最近は、読書もままならぬ。ゆっくり落ち着いて本を読む時間も場所もなくなって。
せめてお正月くらいは、と思っても何だか慌ただしかった。通勤電車の中で座って読書を、と本を取り出してもついうたたねが先に・・・。どうも活字離れが進んでいるようでして。
まずは年の初め、ちょっと軽いものから(といっても、筆者は至極真面目で、実証主義に徹した方。専門は、動物行動学。実証主義そのものの学問ですね。)。
人間がさりげなくやっている(無意識的に)「動作」の実例・観察を取り上げ、その深底にある感情・心理・思考をさぐりながら、「動物行動学」の成果に基づき、人類が今日まで進化するに至った背景と深く関係していることを「進化的適応」進化の仕組みに照らして解明していく。
そこから見えてくるのは、ヒトが生き残るために遺伝子として組み込まれ、今もなお働く脳内メカニズムの科学的解明、それでもなお残る不思議さである。
なぜ女性は「内股」、男性は「外股」なのか? 並んで歩くカップルはなぜ女性が左側になることが多いのか? デート中でも男がきれいな女性をみてしまうのはなぜか?
骨格から来る男女の性差、生殖機能の差から生じる男女の行動の差異。
だからといって筆者は、これらの「進化的適応としての性差」は、男女相互の理解に役立つこそあれ、性差別を正当化するものではないことを付言する。
・出会いや別れの挨拶が、相手と同じ動作になりやすいのはなぜか
・なぜ振り込め詐欺にだまされるのか
・なぜ映画やドラマを見たがるのか
など日常生活ではありふれた行動をとりあげている。その分析は読んでもらいたい。
小生が興味深かったのは、「上司はなぜ、椅子に座って部下を呼びつけるのか?」。
上司の行動は最小限で、部下の方はたくさんの動作を伴って上司に対応する。また、言葉の数も上司が少なく、部下が多い。敬語にも当てはまる。それはどうしてか? なるほどと納得したが。
さまざまな観察結果、実験結果を用いている、筆者の行動力と着眼点はすばらしい。それも若いうちから培ってきた、粘り強い定点観察経験(観察眼)などが大いに生かされているのだろう。
せめてお正月くらいは、と思っても何だか慌ただしかった。通勤電車の中で座って読書を、と本を取り出してもついうたたねが先に・・・。どうも活字離れが進んでいるようでして。
まずは年の初め、ちょっと軽いものから(といっても、筆者は至極真面目で、実証主義に徹した方。専門は、動物行動学。実証主義そのものの学問ですね。)。
人間がさりげなくやっている(無意識的に)「動作」の実例・観察を取り上げ、その深底にある感情・心理・思考をさぐりながら、「動物行動学」の成果に基づき、人類が今日まで進化するに至った背景と深く関係していることを「進化的適応」進化の仕組みに照らして解明していく。
そこから見えてくるのは、ヒトが生き残るために遺伝子として組み込まれ、今もなお働く脳内メカニズムの科学的解明、それでもなお残る不思議さである。
なぜ女性は「内股」、男性は「外股」なのか? 並んで歩くカップルはなぜ女性が左側になることが多いのか? デート中でも男がきれいな女性をみてしまうのはなぜか?
骨格から来る男女の性差、生殖機能の差から生じる男女の行動の差異。
だからといって筆者は、これらの「進化的適応としての性差」は、男女相互の理解に役立つこそあれ、性差別を正当化するものではないことを付言する。
・出会いや別れの挨拶が、相手と同じ動作になりやすいのはなぜか
・なぜ振り込め詐欺にだまされるのか
・なぜ映画やドラマを見たがるのか
など日常生活ではありふれた行動をとりあげている。その分析は読んでもらいたい。
小生が興味深かったのは、「上司はなぜ、椅子に座って部下を呼びつけるのか?」。
上司の行動は最小限で、部下の方はたくさんの動作を伴って上司に対応する。また、言葉の数も上司が少なく、部下が多い。敬語にも当てはまる。それはどうしてか? なるほどと納得したが。
さまざまな観察結果、実験結果を用いている、筆者の行動力と着眼点はすばらしい。それも若いうちから培ってきた、粘り強い定点観察経験(観察眼)などが大いに生かされているのだろう。