反応がいろいろあって面白いのです。

このブログは毎日平均やく750件ほどのアクセス数があります。遠方に住んでいる兄弟や昔からの知人や友人には毎日見て下さっている方々も多いのです。感謝の気持ちでいっぱいです。

しかし読者層は比較的高齢者が多いようです。時々頂くコメントの文章が折り目正しい昔風の日本語のことが多いのです。

一方、Facebookの読者層は若い人々やフィリピン、タイ、台湾、韓国、中国、そしてアメリカのような外国の方々もいるのです。

そしてこのFacebookには私の友人が906人もいます。その方々の一部が短いコメントを下さいます。その上、記事の内容に同感すると、「いいね!」とい簡単な反応を示してくれます。

例えば昨日のブログ記事の「時代とともに大きく変化した日本人の考え方(4)女性の活躍と縦社会の崩壊」に「いいね!」と反応してくれた人は156人も居るのです。

さて906名の友人はどのようにして作ったのでしょうか?

私の記事にコメントを下さったり、「いいね!」という連絡を下さった方々に友人になって下さいとお願いして友人になって頂いたのです。

若いひとは20歳位から30歳代、40歳代、50歳代の現役の男女です。職業も会社勤めの人、自営業の人、看護師、美容師、公務員、教師などなど実に千差万別なのです。

しかもFacebookの会員はみな社会へ前向きで、常に建設的な意見を持っているのです。そのせいで明るい幸せな気分になれるのです。

ところで私の書く記事は国際情勢や国内政治の問題から観光旅行や趣味の話など話題はなるべき広くしようと努力しています。そして記事を書くときは常に40年、50年前の日本ではこうであったと歴史的な記述をまじえて書きます。若い人々に日本の変化をお伝えしようと思っているからです。それは日本人が過去にしたいろいろな間違いを若い人々に繰り返して貰いたくないからなのです。

もう一つのFacebookの良い点は外国人が読んでくれることです。大部分は日本人ですが、フィリピン、タイ、台湾、韓国、中国、そしてアメリカのような外国の方も混じっています。

その故に記事を書く時はどこの国の人も傷つけないように公平に書くようにします。このことは私にとっては非常に重要なことです。書く内容が偏狭にないらないで普遍的な内容になるのです。普遍的な価値のある文章を書くというのが私の願望なのです。

そのような理由で私は最近、Facebookを通して出来た人間の絆を大切にしています。そこは明るく広い場所なのです。

下に昨日のFacebookの私のページのコピーをお送り致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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https://www.facebook.com/kazu.s.goto

自分の略歴: 退職

  • 出身校: The Ohio State University, Ph.D.Department of Material Science

    以前の学校: Sendai First High School

  • 東京都小金井市在住

  • 宮城県仙台市出身

  •  Facebookには顔写真がついています。クリックすると拡大します。

  • 以下は昨日の記事です。
    「時代とともに大きく変化した日本人の考え方(4)女性の活躍と縦社会の崩壊」

    戦前の日本では女性は働かないで家庭を守るべきという考えが強かったのです。もちろん例外的に活躍する人もいましたが、彼女たちは「職業婦人」と呼ばれ特殊な人々と考えらていました。

    江戸時代や明治時代の男尊女卑の思想が強く生き残っていて、才能ある女性も差別され不遇な時代でした。それはイスラム教の国々で女性は家庭から外に出ないという風習と似ていました。奥様はあくまでも奥に居る人なので、他人へは顔をめったに見...せなかったのです。深窓の令嬢などいう言葉がまかり通っていたのです。

    戦後もしばらくはその男尊女卑の考えが残っていました。

    しかし1964年の東京オリンピックの頃から経済の急速な成長が始まると、結婚した後でも次第に女性が同じ会社で働き続けるようになって来たのです。しかし始めは、それもかなり例外的で、結婚すると「寿(ことぶき)退職」と称して会社を辞めさせられるのが普通でした。

    「良家の子女は結婚したら外では働かない」という思想が完全に消えてしまうには随分と時間がかかったのです。

    それだけに現在の日本で、女性が大活躍しているのを見ると覚醒の感に打たれます。・・・・以下省略します。
  • 後藤 和弘さんの写真
    後藤 和弘さんの写真
    後藤 和弘さんの写真
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  • 李合堂が投稿しました?
    1. 藤山杜人{大哥}~很高興在雲端的一方認是您~感恩

         翻訳を見る

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  • 世界の花々(5)フィリピンの花々

    2014年06月19日 | 写真

    私はフィリピンに行ったことはありませんがフィリッピンの人々に深い感謝の念を持っています。
    その理由は家康によってマニラに追放されたキリシタン大名高山右近の一行約100人を熱狂的に歓迎してくれたからです。私はいいかげんなカトリックの信者ですが、今から丁度400年前のフィリッピンの人々から受けた恩義を絶対に忘れません。
    フィリピンの人々が好きです。以下の文章をご覧ください。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...
    高山右近のマニラでの熱狂的な歓迎と死
       右近ら一行やく100名を乗せた船は、一路、マニラ(フィリピン)へと向かった。
       誰はばかることのない航海であった。「ボートピープル」「難民」となった彼らだが、大海原を静かに進む船からは、いつも讃美歌と祈りの声が聞こえていた。
       順風で行けば一〇日ほどの航程である。しかし老朽船の船脚(ふなあし)は遅く、また逆風・暴風にさまたげられて、航海は一か月以上に及んだ。
       この間に、四人の者が死んだ。なかには、在日三二年、聖人のほまれの高かった六四歳のクリタナ師も含まれていた。
       ある日、水夫たちの不注意で、船室が水浸(みずびた)しになってしまった。しかし右近は、誰をも咎めることなく、ぬれた書物を孫たちと一緒に一枚一枚ていねいに乾かした。
       マニラが近くなったとき、モレホン師は先にマニラに入って、右近らの到着をマニラ総督に伝えた。
       マニラ総督ファン・デ・シルバは、すでにグスマン著『ゼズス会(イエズス会)東洋伝道史』を読んで、右近たちのことを知っていた。彼はすぐに右近らの歓迎を計画、受け入れ体制を整えてくれた。
       右近たちが港に入ってきたとき、熱狂したマニラ市民は岸壁を埋め、一発の礼砲を合図に歓迎の砲声が響き渡った。その中を右近たちが上陸した。
       総督は彼らを官邸に招き、涙を流して労をねぎらった。右近らは、日本の武士流の礼儀正しさで、深い感謝を表した。
       ジュスタをはじめ婦人たちも、離れてつつましく控えながらも、熱い涙を流さぬ者はなかった。総督は彼らを馬車に乗せて町を案内したが、道は歓迎の市民で埋まり、聖堂の鐘が鳴り渡った。
       聖堂に着くと、彼らは馬車を降り、感謝の祈りをささげた。
    ・・・・以下省略。原文は、http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/takayama.htm に御座います。
    ==============================

    以下の花々の写真と解説http://www2.tbb.t-com.ne.jp/atc/Philippines/philippine_plants.html から引用致しました。原典の著者へ深く感謝いたします。

    フィリピン、ムンティンルパ(Muntinlupa)市 に咲いていた花と木です。 ムンティンルパ市 は、フィリピン首都圏の最南の都市でマニラから南に30Km、ハイウエイを車で40分位のところにあります。 北はタギグ(Taguig)市 、北西はニノイアキノ国際空港があるパラニャーケ(Paranaque)市 、西はラスピニャス(Las Pinas)市 、南西はカビーテ(Cavite)州のサン・ペドロ(San Pedro)とラグーナ(Laguna)州 、 東はラグナ湖に接していて、フィリピンのエメラルドとも呼ばれています。
    日本では、ヒット曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」で知られているため「モンテンルパ」と言われることが多いようです。
    ムンティンルパ市のオフィシャル・ウエブサイト(Official WebSite) arrow

    Allamanda1

    上はアラマンダの花です。

    Gold_shower1

    上はゴールデン・シャワーの花です。

    Hibiscus1

    上はハイビスカスの花です。

    Orthosiphon1

    上はオルソシホンの花です。

    Dona_aurora1

    上はドナナ・オーロラの花です。

    Pulumbago1_2

    上はプルンバ-ゴの花です。


    三浦しをん原作、「神去なあなあ日常」を映画化した「ウッドジョッブ」を見ました

    2014年06月18日 | インポート

    三浦しをん原作、「神去なあなあ日常」を映画化した「ウッドジョッブ」を立川シネマシティで見て来ました。家内が三浦しをんさんの「職業小説」が好きなのでお付き合いして来ました。

      内容は都会のか弱い青年が三重県の林業で鍛え上げられ、次第に生きる自信に目覚めるという話です。真面目な内容の映画です。
      感動で胸躍るような内容ではありません。ただし山奥の林業というものが丁寧に描いてあり、森林に興味のある方々は興味深く見ると思います。
      映画としては前作の「舟を編む」の方が面白かったです。
      下に
    この映画の公式HPより写真と解説をつけておきます。
    ===============================
    http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id347864/  よりの抜粋です:

      『ウォーターボーイズ』など数々のヒット作を送り出してきた矢口史靖監督が、人気作家・三浦しをんのベストセラー小説「神去なあなあ日常」を映画化した青春ドラマ。あるきっかけで山奥の村で林業に従事することになった都会育ちの若者が、先輩の厳しい指導や危険と隣り合わせの過酷な林業の現場に悪戦苦闘しながら、村人たちや自然と触れ合い成長していく姿を描く。『ヒミズ』などの染谷将太をはじめ、長澤まさみ、伊藤英明、ベテラン柄本明らが共演する。
    WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~
    あらすじ: 大学受験に失敗し高校卒業後の進路も決まっていない勇気(染谷将太)は、軽い気持ちで1年間の林業研修プログラムに参加することに。向かった先は、携帯電話が圏外になるほどの山奥のド田舎。粗野な先輩ヨキ(伊藤英明)のしごき、虫やヘビの出現、過酷な林業の現場に耐え切れず、逃げようとする勇気だったが……。
    O04800668129262927511


    イスラム圏の人々は何故、欧米人を嫌悪するか?・・・欧米人の傲慢と堕落

    2014年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

    2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ攻撃は一つの歴史的転換をもたらしました。

    それまでアメリカとその同盟国は、ソ連や中国の共産党勢力に敵対し厳しい冷戦を行なって来たのです。ところが1990年頃にソ連が崩壊して冷戦が終わりました。

    これで世界が平和になると多くの人々は安堵しました。

    しかし2001年の多発テロ攻撃でアメリカは過激なイスラム国を敵にしてアフガニスタン戦争とイラク戦争を実行したのです。欧米の敵は共産主義ではなくイスラム過激派に変わったのです。

    現在、シリアやイラクで起きているシーア派とスンニ派の戦争はアメリカのイラク占領と、その後の撤収が引き起こした新たな戦争なのです。

    この複雑な抗争の底流には常にイスラム教徒の欧米人への嫌悪感が流れていると考えるのが自然ではないかと思います。

    何故イスラム教徒が欧米人を感情的に嫌悪したくなるのでしょうか?

    一言で云えば欧米人は平気で酒を飲み、豚肉を食べ、女性は肌をあらわにしているからです。それらはイスラム教徒は絶対にしないことばかりなのです。

    イスラム教徒の嫌がることを欧米人は平気で行うのです。傲慢に見えます。それは人間として堕落に見えます。

    嫌悪したくなるのは当然ではないでしょうか?

    イスラム教徒の暮らし方は私には絶対に真似は出来ませんが、倫理的に考えると彼らの生活ぶりは尊敬すべきと考えています。

    イスラム過激派と戦争を始める前に欧米人はまずイスラム教徒の倫理性を尊敬すべきではないでしょうか?イスラム教が悪で、キリスト教が善だと考えたとしたら、それは大変間違った考えです。

    少し公平に客観的に考える人なら上記のことは賛成してくれると思います。

    しかしイスラム諸国では政治と宗教が合体しているのです。

    世界中の国々が複雑な利害関係を平和的に調整して仲良く暮らして行くためには政治と宗教は分離したほうが良いと私は信じています。

    宗教と政治の一体性がイスラムの教義ですが、その合体の強弱はもっと弱めるべきです。そして国際協調を大切すべきではないでしょうか。

    例えばインドネシアやトルコはイスラム国家ですが日本との関係においてイスラム教が邪魔になったことは無いのです。インドネシアやトルコは常に親日的な国家です。

    イラクでシーア派とスンニ派の戦争にアメリカがシーア派に加勢していますが、それで良いのでしょうか?

    いろいろなことを考えさせる昨今の国際ニュースです。

    今日の挿絵代わりの写真は昨日、水元公園で撮った花の写真です。

    それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

    後藤和弘(藤山杜人)

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    ・・・参考資料:イスラム教徒の義務(http://www.geocities.jp/timeway/kougi-44.htmlより)
     ムスリム、つまりイスラム教徒にはどんな「おつとめ」があるのか。
    「六信五行(ろくしんごぎょう)」という義務があります。

     「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのことです。
     「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」。この六つ。
     「啓典」は、「コーラン」のこと。ユダヤ教やキリスト教の教えを引き継いでいますから、イスラムでも最後の審判はあって、人々は天国と地獄に振り分けられる。「来世」とはそういうことです。最後の「天命」というのは、どういうイメージなのか私はよくわかりません。

     「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つのことです。
     「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」の五つ。

     「信仰告白」というのは、「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」と唱えることです。声に出さなければダメですよ。この「信仰告白」というのは、次の「礼拝」と一緒におこなわれます。

     「礼拝」のシーンは資料集にもありますし、テレビでも見たことのある人は多いと思います。正式には一日五回、メッカの方向を向いておこなう。
     ムハンマドはイスラムの教義を作り上げていくときに礼拝の方向を決めました。はじめはイェルサレムに向かってとか、いろいろ試行錯誤するんですが、最終的にはメッカのカーバ神殿に向かって礼拝することにきめました。世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカのカーバ神殿に向かって拝むのです。

     このカーバ神殿というのは、ムハンマドが生まれるずっと前からメッカの町にあった神殿で、多くのアラブ人の信仰を集めていました。イスラム教の登場以前のアラブの宗教は多神教ですから、カーバ神殿にはたくさんの神さまの像が祀られていた。
     ところが630年、ムハンマドはメッカを占領したときに、これらの神々の像を全部破壊しました。イスラム教の特徴の一つに偶像崇拝の徹底的な否定というのがある。ユダヤ教でもキリスト教でも偶像崇拝は否定しているのですが、イスラム教はもっとも徹底して否定する。唯一の神以外の神像は、当然破壊するし、唯一神は偉大なものだからそれを人間が描くなんてもってのほかです。しかも、神像を拝むと言うことは神そのもの以外のものを拝むことになりますから、一神教の教義に反するのです。

     この絵はムハンマドがメッカ占領の時に、カーバ神殿からいろいろな神さまの像を引きずり出して破壊しているところです。多くの像が砕かれているでしょ。
     偶像を破壊しているこの男がムハンマドなんですが、顔がベールで隠されています。実際にムハンマドがベールを付けていたわけではないのですが、偉大な預言者を描いてしまうと、信者が思わず拝んでしまうかもしれません。これこそがイスラム教が否定する偶像崇拝ですから、そうならないように顔を隠して描いている。そのほかにも人間であっても重要なイスラム教の指導者は顔を隠して描くのが一般的です。


    東京都立水元公園の今日の菖蒲園の写真をお楽しみ下さい

    2014年06月17日 | インポート

    アヤメや菖蒲の季節はあっと言う間に過ぎてしまいます。花の命の儚さです。


    今日は家から東京外環道路を経て60kmも離れている水元公園の菖蒲園を見に行きました。道路が空いていたので往復120kmのドライブも楽しいものでした。

    菖蒲園には川風が吹いていて爽快でした。規模が大きくてかなり歩き回りました。
    菖蒲園はやはりある程度大い方が感動も深くなります。
    下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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    小保方論文問題は何故起きたのか?・・・源氏物語と日本人科学者の論文の似ているところ

    2014年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

    小保方論文問題は相変わらずマスコミのニュースになっています。理研全体の大問題になって来ました。理研の関係部門を解体する提言まで出されました。

    しかし私はその深い背景には一部の日本人科学者の書く論文の曖昧さが関係していると思います。自分の発表する論文の欠点を客観的に明快に書かないという文化的背景が遠い原因になっていると考えています。

    その考えを説明するには源氏物語が丁度良い実例になります。

    源氏物語は1000年前程に書かれた小説で、我が国が世界に誇れる文化遺産だと理解しています。しかし読んだことはありません。ところが家内は大学の国文科を卒業し、それ以来、源氏物語を趣味のように研究しています。現在も源氏物語を原文で読む会を主宰して楽しんでいます。そんな会をもう46年も続けています。その為に、源氏物語のことをいろいろ聞きます。ですから源氏物語を原文で読むことの良し悪しが客観的に判断出来るようになりました。

    何事も文学は原文で読むほうが良いに決まっています。シェイクスピアでも原文で読むと味わいが深く、感動も大きいのです。源氏物語でも同じことです。しかし原文で読むには1000年ほど前の日本語が理解出来なければ不可能です。その上、源氏物語は当時の宮廷や貴族の使っていた特殊な日本語です。主語や目的語は極端に省略します。物語に出てくる人物の行動は具体的に記述しません。あくまでも暗示するにとどめています。その上、当時の宮廷の身分制度や、その中に生きている人々の人生観も知っていなければなりません。服装・家具調度・建築や当時の藝術・習慣風習・年中行事にも精通していければ理解できない個所もあります。

    例えば、私のブログ(http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp)の2009年11月28日掲載記事の、源氏物語と雅楽、女楽と男踏歌の演奏会 にそのことを指摘しました。源氏物語の時代の京都の行事の再現行事の記事です。

    このように、全ての準備的な勉強をしたあとで初めて源氏物語の芸術性を楽しむことが出来るのです。

    男女の関係の美しさを藝術的に描いた傑作なのだそうです。それを現代語訳で読めば簡単ですが、当時の宮廷の男女の関係を如何に美しく描き出したかが理解出来ません。楽しさが浅いものになります。現代語訳はいろいろな時代に行われました。最近、単なる男女の愛慾物語風に翻訳したものが人気が高いようです。困ったものだと思います。

    さてそれはそれとして、ここからが私の書きたいことです。

    科学書も英語で読むべしという原則を強調したいのです。

    源氏物語に比較して科学書は時代考証など無視しても理解できます。大学受験英語を通過して、科学の基礎的な訓練さえ終えているば誰にも読みこなせるのです。私は工学部の4年生になってから数多くの英語の論文や原書を読みました。読まされて仕方なく読んだのですが。

    英語の科学書は決まって、その論文や本が取り扱う問題を一番先に明快に説明しています。その次に使用する言葉の定義を厳密に説明します。そして本論に入り、色々な考え方や、数式がでてきます。英語の科学書ではその後で、その考え方や、数式の長所と弱点を客観的に説明します。

    すると読者の私は安心します。「そうだ!どんな科学法則にも欠点と強みがあるのだ!!」と理解できるのです。

    一部の日本の科学者が書く科学論文や教科書は源氏物語のように主語が省略されています。自分の研究成果や科学的法則の欠点が明快に書いていなくて、その法則が万能のような暗示的な記述が長々と続きます。

    そうです!日本語では主語を省略するのが普通と言われます。単数と複数も区別しません。しかしこの日本語の美しさが科学書では致命傷になります。理解不能な、あいまいな論文や科学教科書になるのです。

    少し専門的になりますが、私がよく勉強した熱力学という分野の本の事です。3つの法則で宇宙の全ての自然現象の起きる可能性を予言出来る学問です。哲学の一部です。

    この熱力学を日本語の教科書で学んでいると非常に理解困難でした。それを英語の教科書で読んでみると実に目から鱗が落ちるように理解できたのです。

    その上、熱力学の欠点も書いてあります。全ての自然現象の起きる可能性を予言は出来ますが、その変化の速度は一切不明です。1年後に変化が完了するのか1億年後に完了するのか予測出来ないのです。

    全ての学説には欠点があると知ってしまえば気楽なものです。

    研究発表会で難解な学説を説明する人が居ます。理解は出来ませんが、直感的に興味を感ずることがあります。そういう時には質問をします。「とても興味深く聞きました。所でその学説の欠点は何でしょうか?」と。

    欧米人の学者は実にスラスラと欠点を説明してくれます。

    ある時、日本人の学者に同じ質問をしました。そうしたら感情的になって、「君。そういう質問は失礼です。第一、君は私の話が理解出来たのですか?」。これが欧米の科学者と日本の二流の科学者との違いですね。

    家内から源氏物語の話を聞く度に私は曖昧模糊とした日本の科学論文を考え、不思議な感慨に捕らわれています。科学者も無意識のうちに源氏物語に代表される日本文化の影響を受けているのです。私も例外ではありませんが。

    今回の小保方論文問題も自分の研究成果の優れているところと弱点を明快に書いて置けばこんな大問題にならなかったと信じています。

    下に源氏物語と雅楽、女楽と男踏歌の演奏会 の写真を2枚示します。

    それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

    後藤和弘(藤山杜人)

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    今日の重大ニュース、「イラクで戦争激化!」・・・宗教が戦争を起こすこの現実

    2014年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

     アメリカ同時多発テロ事件は2001年9月11日に起きました。それが新しい戦争の始まりでした。

    強大なアメリカとその同盟国が、各地に蔓延するイスラム過激派との終わりなき戦争を始めたのです。

    アメリカ陣営は同時多発テロ事件の報復としてアフガニスタンとイラクで大規模な戦争をして両国を占領しました。パキスタンに潜伏していたビン・ラーデンも特殊部隊の強襲で暗殺しました。

    これですべては平和になる筈でした。

    しかしアメリカ軍が撤退した後のアフガニスタンとイラクでは、イスラム教の宗派別同士の内戦が熾烈に続いているのです。

    シーア派の大国イランが同じシーア派のイラク現政権を軍事的に支援し、その宗派間の戦争は一層激しくなっているのです。

    イラクの政権が戦っている相手はシリアから北部へ侵入してきたスンニ派の過激組織の「イラク・シリアのイスラム国」(ISIS)です。

    ですからイラク南部のシーア派の各組織はISISを撃退するために多数の志願兵をイラク北部へ送っているのです。

    そしてシーア派のイラクの現政権を支援するためにアメリカは航空母艦・ジョージ・ブッシュをペルシャ湾に送ったのです。

    このニュースを子細に見るとイスラム教のいろいろな派閥が自前の軍隊を保有してお互いに争っている様子も見えてきます。

    同じシーア派の中にもいろいろな派閥があって勢力争いをしています。その様子は中世さながらの部族抗争とそっくりです。

    政治と宗教を分離するという欧米流の考え方が完全に拒否されているのです。このような社会ではイスラム教の宗派の存在が直接戦争の原因になっているのです。

    イスラム過激派の戦争行為は中近東にかぎらずアフリカにも広がっているのです。今日の新聞ではアフリカのナイジュリアでイスラム過激派が200人の女子生徒を拉致し、奴隷として売り飛ばそうとしてるというニュースも出ています。このような暗黒社会が21世紀のこの地球上に存在しているのです。

    何時も宗教を擁護し、その重要性を主張する文章を沢山書いている小生は本当に悲しくなります。暗い気持ちになります。政治と宗教を分離しても戦争は無くならないと思いますが、少しは明るい気分になるのではないでしょうか。

    ブラジルのワールドカップ・サッカー大会で多くの人々が楽しそうにしています。しかし同じ地球上で戦争をしている人々もいるのです。人間の愚かさに暗然としているのは私だけはないと信じています。

    暗い記事になりましたので挿絵代わりの写真はアジサイの花の写真をお送りします。先日、東村山市の北山公園で撮った写真です。

    それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

    後藤和弘(藤山杜人)

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