立川談志さんが亡くなった。彼らしい死の作法。1年以上も前に彼が「ものした」本を紹介したことがあります。そのまま再掲して彼の死を悼もうと思います。読んでいるときに感じた、瀬戸際の生き様というものを改めて感じました。
落語立川流家元・立川談志。現在闘病中とか。それでも意気軒昂。口述筆記(実際にもそうかもしれない)であるいは殴り書き風でものした。複雑な物事を、混迷する世界を一刀両断で把握する表現力のすばらしさは、相変わらず。
世間に知らぬことはない、こういうものだということを、知らぬことでも知ったかぶりで応える風をしながら、喝破する。この方の落語以外の、例えば政治の世界でのあれこれや、芸能界(ラジオ・TV界)での毀誉褒貶は、かつてはよく耳にはするが、今や聞き納め、見納めの時が来つつあるようで、かなり残念です。これが杞憂に終われば幸いですが。
初めから飛ばしていて、果たして最後まで息が切れずに進むのか、といった心配を吹き飛ばして、快調な弁舌。たぶん、彼の人生そのもののような気がする。
所々に差し挟まれた高座姿、楽屋姿、旅姿・・・、そのスナップのどれにも、人から世間から(常識人から)あれこれ言われても、一途に今もなお生きる一徹な男の姿が、ひしひしと伝わってくるのだ。けっして「知ったかぶり」「屁理屈屋」を装ってはいないのだ。
ここにもあるように、「鬼気迫るもの」を感じました。それが、今日、現実のものとなったわけです。
落語立川流家元・立川談志。現在闘病中とか。それでも意気軒昂。口述筆記(実際にもそうかもしれない)であるいは殴り書き風でものした。複雑な物事を、混迷する世界を一刀両断で把握する表現力のすばらしさは、相変わらず。
世間に知らぬことはない、こういうものだということを、知らぬことでも知ったかぶりで応える風をしながら、喝破する。この方の落語以外の、例えば政治の世界でのあれこれや、芸能界(ラジオ・TV界)での毀誉褒貶は、かつてはよく耳にはするが、今や聞き納め、見納めの時が来つつあるようで、かなり残念です。これが杞憂に終われば幸いですが。
初めから飛ばしていて、果たして最後まで息が切れずに進むのか、といった心配を吹き飛ばして、快調な弁舌。たぶん、彼の人生そのもののような気がする。
所々に差し挟まれた高座姿、楽屋姿、旅姿・・・、そのスナップのどれにも、人から世間から(常識人から)あれこれ言われても、一途に今もなお生きる一徹な男の姿が、ひしひしと伝わってくるのだ。けっして「知ったかぶり」「屁理屈屋」を装ってはいないのだ。
ここにもあるように、「鬼気迫るもの」を感じました。それが、今日、現実のものとなったわけです。