おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

2・26事件慰霊碑

2010-09-15 22:56:09 | 歴史・痕跡
 JR渋谷駅から公園通り。NHKホールや代々木の体育館があり、賑やかな通りの一つです。昭和22年の航空写真を見ていると、今の区役所や保健所、神南小学校あたり、真四角な塀に囲まれています。昭和37年になると、すっかり取り払われ、東京オリンピックの時のプレスセンターになった建物の基礎工事が見えています。  
 ここは、戦前は、陸軍の刑務所があったところ。今はすっかり面影はありません。ただし、地面をほじくると、当時の瓦礫などが出て来るそうですが。北側の広大な敷地は、代々木公園。東京オリンピックの会場として整備されましたが、戦前は、代々木練兵場。華やかな街並みと都民の憩いの場所が、かつては軍都・東京を代表する場所でした。
 区役所や保健所などの合同庁舎の敷地のはずれ、当時の刑務所の西北の角に、「2・26事件」の慰霊碑があります。見上げるほどの大きなもので、香華が絶えないようです。これは、事件に関わった処刑者、犠牲者の全ての霊を鎮めるため昭和40年2月26日に建てられたもの。
 今日、突然の激しい雨の中、近所に用事があったついでにそこに行って来ました。華やかな人通りを左に折れた角です。
二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件。
碑文
昭和十一年二月二十六日未明、東京衛戍の歩兵第一、第三聯隊を主体とする千五百余名の兵力が、かねて昭和維新断行を企圖していた、野中四郎大尉等青年将校に率いられて蹶起した。當時東京は晩冬にしては異例の大雪であった。蹶起部隊は積雪を蹴って重臣を襲撃し總理大臣官邸陸軍省警視廳庁などを占據した。
齊藤内大臣高橋大蔵大臣渡邊教育總監は此の襲撃に遭って斃れ、鈴木侍從長は重傷を負い岡田總理大臣牧野前内大臣は危く難を免れた。此の間、重臣警備の任に當たっていた警察官のうち五名が殉職した。蹶起部隊に對する處置は四日間に穏便説得工作から紆余曲折して強硬武力鎭圧に變轉したが二月二十九日、軍隊相撃は避けられ事件は無血裡に終結した。
世に是れを二・二六事件という。
昭和維新の企圖壞もて首謀者中、野中、河野両大尉は自決、香田、安藤大尉以下十九名は軍法會議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死した。此の地は其の陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した十九名と是れに先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した處刑場跡の一角である。
此の因縁の地を選び刑死した二十名と自決二名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の靈を合せ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の淨財を集め事件三十年記念の日を期して慰靈像建立を發願し、今ここに其の竣工をみた。
謹んで諸靈の冥福を祈る。
昭和四十年二月二十六日
佛心會代表 河 野 司 誌
峰堂 花田仁人謹書

当時からあった道路。
中央の奥に見えるのが神南小。
オリンピックのときのプレスセンター。現在の渋谷区役所。
渋谷駅前。ハチ公口。電光ニュースには、菅さんの民主党代表再選の報が流れていました。
 
コメント
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