京王線国領駅から西南の方。多摩川に向かって道は少しずつ下っていき、多摩川住宅まで来ると、広々とした団地が広がります。そのまま多摩川へ。
途中、緑の木々が続く道、細い流れがこの団地を取り囲むように西から東に続いていきます。染地小学校付近から南に放物線のように。
かつて、この辺りは、崖の上は、畑地、その下に広がる平地はほとんど水田でした。
武蔵野台地で崖地・通称「ハケ」に沿って、上と下との土地とに分かれていました。二つの段丘崖のうち、府中崖線の一部です。グリーベルトは、今もそのハケに沿っているわけです。
この崖上は原始・古代の時代から人々が居住している場所で、それ以降も各時代の複合遺跡帯となっています。多くの遺跡が発見され、出土品も多く残されています。それらの集落を連ねて、自然発生的に出来た道が「ハケ道」。基本的には、崖上に沿った道のようで、調布市内ではまだ所々にその痕跡が残っています。
また、京王線の南側に東西にある通りが、品川通り。多摩川の河口、品川に通じていた品川道の新道。
もともとの品川道(品川街道)。これも、ハケ道の一種でしょうか。筏乗りたちが多摩川の上流から河口まで材木をいかだにして下り、その帰り道、人が上流に向かって歩く道として利用していました。そこで、この道は、別名では六郷道(多摩川の河口付近の地名)、府中道、筏道とも呼ばれました。
この道の痕跡は、世田谷区から点々と続いていて、世田谷区喜多見には、品川道の道路標識があるとのことです。狛江駅前を過ぎると二つのルートに分かれ、そのうちの一つは、駄倉塚から入る細い道。府中崖線に沿ったハケの路とぶつかります。
国領方向に向かい、調布市に入ると旧品川道の表示となり、多摩川住宅入口交差点で品川通り(新道)に合流します。これより東側は細い道ですが、今も、存在します。たしかにこの道は、ハケ(段丘崖)に沿って続く道でした。
写真は、染地付近の信号機。「羽毛下橋(はけしたばし)」とあります。
そこから続く道。整備された道になっています。
しばらく東に向かうと、昔ながらの流れの跡に。石組みが見えます。
途中にある四阿。
その上(崖の上)にある落ち口。ただし、人工的に再現されたもの。
散策路にあった化石。サファリからのもの。どうしてここにあるのか、不思議でした。
左が品川通り。道標の右の細道が旧品川道。多摩川住宅入り口の交差点付近。
途中、緑の木々が続く道、細い流れがこの団地を取り囲むように西から東に続いていきます。染地小学校付近から南に放物線のように。
かつて、この辺りは、崖の上は、畑地、その下に広がる平地はほとんど水田でした。
武蔵野台地で崖地・通称「ハケ」に沿って、上と下との土地とに分かれていました。二つの段丘崖のうち、府中崖線の一部です。グリーベルトは、今もそのハケに沿っているわけです。
この崖上は原始・古代の時代から人々が居住している場所で、それ以降も各時代の複合遺跡帯となっています。多くの遺跡が発見され、出土品も多く残されています。それらの集落を連ねて、自然発生的に出来た道が「ハケ道」。基本的には、崖上に沿った道のようで、調布市内ではまだ所々にその痕跡が残っています。
また、京王線の南側に東西にある通りが、品川通り。多摩川の河口、品川に通じていた品川道の新道。
もともとの品川道(品川街道)。これも、ハケ道の一種でしょうか。筏乗りたちが多摩川の上流から河口まで材木をいかだにして下り、その帰り道、人が上流に向かって歩く道として利用していました。そこで、この道は、別名では六郷道(多摩川の河口付近の地名)、府中道、筏道とも呼ばれました。
この道の痕跡は、世田谷区から点々と続いていて、世田谷区喜多見には、品川道の道路標識があるとのことです。狛江駅前を過ぎると二つのルートに分かれ、そのうちの一つは、駄倉塚から入る細い道。府中崖線に沿ったハケの路とぶつかります。
国領方向に向かい、調布市に入ると旧品川道の表示となり、多摩川住宅入口交差点で品川通り(新道)に合流します。これより東側は細い道ですが、今も、存在します。たしかにこの道は、ハケ(段丘崖)に沿って続く道でした。
写真は、染地付近の信号機。「羽毛下橋(はけしたばし)」とあります。
そこから続く道。整備された道になっています。
しばらく東に向かうと、昔ながらの流れの跡に。石組みが見えます。
途中にある四阿。
その上(崖の上)にある落ち口。ただし、人工的に再現されたもの。
散策路にあった化石。サファリからのもの。どうしてここにあるのか、不思議でした。
左が品川通り。道標の右の細道が旧品川道。多摩川住宅入り口の交差点付近。